1952年製プジョーPC40への道/第二章 | 社会不適合オヤジⅡ

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好奇心、いよいよ旺盛なもので・・・

プジョーの再生は遅々として進んでおりませぬ。。。。。。

色々と原因はあるのですが、完成形のイメージが掴みきれていないところも多少問題があります。

とはいえカタログモデルですから、参照すべき画像はあるのですがね。

例えばこんなイメージに再興できたら良いなぁとは思うのです。

多分このフレームは私の所有しているものとほぼ同じ年代のものだと思われます。

ただしモノブロックエンドブラケットを使わずに後年のディレイラーをアッセンブルしてあります。実用的にはこちらの方が操作性や変速性能が良い事はわかりますが、少々残念な気もします。

このPC40はレストアされており、フレームとキャリアは再塗装されているようです。

この時代のモデルってフレームカラーと同色でマッドガード(泥除け)にラインが塗装されているんです。

で、手始めにマッドガードにラインを入れましょうと言うわけで・・・

表面を脱脂してからマスキングして・・・

このマッドガードはアルミ製で且つピカピカにバフが掛かってますから塗料が乗りません。

まずはプライマーを塗って、次に緑色の塗料を塗りました。

全然色が違うじゃん!・・・・・なんておっしゃらずに(^_^;)

クラシックな雰囲気だけは出せたかな、と自己満足♪

タイヤもやはりアメクロでは駄目でしょうということで、パナレーサーのParis-Motoの白タイヤへと履き替えました。

リヤキャリアは仮止めですがマッドガード位置はおそらくこれで本決まりです。

余分な長さのステーのカットはこれからですが。

遅々として進まない理由の2つ目は、このフレームって650Bサイズのホイールじゃないんじゃないかって疑問が出たことです。

肩下寸法が異常に長い、もしや700Cなの?

でもブレーキシューの位置は650Bリムでドンピシャなんですけどね。

なにしろこのブレーキは台座が直付け(専用取付台座が溶接されている)ですから、これよりも大径リムではブレーキがリムに当たりません。とっても不思議。

そうそう、古いユーレーのレバーが見つかったので交換しました。

古いタイプ、とは言え初期型アルビーにセットされていたものですから1958年頃ですが。

テールライトの配線は未処理。ライトはフランスのJOSをコピーした日本製です。

形状はいい雰囲気ですので、これで良しとしましょう。

ホワイトタイヤに履き替えて、とってもクラシックな味わいになりました。

実は使うはずだったユーレーの変速機は諦めざるを得ませんでした。

理由は次の回に書きますが、やはりこのエンドブラケットはサンプレックス用でした。

おそらくはツーリスト・モノブロックを使うのが正しいのでしょうがそれは持っておりません。

サンプレックスのモノブロック用変速機は”46”がありますから、それを使おうかなぁ~

でもそれってチャンピオン・デュ・モンド46のモノブロックタイプですから、本来はレース用のディレイラーです。

このような街乗りの自転車には似合わないですし、使徒目的が違います。

シルエットとしてもチェーンステイの下に長いテンションスプリングがあって欲しいですし。

これは私のランドナー製作途中の画像。

テンションスプリングが図の右方向へ引っ張っているため、チェーンは常に下の黄色矢印の向きに力が掛かり、ギアを架けかえてもチェーンは弛まないという仕組みになっています。

ところがチャンピオン・デュ・モンドは、スライドシャフトの周りにコーン型のスプリングを内蔵することでチェーンの弛みを取る仕組みなのです。

まぁ70年ほど前の自転車を再生しようとしているわけですから、色々と不都合が出てきますね。

1952年のプジョーのカタログ画像がこちら。比較のためにもう一度私のプジョーを乗せてみます。

マッドガードにラインを入れてホワイトタイヤを履かせてみると、まぁまぁ雰囲気的には近づいたかなぁと思います。

さてさて残りの作業はもう少し。

変速機を付けてチェーンを掛けて、ヘッドライトを装着して配線を行えば概ね出来上がりです。

今月中には乗れるかな(^o^)