京都のほんまもんの舞妓さんは綺麗な品のある鮮やかな赤い紅をお召しになっていました
私たち一般のガールズ←私はおばばですが。
がメイクで使う赤いリップやグロスとは違う、青みのない赤
ちなみに、私が舞妓さんや芸者さんみたいな変装をしようものなら、きっと間違いなく小梅太夫ちゃんみたいになるとおもいます
ちっきしょー!って?やらないけどね。
(笑)
着ているボーダーのキャミはSLYのユーズド。萬屋さんでなんと100円でゲット。伸びるのでフリーサイズです。私でも着れるからありがたい。
レディースは昔からお下がりとかユーズドが好きです。昔はこれでも、痩せてた頃はヒステリックグラマーとかヴィヴィアンのも着てた
あの頃、ギタリストとして飯を食えるようになれ、と励まされていた。時に期待も重荷になったりしていたけど、いまでもあの頃そこまで期待してくれていた大先輩がいてくれたお陰で、先日数年ぶりにギターを難なく弾けた、鳴らせたように、後押ししてくれていつも温かくしてくれていた青森の美奈子さんに感謝です。美奈子さんや仲間の皆さんが私を混ぜてくれていたから、私は一応グレずに腐らずに大人になれたし、楽しい青春時代を安全に過ごせた。
私の十代に安易なセックスはいらなかった。この相反する環境があったからこそ、実はいまの暮らしに繋がっている。
いまの好きな人のお父さんと画廊ギャラリーで知り合えたのも、ねぶたのお嬢さんと学校で知り合えたのも、若き日々の十代でした。
事情あって、家から仕事に出れなくなり、引きこもっていた期間もあった。ママもお祖母ちゃんも私をどうすることもできなくて、ずっと最初の流産から立ち直れないでいた私も、いまは毎日外に出て、作業のシーズンではない時も普段はなんとか元気にしている。
私の人生、ヘビー。そう思い込んでいた時期も長かった。いまはヘビーとは思わない。毎日幸せ。
話が通じる友達もいるし、ギターを返せずにいた美奈子さんも許してくれて、当時お世話になった方ともブランクを経て再会できた。
一番印象に残っていた憧れだったお姉ちゃんからは耳にピアスも開けてもらった。ひとつは塞がったけど、ひとつはちゃんと開いてる。
念願だった若き日に叶わなかった小さなタトゥーも信頼できていた兄貴みたいな人に入れてもらった。もうこの世では会えないけど。
で、いまは私の髪の色に合わせておんなじく自分でも染めてくれる優しい好きな人もいる。わざわざ連絡先携帯になくても、十分だし、連絡は私に取りたくなればいつでも取れるようにしてある。
まあとにかく、好きな人や友達、家族に迷惑かけずに恥じぬように生きていたいです。
で、私はいまの好きな人とは2016年に知り合ったのですが、長年同じ空間にいても私からは話したりすることはしないできました。
理由は無視をしていたわけではありません。社会人としての立場を混同してしまわないように、私からは冗談を直接言うとかはしなかった。でもね、ふと考えたんです。挨拶してても、それじゃあ私がしている態度はまるで無視をしているも同然じゃないか、と。
初めて話した時のあんなに弾んだ嬉しそうな顔と口調、雰囲気はいまだに忘れられない。同時にその後に私が返事をしなかったことで、えらい怒らせてしまったのですが。。。
なのでいまではフツーに話してるし、冗談も言う。ずっと仲良くしたかったしね。
ここだけの話、知り合った年度から同じ空間にいる他のかたから、「彼は良い子だよー」と言われ、次に言われたのが「ああゆう人を旦那さんにしなさいねー」、から、いいじゃない、結婚したら?と言われていた。
さすがに、それはなー…相手の好みもあるでしょうに、と毎度やんわりかわしていたが、今年は言われても拒否はしなかった。
まあ成り行きまかせにしとく。
よしなに。



