高見沢さんの書く詩が大好きなサトエダ♡
それをノートに書き写すことも大好き♡
書いていて、最近気づいたことがある。
殊に、最新アルバム「君が生きる意味」
には、それがよく見られるのであるが、
慣用句的な、はたまた、
ことわざ的な、はたまた、
成句的な、
表現を多用しているということである。
例えば、
「生きとし生けるもの」(孤独の太陽)
「触らぬ神に祟りなし」(疾風怒濤-Mind Riot-)
「知らぬ存ぜぬ」(疾風怒濤-Mind Riot-)
「二礼二拍手」(丁寧言葉Death!)
というような
言葉の使い方が目立つ。
高見沢さんが書く時といえば、
The 高見沢ワールドと呼ばれる
独特で、詩的で、知的で、情緒溢れる表現や、
一方で難しい表現や言葉を使ったものが多い。
ところが。
先に挙げたような一般的にもよく使われる表現が
今回のアルバムではよく使われている、
という印象をワタシは受けるのである。
CDを聴いていると、
その言葉がズンと頭に入ってきて、
いつまでも印象に残るのだ。
春のツアーでもやはり同様で、
それらの言葉がワタシの中に
飛び込んでいつまでも居座った。
何故だかは分からないが、
高見沢さんも何かきっかけがあったのかもしれない。
なんて勝手に思っている![]()
そうそう、
以前、平野啓一郎氏の「ある男」を
読んでいたら、
こんな表現が出て来た。
城戸と妻の香織との間で知らぬ間に
日常となってしまった会話の欠乏は、
端から見れば、
ありきたりな倦怠期”の風景に過ぎなかった。
それは、コップに注がれた一杯の水のように
静かに澄んでいて、
どちらかが、
さっと一口で飲み干してしまえば、
仕舞いになるようなもののはずだったが、
あまり長く置きっぱなしにしていたせいで、
そもそももう飲めないのではないか
という感じがしていた。
そして、そのコップに、
一矢片の氷が落ちたのだった。!
そう、毒でも何でもない、ただの氷で、
それはほどなく融けてなくなったが、
彼らの沈黙は、
確かに以前より冷たくなり、
幾分かは飛沫が跳ね、水の面は揺れて、
その記憶はいつまでも残ることとなった。
平野啓一郎「ある男」より引用
そう。
高見沢さんも彼の作品に
インスパイアされたのかな、
などと思った。
そう考えると、
我々は実に多くの表現に囲まれていているものの、
こうした表現者の手にかかると、
これまた違った味わいが出て、
印象的なものに変わるのだ!
と感じずには居られないのである。
サトエダ(唐突に終わる(゚o゚;)






















