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20日(土)、10時に祖父母と三男の弟が病院へきた。
10:30分に医師からのお話し。
医師「本人はとても頑張っていますが今朝の検査結果を見ても非常に危険です。白血球は1000は超えたものの免疫力が全然足りていない状況です。 そして肺炎はだいぶ進行しています。 もう残された時間は短い可能性もあります。」 と告げられた。
11:17分の数値
心拍数 143
血圧 81 / 62
血中酸素濃度 94%
心拍数が下がらず肩呼吸で額には汗だくになってかなり苦しそう…。
私は父が高熱を出してから風呂も2日間入らず髭もかなり伸びていて
歯茎は腫れるし目もおかしくふらつきもでてきていた。
しかし父は苦しい状況で闘っている。
ここから私はクーリングケアを行うことに決めた。
看護師からタオルを4枚借り、水で湿らせ首回り・おでこ・両頬を冷やした。
冷やしても、またすぐに生ぬるくなっていたのでこれを数十回繰り返した。
すると、少しずつではあるが心拍数が1ずつ低下し始めた。
できるだけ本人にとって苦しまないように頑張った。
14:23分の数値
心拍数 128
血圧 102 /73
血中酸素濃度 87%
クーリングケアのおかげでだいぶ数値を下げることができた。
本人の呼吸もだいぶ落ち着いてきた。
その後もクーリングケアを続けて
心拍数も115くらいまで下げることができ
血中酸素濃度も90%前後を維持していた。
私は三男の弟にクーリングケアを伝授した。
そして力強い応援の言葉をかけて握手を交わして
私はフラフラになりながらも帰宅した。
頑張って禁煙していたけれど、ごめん…気持ちが落ち着かなくて
買って一服した。
その後久々にお風呂に入り夕食を食べ仮眠をとろうとして
携帯を充電にさして横になった瞬間に祖母から電話がかかってきた。
祖母「病院の先生が来られる人はすぐに来た方がいいって言ってるからきてちょうだい」
私「え、今さっき弟から聞いて数値安定していたけどどうなの?」
祖母「今の数値は…父 父 も表情がおかしくなってる」
私「えっわかった!すぐ向かう!弟にもすぐ声かけるから!ばあちゃん、しっかり…頼むよ!」
俺は15分くらいかかる距離を自転車で飛ばして
7分ちょっとで到着し病室へかけつけた。
到着時刻は19時35分くらいだった。
すると…
父はもう白目半分でまるで気絶状態だった…。
数値は心拍数75、血圧 68 / 43、血中92%だった。
三男の弟も10分後くらいに到着して
みんなで声掛けをした。
私は父の手を強く握り
「父さん頑張れ!! 苦しいのはわかってるから!! 耳はちゃんと聞こえてるだろ!! もう少しで苦しまなくて済むから!! 苦しかったらもう寝ていいから!! じいちゃんばあちゃんのことは俺に任せてくれ!! 父さん今までありがとうな!! 父さんいろいろ楽しかったぞ!! ○○家の事は俺に任せて安心していいから!!」
と声掛けをしながらみんなで身体をさすってあげた。
その後、医師がきて
只今の時刻、2018年1月20日(土) 19時59分死亡確認しました…。
(父は胃癌・肺炎・インフルエンザ感染症の為57歳で亡くなりました)
父は私が到着してから30分超の長時間頑張りました。
数値は徐々に下がり、再び上がっては下がり…
心拍数が0になってもまた60くらいに上がったり…
心臓が停止した後も10分弱くらい数値で反応はありました。
血中数値は本当に最後の最後まで粘っていました。
最期は苦しみやもがくようなことはなく
呼吸をしているのかわからないほど
眠るように人生を終えました。
家族、親戚、お友達とみんなで父を看取りました。
亡くなった後は悲しい気持ちはもちろんのこと
私としてはホッとした気持ちの方が強かった。
私「父さん、最後まで本当にお疲れ様でした。もう苦しむことはないから、ゆっくり休んでくれな。父さん、楽しい思い出たくさんありがとう…」
と優しく声をかけて顔をタオルで拭いてあげて
手を強く握りしめて父の額と私の額をくっつけて感謝の気持ちを伝えました。
今思うと、声掛けの時に私は涙を堪えながらも流して父をさすってあげた時
父の眼球が少し私の泣き目に焦点が合っていたように思う。
そして最期は父の左目に大粒の涙が出ていました。
この涙は何の涙なのか
苦しくて痛くて辛い涙
みんなが最期まで応援してくれて嬉しい涙
もっと生きて一緒に思い出を作りたかった涙
今考えても応えはわからない。
でも、私はその全てが応えの涙だと思っているよ。
父さんが一緒に思い出たくさん作ろうと買ってくれた新車…
まさか、亡くなる2日前に納車で行って帰り運転15分くらいしたのが最後だとは思わなかったよ。
父さんと新車でいろんなところへ行きたかったな。
私も運転免許はあるもののペーパードライバー歴が長いので
父さんに少し教わりたかったな…。
父さん、来月は大阪のUSJ行く予定組んでたけど
自分の体調と相談して予定キャンセル決断までして
手続きまでしっかりしていたよね。
父さん…今思うと父さんは自分の為に時間やお金を使ってないじゃない…。
退院後も家の大掃除も家具の整理もコタツ、オーブンレンジ、ソファー、トースター、私たちの布団を買ったのも全部残された私たちが住みやすいように、生活しやすいように環境を整えてくれたんだね。
父さん、人生最初から最期まで一生懸命頑張りすぎだよ…。
57歳はまだ早すぎだよ!! 寂しいじゃないか…。
なんで酒タバコ一切やらないのに胃癌になり
抗がん剤治療頑張っていたらインフル…そして肺炎まで併発するとか…。
正直悔しい気持ちで一杯だよ…。
私が今思うこと
たくさんの副作用で苦しみながら抗がん剤治療を受けるのが大事とは言えない。
そもそも、抗癌剤治療をしなければ味覚障害も指先のボロボロも下痢も免疫力低下もなかったと思う。
結局、努力しても食べられなくなり免疫力が低下して
インフルと肺炎にかかり、癌とは違う病気で亡くなったんだ。
これから抗がん剤治療を受ける方、受けている方はよく考えて選択した方がいい。
私は大切な父を亡くした。
ここ3ヵ月間、私は仕事を辞め、父との時間を過ごすことができた。
そういった意味では本当に良かったと思う。
私の手料理を食べてくれて、バイタルチェックもまめにしてあげたし
一緒に話しもたくさんできたからね。
私は父の死の直後から自分自身が強くなったと感じる。
「父さんの息子は立派で頼もしい!!」
と言われるように頑張ろうと思った。
父さん、本当にたくさんの思い出をありがとう。
もう、苦しみから解放されたわけだから
天国へ行ったら今度は自分の好きなことして過ごしてくれな。
そもそも天国って本当にあるのかな
もしそっちの世界があるとして
とても居心地が良いところならば
暫くはそっちでゆっくり過ごしててもいいんだよ。
今、父さんが幸せに過ごしているなら
夢の中にでもいいからその姿をみせてくれな。
本当に57年間ありがとうございました。
そしてお疲れ様でした。