毎年、世間で言うお盆休みの時期は

仕事をしていたサトエダニコニコ


だってみんな休むから

会社誰もいないんだもーん。


なんて思っていたが、

ここ数年はコロナをきっかけに、

お盆休みをずらして、

出勤する人が増えてしまった。


だからという訳では無いが、

今年はお盆休みに休んでみた。


その内容が、

これまで数回にわたり書いてきたものだ。


まさに身も心も久しぶりに

ゆったりとできた看板持ち


こんなに充実したのは

何年ぶりだろう。


君に出逢ったのはいつだろう…的なあんぐり



どれも最高の友人が付き合ってくれた。

ミュージカルも

舞台も

映画も

書展も。


そして、

最終日は自然を満喫した🏞




素敵じゃろーキメてる

誰かが空で変身しているのかもしれん。



こんなに充実した休日明け、

ワタシは社会復帰できるのだろうか。

と不安になったが、

何とかもどれた(ようだ)。



命の糧であるALFEEさんの

秋のツアーは今のところ全敗じゃ不安

ツアーどころか、

トークショーも、

トーク番も、

古舘さんとのトークも、

全部かすりもしなかった。


ワタシに秋は来るのだろうか。


落日の風…的なちょっと不満



仕方ない。


Never Say Die!

弱音を吐くな!


である知らんぷり






サトエダ


この夏休みは

様々な芸術を楽しみました。


これは夏休み初日に観た舞台

「WAR BRIDE」。



https://www.warbride-stage.com/


戦後間もない頃、

米軍基地のアメリカ軍人と結婚をして

海を渡った日本人女性、桂子さんとその家族の話。


舞台を観たのはとても久しぶり。

11年来前に

筧利夫さんの舞台を観たのが最後だと

記憶しています。


ステージ上が日本になったり、

アメリカになったり。

舞台はそういうところが楽しい。



ウエンツ瑛士くん、

思ったより全然演技が良かった♡

←ドコカラメセンジャ(゚ロ゚)


奈緒ちゃんは

若い時よりおばあさんになった桂子さんが

抜群に良かった♡


愛って人を支える力になるのね💕︎


そんな強い愛に包まえてみたい、、、

というより、

強い愛で包んでみたい目がハートたかみーをキューン

←ヤメレ |゚Д゚)))


そう思うサトエダでした。










1989年8月13日のハナシ。

もう36年も前のこと。 


度々このことは記事にしているので、

読んだことがあるかたも

いらっしゃるだろうと思う。


だけども

ワタシは書くのだ物申す

自分のために物申す物申す





この日、ALFEEさんは

朝霞米軍キャンプ跡地で

夏の野外ライブをした。


ワタシは

1984年横浜スタジアム(外野だが)以来、

1985年横浜スタジアム3DAYS

1986年東京ベイエリア

1987年日本平オールナイトサンセットサンライズ

1988年4Access area

と、

ファンになって、

ずっと夏の野外ライブには参加してきた。


当たり前のように。 


だってそこでALFEEがやるんだもん真顔


でも、

1989年の朝霞の夏の野外ライブには

ワタシは行かなかった。

行かない決断をしたのだ。


何故かと言うと、

次の日に父が検と入院すると

わかっていたからである。


入院といっても、

わざわざお盆休みまで待っての

検査入院だったから、

別にその前の日の夏イベに行っても良かったのだが、

ワタシは不参加を決めた。


その決断葉良かった。

結局、父はそのたった2週間後に

あっという間に

亡くなってしまったからである。



だから13日の夕飯が

父ととった最後の食事になったのだ。


この日のことは、

もちろん8月を迎えると思い出すのであるが、

今年はさらに思い出させる要因があった。


日航機の墜落事故から40年が経った

ということもあり、

このニュースがかなり報道されていたからだ。


この犠牲者の中に、

手帳にご家族宛にメモを残した方がいる。

そのメモの中に

「みんなと食べた昨日の夕食が

最後だったとは」

というものがある。

この言葉がワタシの気持ちを変えてくれた。



そう。

当たり前の日常は

いつ目の前から消えるかわからない。

それを痛烈に感じさせるメモなのだ。


ワタシも実際そうだった。

夏のライブの参加を辞めた

と、決めたその日の夜の食事が

父との最後の食事となったからだ。



また今度

またいつか

また明日


それが確約できるとは

誰にも分からないし

確約できる人なんて居ないのだ。


だから、

ワタシはできるだけ

その日その事に集中するようにしている。


だってまた来るとは限らないから。


当たり前でない日常を

日々噛み締めて過ごしたい。



そう決めさせてくれた

夏の野外ライブ。


それが、

1989年8月13日の

朝霞米軍キャンプ跡地の

ALFEEさんのライブなのであり、

日航機墜落事故の犠牲者となった方の

メモなのである。





サトエダ




いい加減しつこくなってきましたが

構わず続けます物申す

 


私事で恐縮ですが、

→今に限ったことじゃないですが(゚o゚;

明日14日から21日まで

東京上野の東京都美術館にて

産経国際書展が始まります。

そこにワタクシの作品を1点、

展示させてもらっております指差し

 




今回は二八サイズに大筆で

5文字書いてます看板持ち

お近くにお越しの際は、

是非お立ち寄りくださいm(_ _)m




次は秋の日本橋・浜町公園近くでの

展示会が控えています。

 

忙しいです・・・


ワタシは書道で生計を立てているわけではなく、

メインは普通の会社員としての仕事。


書道は、書くのはもちろんですが

書くまでの準備にとても時間がかかります。

 


秋に展示するものは6月頃から、

年明けに展示するものは8月くらいから、

何を書くか古典を調べたり、

集字といって、古典の字を集めたり、

構成を決めたりとかなり時間を要するのです。

 

普通に会社に勤めながらやるのは

結構大変なんですよ悲しい

だから最近はちょっとサボりがちになってます。

 →いつもだろ( ゚д゚ )



やめるのは簡単、

続けるのは大変。

 


師匠について早10年。まだ10年。

ALFEEさんは51年

 

まだまだだ。ワタシ。

と思うのであります。。


サトエダ

 

サトエダ

 

 

「芸術」と言っていいのか迷ったが、

久しぶりに映画館で映画を観た🎥



劇場版東京MER

走る緊急救命ー南海ミッションーである。


なんてったって、

東京MERの使命はただひとつ、

「死者を一人も出さないこと」

であるから、

死んでしまう人が出る映画が苦手なワタシにも

ピッタリなのであるにっこり


ネタバレするが、

前回の横浜MERの時からのメンバー、

潮見doctor(ジェシー)が

めちゃ成長しててびっくりした。

もちろん弦巻doctor(中条あやみ)なんかは、

もうベテランの域だ。

北見チーフdoctor(鈴木亮平)や

蔵前看護師長(菜々緒)がいなくても

立派に現場を仕切り執刀している。


いやはや頼もしいにっこり


白金内閣官房長官(渡辺真起子)も

ちらっとしかでてこなかったが、

しっかり大役を果たしていた。


途中はハラハラドキドキ、

涙するシーンもたくさんあったが、

「誰も死なないんだ」

という安心感があって

最後まで穏やかに?観ることができた。


前回の横浜MERでは

横浜ランドマークタワーが

テロリストにより、爆発するというものだったが、

今回は火山島で大規模な噴火が発生。

迫り来る溶岩と容赦なく降り注ぐ噴石の中、

MERのメンバーの救出か行われるのだが、

奇しくも、

つい最近まで連続地震のあったトカラ諸島が

出てきて、ランドマークの爆発よりも

(無い訳では無いが…凝視)

現実味を感じる内容だった。


実際に噴石が飛び散り、

溶岩が迫り、

噴煙に息も吸えない状況だったら、

ワタシだったらなすすべもなく、

立ち上がることすら出来ないのでは無気力



富士山爆発もそう遠くない未来に

あるかもしれない。


そうなった時、

こうした現場に飛び込んで命を繋げてくれる

MERのような存在が

たくさんたくさんいて欲しいなぁ。







サトエダ