わたしはじぶんの経験から、感情についてなど、いろいろブログに書いたりしてきました。
今、クリスティン・リンクレーター氏の本「Freeing the natural voice」を友人と読んでいて、その前書きの中にアントニオ・R・ダマシオという脳科学者の名前が出てきました。友人から紹介され、彼の「デカルトの誤り」という著作を読んでいますが、前書きからわたしの考えていたことが載っていたので、驚いてしまいました。
もちろん本自体は、彼の著作の中では比較的易しいらしいのですが、それでも専門的なところは適当に流して、読んでいきました。
わたしがすごく面白い、と思ったのは、感情はからだを通して脳で仕分けられる、ということです。もちろんそんな言葉では書いてありませんが。
これは前頭葉の部分を負傷した方や、病気によって手術した人たちの変化を通して述べられているのですが、からだの機能も知能もどこにも異常がみられないのに、彼らは手術の後、社会的にやっていけなくなってしまった、ということが書いてあります。
感情とはなんだろう、理性とはなんだろう、という話になってきますが、そもそも感情とからだを切り離す考え自体がおかしいということ、感情が脳によって起こると考えられている前提が違うのではないか、ということが述べられていたと思います。
感情、からだ、理性。
ひとが生きるということ、社会的にやっていくということ、すべてはからだから切り離すことができないのです。
まずは自分のなかの協力、協調してくれている仲間に、その仕事を知り、感謝することを思い出す必要がありそうです。
「デカルトの誤り」序文より
~略~
人間の理性は一つの脳中枢に依存するのではなく、さまざまなレベルの神経組織を介し協調して機能するいくつかの脳システムに依存しているという考え方を提示する。つまり、全頭全皮質から視床下部や脳幹まで、「上位の」脳領域と「下位の」脳領域が協力して理性を生み出しているということである。
理性の神経組織の下位のレベルにあるものは、情動や感情のプロセスや有機体の生存に必要な身体機能を調節しているものとずばり同じものだ。一方、これらの下位のレベルは、事実上すべての身体器官と直接的、相互的な関係を保っているから、身体は、推論、意思決定、そしてひいては社会的行動や創造性という、最上位のものを生み出す作用の連鎖の中に直接置かれていることになる。情動、感情、生体調節は、そのどれもが、人間的理性においてある役割を演じている。つまり、われわれの有機体の下位の指令が、上位の理性のループの中に存在するということである。
アントニオ・R・ダマシオ氏のyoutubeがあります。
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荒川克美ホームページ