怒りっぽい。でもなんとかしたい。 | カラダのココロ

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アレクサンダー・テクニーク教師の青木紀和のブログ。
よりよく自分自身を使いこなすヒントやアイデアに関する情報を綴ります。

生徒さんが
「さっき父親と口論になってしまって。私って、怒りっぽいんですよね~。こういう怒りっぽいところって、どうしたらいいんでしょう?」

体の使い方じゃなくて、心の反応か。
かなりの難問だ、と思ってしばらくお話を聞いていました。

生徒さん
「あ、でも最近は怒ることも減らすようにしようと思ってて、実際に減ってたんですけどね。でも、今朝はどわっ、と出てしまいました。怒ると体全体に緊張が入りますからね。」

そのことを聞いたときに、ふと体視点からのアイデアが生まれた。

「体に気づくことを続けていくのがいいんじゃないでしょうか。
『怒る』ことが『損している』と実感しないと、変われないのかもしれませんよ


「怒る」ってけっこうエネルギーがいる。体全体の筋肉がこわばるし。
怒った後というのは、とっても不快。顔に血流が集まってる感じがしたり、
ときには頭痛すら誘発するだろう。あ、これは私の経験ですが。

だけど、怒っても解決しないときがけっこうある。
逆に怒ることで色々とこじれたりすることもあるかもしれない。
だとすると、怒れば怒るだけ、体の緊張は増して、
自分が損をすることとなる。

体への気づきはこの「損した感じ」をより強めるのではないか。

体の緊張に気づきがあれば、「あれ、なんでこんな力はいってんだろ」と思う。
「相手が悪かったのに、なんで自分がこんなに力入ってて、しかも不快にならないといけないんだろう」と、自分への影響を認識できる。
しかもこのレッスンで、その止め方を知っていると、
「こんな余計な力みなんて、入れなくてもよかったはずなのに!」と

こうした自分への悪影響の程度を、体の緊張やその後の影響も含めて
充分に認識でき、かつそれがコントロール可能であることも認識すると、
「損した感じ」がなおさら強まるだろう。
「こんな緊張やめられたのに。馬鹿みたい」と思えるから。

しかし、体の気づき、体の緊張への気づきが少ないと、
怒った後に不快なままが続いてしまったりする。
だけど自分への気づきが少ないので、「損した感じ」が少ない。
または損したとも思わない。

人ってやはり、その変化にメリットを感じないと、なかなか変われない。
しかも実体験を伴わないと。
ただ、「怒るのはよくないことなんだ」と言い聞かせても難しいのかも。

しかし、不快な感じという実体験を充分に認識して、
しかもコントロール可能だったのにという後悔も感じると、
意外と次の機会の時に、「冷静でいようかな」と本心からそう思えるのではないかなと。



と、こんな風に説明していました。

この生徒さんが「最近は怒らないようにと思っていて、、、」と話されたんですが、
今まではただ体の使い方や、体への気づきをやっていただけです。

生徒さんが自分で自分の過剰な情動の抑制を考えられていたんです。
それがヒントになりました。

なるほど、「体への気づき」というのは自分の情動にもこういうプロセスで役立つんだ、と。

そういえば自分も怒る機会はめっきり減った。
確かに「怒った後に疲れる自分」がいることの認識が
頭にあったからだ。

ぜひこの体と、体の反応に気づいてみてください。
それとそれがコントロールできるものなんだと。
そうすると「怒る」ことがどれだけ自分の損になっているかが
とてもよくわかるようになりますよ。


あ、ちなみに、この生徒さんは去年までは冬は毎年腰が辛かったそうなんだけど、
今年は腰に問題を感じなかったと言っていました。よく眠れるようにもなったそうです。
これだけ体の変化が出てくれば、情動後の自分の体の認識も深くなるでしょうね。