先日書いた二つの記事、「痛いといって泣く子供 」と、「抱きグセ?そもそもとんでもない言葉ですよね 」というもの。
一歩間違えば矛盾とも取れるこの二つの考察ですが、前者は、無駄に甘やかす必要はないと思う、後者は、あふれる愛を与えるべきだと思う、という趣旨ですけれども。
子供は愛されている、自分は必要とされている、という自己肯定が必要なのであって、ちょっと転んだだけで子ども自身がけろりとしているのに、あー!あー!大丈夫大丈夫?と過分に心配するのは無用ではないかということなのです。
たとえば、仕事や家事が忙しくて、泣いている子供に構えない、ほっておけばそのうち泣き止むのも事実ですが、それは子供があきらめたということになります。
そして何かの拍子に頭をぶつけたりするとすぐに大騒ぎする、、、子ども自身が想像していた以上に大騒ぎしてくれると、子供はうれしくてこう考えるのではないでしょうか?
「自分は普段は必要とされていない、邪魔者だけど、転んだり何か痛いことをすると、お父さんお母さんはかまってくれるんだ」
こうして考えていくと、リストカットやら自殺やらの根本は…
時間がなくて子供に構えない、というのは現実としてしょうがない気もするのですが、一個人である、人間である子供の立場になってみて、自分が存在意義を感じられる、認めてもらえているんだと思えること、それがもっとも大切なことなのではないかと思います。
たとえばね、お手伝いをさせます。そして、ありがとう、助かった!ということとか。
お手伝いならすごく簡単なことでいいと思います。我が家の上の子は3歳ですが、カーテンを開けるとか、一緒に布団を片付けるとか、お父さん(ワタクシw)がゴミ箱に投げて入らなかったごみをゴミ箱に入れるとか(笑
布団なんかは、実際は私が持っているところに手を添えているだけだし、これも、見ようによっては邪魔してるだけなのかもしれないけど、ありがと!おかげで助かった!といわれてうれしいのは大人も同じですよね。
なんでも一緒にやらせてお手伝いをしてる気持ちにしてあげられれば、自分でどんどん何でもやりたくなってきます。
それが、いい循環ではないでしょうか。うっとうしいときも、そりゃ多々、多々、多々、多々、ってかいつも、あるのですが(笑
まだぜんぜん問題外でスはっはっは。