バジル・クリッツァー氏の「吹奏楽指導者が心がけたい9つのこと」を読んで | カラダのココロ

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アレクサンダー・テクニーク教師の青木紀和のブログ。
よりよく自分自身を使いこなすヒントやアイデアに関する情報を綴ります。

アレクサンダー・テクニーク教師の資格を持つバジル・クリッツァー氏の本を読みました。
「吹奏楽指導者が心がけたい9つのこと」 きゃたりうむ出版


結論としては、以下の点から彼の言っていることに客観性がなく、信頼できない。
・生理学、解剖学的な記述に誤りがある。または誤解を与える表現をしている。
・認知科学、心理学的、生理学的な記述があるが、根拠が不明。
・彼の個人的な主張について、客観的な評価、または実際のクライアントからの感想、第一人者の見解などがみられないため、実際に成果に結びついているのか不明。


以下にこの結論に至った彼の記述をいくつか引用し、それにコメントをつける。

(p14)
・「背スジ」は伸ばそうとしても伸びるものではない。(中略)「姿勢」という機能は、脳のかなり原始的な部分がいちばんうまく担ってくれる、いわば無意識の作業で成り立っている。意識的にはコントロールしきれないのが「姿勢」という機能であり、意識的にコントロールしようとすると、背中全体を覆う、解剖学的には本来的に「腕」を動かすための筋肉を使って力づくで姿勢を作ろうとしてしまいます。

(コメント)
→「背スジ」は伸ばそうとしても伸びるものではない? これは人によって異なる。随意で動かせる骨格筋を使うので、できないわけではない。

→「姿勢」という機能は、脳のかなり原始的な部分がいちばんうまく担ってくれる、いわば無意識の作業で成り立っている?意識的にはコントロールしきれない?となっているが、Anne Shumway-Cookの著した医学書「モーターコントロール(第3版)」(医歯薬出版)によれば「姿勢制御の基礎にある活動システムには高次の計画作成(前頭葉と運動皮質)、協調性(筋応答協同収縮系の協調性をとる脳幹と脊髄ネットワーク)、そして筋力の発生(運動神経と筋)に関与するシステムが含まれ、これにより空間中で身体位置を効果的に制御する運動を作り出す」としており、「脳のかなり原始的な部分がいちばんうまく担ってくれる」という表現とは相容れない。前頭葉と運動皮質は「脳のかなり原始的な部分」ではない。
「無意識の作業で成り立っている」となっているが、姿勢反射のことを言っているのだろうか。確かに姿勢反射はあるが、それは重心移動に反応したりする「倒れない機能」等であって、これで姿勢のすべてが「成り立つ」わけではない。何を根拠にそのように断定できるのか。

→意識的にコントロールしようとすると、「腕」を動かすための筋肉を使って力づくで姿勢作ろうとする? これは人によって異なる。極端な例が必然的に起こるような解釈をしている。また、その後の彼の主張では「頭を動けるようにしてあげると、姿勢はひとりでに勝手に良くなって行きます」と言っているが、これは意識的なコントロールではないというのだろうか。



・特に中高生の場合、姿勢維持の筋肉もまだ発達しきっていません。長時間座って楽器を支え、背スジが伸びたままでいるのは、まだ無理なのです。

(コメント)
→中高生は背スジを伸ばしたまま長時間座ってられないそうだが、本当にそうなのか。何を根拠にしているのか。


(p18、19)
・上達を阻害する「欠点探し」
・「でもまだここがダメ」方式は上達を生まない
(p55)
・「音が外れることを歓迎する」


(コメント)
→こうした奇をてらう考え方でおこなわれる彼の指導が、どこまで成果に結びついているのか。実際に役立った人がいるのか。彼の独自の主張はいいが、生徒からの反応や、実際の結果、第一人者からの見解など、そういった客観的なものが欲しい。この客観的な評価というのがこの本の中に一切ない。
おそらく彼の個人的な経験ではこの考え方が役立ったのだろう。しかし、それが他の人にも役立つかどうかはわからない。



(p46)
・感覚は再現できない。再現する必要もない!?ここでいう「感覚」は、主に筋肉や動きの感覚。「体性感覚」と呼ばれるものです。アンブシュアや呼吸の感覚はこれがメインです。と、同時に、触覚や圧力の感覚もかなり関わっています。


(コメント)
→「体性感覚が再現できない」と言っているが、認知科学的な根拠があるのか。触覚や呼吸の感覚が再現できないなど、少なくとも私には理解できないし、こんなことを言われたら混乱する。


(p51)
・音を出す時、実は胸には仕事がありません。胸は、肺が入っている場所。息のタンクです。タンクから息を出すのはポンプの仕事。ポンプは「みぞおちより下の胴回りの胴体の底」です。タンク自体は、仕事がないのです。


(コメント)
→呼吸の際、特に管楽器演奏のような強制的な呼吸が行われるときは、肋骨も肋間筋等の働きで動き、胸郭は上下して、胸腔内圧を変化させる。これは解剖生理の基礎的な知識だが、それに対して「胸には仕事がありません」とはどういうことか。「胸を動かさないように呼吸をした方がいい」ということを言いたいのだろうか。だとするとそれを固定する緊張が入るだろうし、そもそも呼吸機能を制約していることになるだろう。管楽器演奏にとって呼吸は重要な要素であり、ここに誤りの記述、誤解を生む記述があることは問題が大きい。




(p101)
 「良い姿勢/悪い姿勢」というものは実際には存在しませんが、この社会ではそれがれっきとして厳密に存在するものかのように考えられています。
(p106)
自然でラクで効率の良い姿勢形成・維持機能を引き出すポイントは「頭」です。(中略)頭を動けるようにしてあげると、姿勢はひとりでに勝手に良くなって行きます。


(コメント)
→「良い姿勢」は実際に存在しないと主張しているが、同時に「自然でラクで効率の良い姿勢形成・維持機能を引き出す」や「姿勢はひとりでに勝手に良くなっていく」と言っている。これは良い姿勢を導こうとしているのではないのか。自己矛盾に陥っている。
「良い姿勢について一般化されているものはない」と言いたいのだろうか。だとすると、「実際に存在しない」というのはおかしい表現である。ここでは彼にとっての「良い姿勢」を詳しく説明すればよいだけではないか。



(p111)
なぜ私たちは頭を固定したり引っぱり下げたりして全身を硬くさせてしまうのでしょう?これは頭を守る反射的で原始的な防御反応であると見られていますが、それにしたって難病でもない限り「勝手に」起きたりしません。


(コメント)
→反射的な反応であった場合は、特定の刺激があれば「難病でなくとも勝手に」起こるものとなろう。よくわからない表現である。



とりあえずここまで。以下は私の総括です。


彼が経験を通じて知り得たことを公にして、それを他の人に活かしてもらおうと思って書いたものだと思う。しかし、上記のような点を考慮すると、検証不足で、知識になり得ない。役立つ知識もきっとあるのだと思う。特に演奏に関する技術的な部分については、その経験が活かされているところもあるのだろう。しかし、全体に客観性がみられず、独りよがりの主張としてしかみれない。結果的に、演奏技術の部分についても信頼できないため、私は参考にはしない。

監修者は記載されてはいなかった。彼の指導者に指導を仰がなかったのだろうか。

彼を知っているのだが、人柄は悪くないと思っている。人をひきつける話術、文章力のある人だと思っていた。しかし、この本の内容は残念だった。彼には、彼の指導者から受けた指導だけではなく、先人達が培ってきた知識を敬意を持って勉強し、自らの論拠と主張を謙虚に精査してもらいたいと思う。

彼がこの本の中で説明しているアプローチと、私のレッスンでのアプローチは異なる。結果も異なってくるだろう。対案となるであろう私の体の使い方の方法論の詳細は、私もまだ書籍のような形では発表していない。ここでは批判しただけになっているが、彼の著書でこのワークの質や価値に対して誤解が生じてしまうことを恐れ、また同じアレクサンダー・テクニークをベースにしているが、同列で扱われたくないことを伝えたく、これを表した。私の方法論の概要はウェブで示しており、日頃のレッスンでクライアントにはお伝えしているが、詳細を公にするのは別の機会としたい。



(後日談があります。2月1日に加筆)

私が指摘した誤りを彼は認識したのにも関わらず、謝罪や訂正を行おうともせずに、
「次の本に活かせるから、よかった」とかfacebookで投稿されていました。
しかも、その投稿でamazonへのリンクを貼って、誤りのあるままの本の購入を促す

この対応をみて、空いた口がふさがらなかったですね。

彼の本はAmazonのプリンド・オン・デマンドという製本形式で、
おそらく注文毎に少量を印刷する形式です。
だから一端、差し止めて、訂正した形で作り直すことは普通の出版よりも
断然ラクなはずなんです。

それでも止めようとするわけじゃない。

このため、本の読者のことを考慮して、彼に訂正することをfacebook上で促したんです。
そうしたら、なんとfacebookの彼のアカウントから私はブロックされてしまいました
(要は排除されたこととなり、私は彼のfacebookアカウントは見れないし、私の投稿も表示されない。これからは投稿もできない、という状態です)


これはつまり、彼のfacebookでは「批判は受け付けませんよ」ということです。
私はもちろん投稿できませんが、彼の生徒が批判的なことを書こうものなら、
同じようにブロックされかねないということです。
とすると、彼のfacebookアカウントは公平なサイトではなく、
批判が一切載らない仕組みになっている
、と見てもおかしくはないでしょうね。


facebookは双方向性の比較的公平な見方ができるブログという位置づけだと
思いますが、少なくとも彼のアカウントは公明正大ではない、ということがわかりました。


私が投稿したのが1月27日の午前中だったと思います。
その日の午後には彼のアカウントがみれなくなっていた。

投稿の下書きをメモに残していたので掲載しておきます。
彼は間違いなくこれを読んでいる。これを読んで彼がコメント返信したものがメールで来ましたから。でも、すぐに削除されていたけど。


(1月27日の彼のfacebookアカウントへの私のコメント投稿)
言論は自由なので、君が何を言おうが自由です。しかしその自由である言論には責任が伴います。

君がとった対応は「誤りを自身で認めながら訂正や読者に対する謝罪もせず、さらにリンクを貼ってその本の購入を推奨する」

君にはその責任というものがよくわかっていないようだから、私が想像する程度のことを少し述べましょう。
・読者が誤った理解をしてしまうこと。
・君が本で引用した指導者であるキャシー・マデン氏、フランク・ロイド氏の指導法が「胸には仕事がない」というような知識を教えている、またはそうした考えで指導をしている、と思われてしまうこと。そして、彼らがこういったことを言っていなかった場合は、彼らの名誉にも影響しうること。
・君も講師をするBody Thinkingという主に解剖の知識を教える講座では、解剖学的に誤った内容がそこかしこにあるような講座と思われるということ。他の先生もこんなことを教えているのか、と。


その影響は同じアレクサンダー・テクニークの教師資格を持つ先生達にも及ぶことを恐れ、今回のレビューを載せました。ブログにはより多く誤りと矛盾を指摘しました。http://ameblo.jp/alexlesson/entry-11455715407.html
私達には、先達が培ってきた経験と知識をよりよく伝える義務があると思うからです。その義務は私達が受けた恩恵に対する感謝の心から生じるものです。私にも批判に対する責任が生じます。それなりに時間をかけて慎重に書いたつもりです。

こうした責任は本が現在のままありつづけるだけ今後とも続くことになる。

自身の主張の結晶であろうこの本に愛着がありませんか。書き捨ててしまうんですか。
amazonのオンデマンドプリントというもののようだが、気軽に刷り直せるようだけど、訂正したものを刷り直すことも選択肢に入りませんか。出版社がからむからそう簡単にはいかないのかもしれないが、出版社の信頼性にも関わることだし検討してみてもいいのでは。

君を応援してくれるファンがいることはすばらしいこと。役立つ知識があるのなら、よりよい形にして伝えてもらえればと願う次第です。

(以上)


彼には倫理を持ってこのワークを広げていってもらいたいが、
それが口でいくら言ってもわかってはもらえない。

影響を最も被っているのはその読者であり、彼の生徒です。
誤りを真実と認識したままとなるし、どこかで綻びがでても本人はわからない。

このため、彼への批判をこのままするのではなく、
吹奏楽者の人達へ対案となる私のレッスンを知ってもらうしかないと。

そこで、吹奏楽者向けに特別キャンペーンを実施して、
できるだけレッスンにきやすい環境を作り、
多くの吹奏楽者に間違った認識を持ってもらわないようにしようと。

その名も「吹奏楽者向け(訳あり!?)特別キャンペーン」です。

違いを知ってもらいたい。正しい情報の基でよりよく身体の使い方を知り、
自己を楽器と音楽を通じて表現してもらいたいと思っています。

吹奏楽者のみなさん、ぜひ一度体験レッスンにきてみてください。

詳しくはこちらをどうぞ。
http://www.alexlesson.com/wp/?p=916


長文になってしまいましたが、ここまでお読みいただいてありがとうございます。
身内のような人への指摘に付き合わせてしまうような形で恐縮です。