これで妊娠しなかったら、あのIVAをやる事になるんだな。
当時の仕事を辞めた理由はIVAに専念する為だったから、妊娠しなくても、ただ振り出しに戻るだけ。
お金もかかるから、私のペースで出来る仕事を探してる最中で、しかもオファーも来てたから、なんか物事いい感じに進んでるような。。。
なんて自分勝手な都合の良い解釈してみたり。
2月の下旬、IVA前の2回目の移植を実行しました。
グレード1の4分割凍結杯。(胚盤胞までいかないから)
その日の移植は、なんだか話の合う看護師さんが助手についてて、
「移植の後はゆっくり美味しいランチでも食べて下さいね。」なんて世間話しながら帰りました。
そしてお気に入り(また)の中華でラーツーチーセット(鶏肉と唐辛子🌶の辛いやつ)をもりもり食べて帰宅しました。
ET7あたりから、また頭痛がズキズキしてきました。 私は頭痛持ちではないし、これはもしや?
この辺りで、前回同様この頭痛は、妊娠してる頭痛だ!と確信してました。
ET8 妊娠検査薬 ✖️
妊娠検査薬はネガティヴでしたが。
ET10 妊娠検査薬 ◉
なんとET10にしてポジティブになりました。が、前回の化学流産の件があったので、とても慎重になりました。
私が使用していた妊娠検査薬はイギリスで大量に買ったものだったので、どうやら反応は日本製のものより劣ってたようです。
ET11 ◉ 嬉しい事にどんどん濃くなってます。
症状は頭痛、腹痛、手のポカポカ。
ET12 病院での判定日。
HCG 115.5‼️‼️ 着床してました❗️
女医のT先生に「妊娠してますよ!おめでとうございます。今は喜んでくださいね。でも、高齢なので、この先、まだどうなるかわかりません。でも今は喜んでください。」と微妙なコメントを頂きました。
日記を見てみると、「先の見えない長い道のりだったけど、子宮内視鏡やってからの手応えを感じずにはいられなくて。前回の化学流産の後、移植して判定日まで、着床するのが当然となぜか根拠の無い自信を持っていた」と書いてありました。
「ドクターKにどうだ!!見たか!と言ってやりたい」とも。笑
この後から頭痛と食欲が増していきました。
これはいわゆる食べづわりというものだったようです。
AMHが低すぎて、卵巣機能不全、高齢で妊娠は難しいとどこの病院でも言われてましたが、私達はこうして妊娠する事が出来ました。
夫はお金を払い続けて、決してネガティヴな事は言わず、私を最後まで励ましてくれました。だから諦めずここまで来れたと思っています。
彼が夫でなかったら、妊娠は諦めてたと思います。
不妊治療をするにあたり、私にとって1番大切だったのは夫だと実感せずにはいられません。
本当にありがとう

まだ出産まで気が抜けませんが、これにて、私の不妊治療の記録は終わります。
雑で乱文な不妊治療記録を読んでくださりありがとうございました。
どうか同じ悩みを持った方々の役に立つことを願うばかりです。
今後は出産、残りの妊娠生活を綴っていこうと思います。
どうぞ宜しくお願いします。