私にとって…
母と息子達は何より大切だった。
私も結婚に失敗し、
随分、細やかになってしまったけど…
‘自分で守って行きたい’
とても大切な
大切な
家庭だった。今の苦しみを分かち合える家族は、他にはいなかったけど…
付き合って一年程の彼の存在は、
私をとても支えてくれていた
(*´▽`*)『辛い時は我慢しないでいっぱい泣いていいよ
』『家に泣き泣き
しにおいで』って。
ホントに沢山、彼んトコで泣いた。
家では子供達が心配するので、母として気丈に振る舞っていた。
実際、泣いてる暇がないくらい次々に決断しなければならなかったし、
動かなければならなかったし。
だから、感情より理性で動いていて、
いつも、いつも、心は着いていけなかった
。葛藤しようが、苦しかろうが、
迷っている時間なんてなかったのだ。
だから、彼には相談と言うより、
処理出来ない感情を吐き出させて貰っていた。
彼は私の全部を受け止めてくれる人なんです

どんな私でも、包んでくれる温かい人だ



私にとって唯一、救われる場所だった。
私は
相談出来たり、代わりに動いてもくれるような家族がいてくれたら、どんなに救われるか
と、思ったりもしたけど、
実際、母には娘の私しかいなかった。
私しか、いない。
母が全てを頼れるのは…
だから、これは私の「役目」だと思い、
感情なんて後回しに、
ない知恵を絞って、
どうすればいいか
必死に考えていた。
母に優しくしてやりたい想いも、どんどん膨らんだ。
…でも、イラついてしまぅ…

……
これから、母は闘病生活に向かうのだろう。
治療は辛いものだろう…

中途半端に隠していても、解ることなんだと思う。
母は、芯が強いという言葉がピッタリで、
どんなピンチや苦労にも気丈に向き合ってきた人だったから。
姉さん女房でダラシナイ父を何十年もフォローしてきた。天然ならではの持ち前の明るさも持っていて、働き者のすごいパワーの母親だった。
そんな母は、
『もし、自分が病気になっても、隠されるのはヤダから、私はちゃんと知りたい』と、
ドラマやドキュメントを見たりした時も言っていた。
私もそうゆうタイプだ。
そうゆう所は母親譲りなのか、
とても良く似ている。
色んな葛藤や思考の中で、
私はそんな事を思い出していた。
そんな母も昔は私にだけは、精神面で頼ってきた。
父のこと、兄のこと、弟を亡くした時も…
私は支えた。自分の悲しみは二の次に、母の悲しみを受け止めてきたのだった。
だけれど…今度ばかりは…
精神的ショックからすれば
【立場は違えど】
どちらが厳しいかと比べられるものでもなく、
お互いに
大ダメージ
なのだ



。やはり、どんなに見栄を切ってひとりで抱えて、母の分も頑張ろうと思っても…とても平常心ではいられない。
母の的外れな言葉を、笑顔で返せる程の余裕なんてない。(ノー ゚̄。)グスッ
でも、
…多分、もう、母と過ごす時間には限りはあるだろう。
どれだけ残されているか、まだ分からないけれど…
今みたいに話せる「時」は何年もないだろぅ…(ノー ゚̄。)ウウッ
せめて、笑って、過ごしたい。
笑って。
悔いなく、親子で。
限りある貴重な時間を…過ごしたい。
今までの様に持ってる力をふたりで合わせて、
最後まで母の人生を二人三脚で歩きたいと思ったのでした。
私の器から溢れてしまう弱さを、
今度は母に背負って貰って。。。
どんなに…酷かと
承知でも…(ノー ゚̄。)
私はそれを選びました。
母さん、貴女に背負わせた分、私は強くなるから。
泣かずに、
1日でも多く、1分でも多く、明るく、楽しく

母さんと過ごす為に





笑顔で(*´▽`*)

踏ん張るからね…

長く深く葛藤した末、
そう、覚悟を決め、
落ち着ける入院先を求めて、
母と国立病院に向かったのでした。。。