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Always smile

めぐりあえた世界に感謝をこめて…






southoldegg



忘れ得ぬ二つの場所があります。

ところはニューヨーク・ロングアイランド。

ニューヨークへの旅が二桁を数える頃の旅でした。


「ニューヨークの春に出かけてみたい」


そう思いながら、なかなか機会もなく、夏や冬が殆どだったニューヨークへの旅。

ついに叶った春のニューヨーク滞在、

そのハイライトはロングアイランドへの日帰りドライブでした車


朝、マンハッタンを出発。

途中、ハーレムにあるというおすすめのベーカリーで、

コーヒーとクロワッサンを購入して、車窓の旅を楽しみながら、朝食。

バターの香りがとっても芳醇で、コーヒーとの相性も最高でしたコーヒー

運転しない(出来ない)私は、楽ちんなものです。

ロングアイランドをまた訪れることができるなんて…ニコニコ


まずは一路、もう一度訪ねてみたかったワイナリーへ向かうことに。

目指す「Old Fields」は日本の鎖国を解いたペリー提督の末裔が営むワイナリーワイン

提督を記念したワイン’Commodore Perry’も用意されています。


ある夏の日、どうしてもこのワイナリーを訪れてみたかった私は、

地図と時刻表を片手に電車

Penn Stationからロングアイランド鉄道に飛び乗り、

Suffolk Countyの最東端にほど近いSoutholdの町へ。


電車に揺られること数時間、

下車して少し歩くと小さなお店が幾つかある程度の、

小さな静かな町と手入れされた緑の大地が広がります。

「この道で大丈夫??」と地図を確かめながら歩く私の傍らを、

サイクリング中の一行が軽快に通り過ぎていきます自転車自転車


目指す界隈には幾つかのワイナリがあり、

歩くこと20分強、その看板たちが見えてきました。

目標の土地が近いことを確信して一気にスピードも速まります走る人

そのワイナリーは進行方向右手にありました。


シンプルなゲートを過ぎると何台かの車が止まっています。

朗らかな笑い声も聞こえてきますチョコ


まっすぐに連なるブドウ畑ぶどう、その先に見える穏やかな海、庭を歩く鶏たちヒヨコ





oldfierds

ワイナリーを訪れた人々は、

思い思いに緑の庭に置かれたテーブルを行き来して

ワインを楽しんでいたなぁ(私もそのうちの一人でした)

木々の隙間から差し込む光の先をたどると、

弧を描くように広がる空が私を包んでくれました。


そんな夏の思い出を再び描いていると、

Southoldの懐かしい景色が出迎えてくれました。


残念ながら、この日のOld Fieldsclosed

(遠いところなので、お休みの日は確認してから行きましょう…)得意げ


「あなた、よくこんなところまで、一人で来たね」と呆れられるやら、驚かれるやらでした。

確かに、日本人の姿を見かけることはなかったような…。


生涯忘れ得ぬ、ある夏の煌く思い出は、今も私の心にあの空の蒼と共に生きていますヒマワリ










peninsula

夏の終わり、シンガポールとオーストラリアを旅した友人と共に香港へ飛行機

最初の香港への旅のとき、彼女も別のお友達と香港に来ていて、

現地で待ち合わせ。会社に内緒でシラー

スターフェリーに乗って、ビクトリアピークに上ったなぁ~。

あの湿気を帯びた怠惰にも思える空気を身にまといながら

夜のフェリー乗り場で待ち合わせしたかなぁ。

懐かしい記憶です。

23日のこの旅、私たちの目的は1!

「ペニンシュラホテルに泊まること」

ガイド片手にあれこれ相談して、

あの絢爛なロビーのアフターヌーンティーを、

「宿泊客」として楽しもうよ!というプランになりましたチョキ

リピーターの香港旅、ショッピングにグルメにと一通り済ませ、

ホテルにじっとしている時間のなんと長かったこと!

もちろん客室は豪華で快適、

アメニティはティファニーのもの、もちろんお持ち帰りですラブラブ!

そしてアフターヌーンティーもしっかり楽しみました。

このとき流れていた生演奏がムーンリバーでした。

今でもムーンリバーを聴くと、この空間を思い出しますお月様

本当に楽しかったなぁ。

ちょうどこの旅の帰り、

香港の国際空港が新しくなって最初の日だったかな。

空港利用の証明書をもらって「うわ~、ラッキーだったね」

と喜んでいたらシステムトラブルで、空港大混乱。

げんきんなもので、あっという間に「もう何なの!!!」と豹変した勝手な旅行客の私たち。

空の旅、外国には余裕が必要ですね。


年が明けた1月、再びニューヨークに旅立ちました 飛行機

妹と二人の旅です。


現地は天候が悪く、ものすごい寒さ。

ステイ先は秋に訪れたときと同じくシェラトンホテルでした。

ミッドタウンの至便な大型ホテルです。


このときの旅は、アウトレットショッピングに出かけたり、美術館に出かけたり、

ミュージカルを見たりの、まさに王道のニューヨーク観光を楽しみました。


実は不思議とこういう旅の記憶があまり定かでない…ガーン

色鮮やかに心に残る旅は、

意外に自分で「考える」旅のときなのかもしれませんシラー




newports


三年前の今日この日。


まさか自分がその渦中にいることになるとは思いもしなかったあの大地震が起きて三年。

経験したことのない、経験することなどないだろうと漠然と考えていた出来事に、

体に伝わった大きな揺れは、ほどなくして心にも切り込みを入れていたのでしょう。


外に出ると、見たことのない景色が目に映ります。

交通機関は完全に麻痺し、道路に人が溢れ、街全体を「動揺」が支配していました。

「しかし日本人はすごいなぁ」と帰宅途中に、同じく帰路に徒歩でつく人たちを見て何度も思いました。

感情を露わにすることなく、つとめて平静に、冷静に淡々と動揺を隠すようなその姿に。

何とか帰宅して部屋の整理を済ませ、テレビをつけるとそこには震源地に近い土地の信じられないような光景が広がっていました。

数時間前までのあたりまえに訪れていたあたりまえのような金曜の午後は、もう遠く遠く向こう側に去っていってしまったのです。


私は冷蔵庫に冷えていた一番お気に入りのシャンパンを取り出し、割れずに残っていてくれたグラスに注ぎました。

大好きなシャンパンだというのに、このときの味を私は覚えていません。

淡々と受け止めていたはすが、実際のところ、緊張と恐怖心と絶望感が感覚を麻痺させていたのでしょう。

このときの恐怖から私を解放してくれたのは、家族でも友人でもない、海の向こうから届いた一通のメールでした。

震災後、時差をものともせず、間もない時間に届いていたそのメールには、私の様子を気にかける暖かい言葉が寄せられていました。

世界中を飛び回るハードな毎日を送っている彼からのそのメールにどれほど救われたか。


「世界は広い、でもとても近くにある」


張りつめていた緊張が緩み、不思議と哀くみや悔しさからではない穏やかな涙が溢れてきました。


わずか10分ほどの偶然の出会い、でも他に代わりのない佳き出会いが、私を救い上げてくれました。




barnard


翌日、帰国を前に朝食を買いにホテル前のデリへ。

You run?」と聞かれて気づきました。

この日はニューヨークシティマラソンの日。

どうりでロビーで何故かストレッチしたり、

ランニングスタイルの人が行き交っていたわけです。

私が日本に帰国すると伝えると

「また戻っておいで。次は走らないとね!」と返してくれました。


チェックアウトを済ませ、貴重品を引き取りにいくとそこにもランナーの姿が。

彼もシティマラソンに出る様子。


この日ばかりはこの挨拶が正しいようです。

Have a nice day!ではなく

Have a nice run!走る人



もう少し頑張ってみよう…JFKへ向かう途中、

私は遠くなっていくマンハッタンの光景を振り返りながら

そう心に語りかけていました。


あの旅のあと、私は幾つもの土地を訪ね、

幾つもの景色を眺め、幾つもの時間を重ねました。

それでも「どの旅が一番心に残っているか」と訊かれれば

躊躇うことなく、あの秋のニューヨークと答えるでしょう。


あのとき見たさまざまな景色も、

のときふれあったさまざまな人々の表情も

私の隣を吹き抜けていった風の音も

全て私の心に生き続けています。


20019月、アメリカ同時多発テロによって

航空機の激突を受けたワールドトレードセンターは、

多くのかけがえのない命と共に、無残にも崩壊していきました。

今、その同じ場所には新たなタワーがそびえ立ち、マンハッタンの新名所になっています。


残念ながら、もうあの景色は何処にも存在しません。

二度と見ることも叶いません。


でも私の心に生きる景色は誰にも侵されることなく、

世界のどこにいても、ふとした静寂のとき遠くを見やると

あの輝く二本のタワーが今なお美しく甦ってきます。


短かな期間の滞在が私にもたらしてくれたもの。

それは生きるための力でした。

もしあのとき日本を離れていなければ、

もしあのときニューヨークに降り立っていなければ…

少なくとも、その後出会えたたくさんの奇跡を経験することはなかったでしょう。



そしてこの偶然のような必然を作りあげてくれたもの。
それは他の何ものでもなく、私をいつも囲んでくれていた佳き輪でした。
時に静かに遠くに、時に煩しいほど近くに、
見事な距離感をもって、私を引き上げてくれました。