新しい勤務シフトに変わってから、気がつけば一か月近くが過ぎていた。
最初は少しだけ違和感もあった。長年身体に染みついた習慣というものは、簡単には消えない。しかし、人というものは思いのほか順応する生き物らしい。今では午後三時の出社という生活が、ごく自然な日常になっていた。
何より感じるのは、心の軽さだった。
以前なら、まだ空が白み始めたばかりの時間に目を覚まし、時計とにらめっこをしながら身支度を整える。遅れてはいけないという焦りを胸に抱え、満員電車に揺られ、あるいは朝の渋滞の列に加わる。そこには、一日が始まる前から既に小さな戦いがあった。
けれど今は違う。
朝の慌ただしさから解放され、時間に追われる感覚も薄れていた。近頃よく耳にするフレックス勤務という働き方が、なぜ支持されるのか、その意味を身をもって知った気がする。
不思議なものだ。
通勤へのプレッシャーがなくなるだけで、仕事に向かう心のあり方まで変わってくる。余裕が生まれる。視野が少し広くなる。そして気持ちにも穏やかな隙間ができる。
もちろん、良いことばかりではない。
これから夏が来れば、陽が高く照りつける時間帯がちょうど通勤時間になる。焼けるような暑さの中を歩くのは、決して楽ではないだろう。だが冬になれば、その欠点はむしろ長所へと姿を変える。
結局のところ、何事にも表と裏があるのだろう。
ただ、そんなこと以上に大きく変わったものがあった。
妻との時間だった。
以前の生活では、朝は妻が眠りにつく頃に家を出て、夜は妻が眠っている頃に帰宅していた。時には丸一日以上、顔を合わせることもなく、言葉を交わさない日さえあった。
同じ家に住みながら、まるで時間だけが別々の場所を歩いているようだった。
しかし今は違う。
眠る時間と仕事の時間を除けば、同じ空間で同じ時間を過ごしている。特別なことをしているわけではない。ただ近くにいて、何気ない会話を交わし、お互いの気配を感じられる。
それだけのことなのに、不思議と心は満たされる。
金曜日には、妻の仕事の負担を少しでも軽くできればと思い、会社の了承を得て早めに帰宅している。
遅い帰宅に苦労していた妻も、その変化を喜んでくれているようだった。言葉の端々や、ふとした表情の柔らかさに、どこか安心した空気が滲んでいる。
それだけで十分だった。
家事をする機会も以前より増えた。少しは負担を減らせているのではないか、と勝手に思っている。
もっとも、それが本当に役に立っているのかどうかは聞いていない。
けれど、台所で並んで立つ時間や、洗濯物を畳みながら交わす何気ない会話の中に、小さな幸せは案外たくさん隠れているものなのかもしれない。
人生は大きな出来事だけで変わるのではない。
午後三時から始まる毎日が、そんな当たり前のことを、静かに教えてくれていた。
では良い1日を...