殺人事件のニュースの意義はなんなのだろうか? | 遷い易きは

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私の心也。もういやだ、離婚すると心に誓い、しばらく経てば忘れてしまい。吐いた毒のおかげか心安らいでも見たり。浮き沈みをそのまま吐き出します。一皮むけた、のか…?

 昨日一日あけまして、いいお天気でお休み気分一杯のGomezです。

 ありがとうございます。

 お日様に感謝です。


 さて、そんな折にもテレビでどこそこのだれかれが殺された、とニュースをやっています。

 またそんなニュースか、ホント最近多く感じる、無関係の人をたいした理由もなく殺してしまう…


 こんなニュースをやらないほうがいいんじゃないか?


 と、短絡的に考えてふと思ったのです。


 しかし、その後真剣に思いました。


 これは報道しない方がいい。


 殺人事件というのは、なぜニュースで報道するんでしょう?

 どこかの誰かが殺されましたという話を、聞いて悲しむ以外に、どんな意味があるんでしょうか?

 近くの人は、この近くでそんなことが起こった、怖いなぁ、、、

 気をつけてくださいよ、という意味なのか、それとも、、、

 本来ニュース、報道の意義というのは自分の知らないところであったことを知ることが目的なのだとしたら、「知る」ことそれ自体が目的で、それを知らせてどうするか、というところはニュースのかかわるところではないのかもしれません。


 そうだとしたら。


 なおさら!

 殺人事件や自殺!

 こういったことはニュースにするべきではないのではないでしょうか?!


 家族の悲しみをみんなに知ってもらう?そんな必要ありませんよね。

 悲惨な事件を知ってもらう?できれば知りたくないはずですよね。。。


 しかし、知ってもらうこと、ニュースで報道すること自体を否定したいのではありません。

 何が言いたいのかというと、これを見てあぁ、お金に困ったら人を殺せばいいんだ、最近多いしな、俺もやってみるか、と思う人が増えているように感じられてならないのです。

 自殺にしてもしかり。


 俺も自殺するか、という人が増えているように思えてならない。


 私の思っていること、言いたいこと、おそらく多くの人が感じていると思います。


 こうした事件をニュースにすることの意義が、ただ情報の提供、知る権利への義務の履行なのだとしたら、それは少し考え直してもらう必要があるんではないでしょうか。

 

 久々のよく晴れた休みに、そんなことを考えました。


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