成長が実感しやすかった。ヤマハのアーティスト育成を担う松野さん | カラダのココロ

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アレクサンダー・テクニーク教師の青木紀和のブログ。
よりよく自分自身を使いこなすヒントやアイデアに関する情報を綴ります。

ヤマハミュージックで、新人アーティストの育成をされている松野 裕太さんが、アオキアレクサンダーレッスンのコースレッスンの感想を教えてくれました。本人もドラマーで活躍されている方です。

以下、本文より。
"表現力を増していく上で、重要な要素の一つとなるのが、このアレクサンダーテクニーク"

”青木先生のお話は、何よりアイデアが具体的で「こういうことをすると、結果的にこういう状態になる」という「すること」を与えてくれる。「やめることによって楽になりたい」のではなく「することによって向上していきたい」僕にとってはとてもやりやすいし、成長が実感しやすかったです。”

ドラマーの方や、自分のパフォーマンスに「頭打ち感」を感じている方に、参考になると思います。
このレッスンで、今までの状態からどのように変化することができて、ご自身の思いの実現に役立っているかが、とてもよく書かれています。


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$カラダのココロ(ヤマハミュージックパブリッシング 松野 裕太 さんの体験談)

僕は中学3年生の時にドラムを始めたのですが、昔から「やるなら極めなきゃ気が済まない症候群」であり、何か人生を懸けてやるに足る素晴らしい職業をずっと探していた僕がたどり着いたのがドラムだった――もちろん本能的に自分はコレなんじゃないかというヒラメキも大きかったですが――ということもあり、かなり早い段階から「究極の8ビートを叩きたい」という目標があったような記憶があります。

そして試行錯誤していくうちに必要だと思ったのは、「目標への最短の方法をなるべく早く探し、それをとにかく練習すること」であり、その「方法」は「音楽をわかるようになること」と「楽器を自由に扱えるようになること」である、という結論がぼんやり見えてきたのは、大学1年生の頃だったような気がします。

恐らく音楽をやろうと思う人には大きな壁が二つあると思うんです。
ひとつは「はじめたてで何をどうしたらいいのかわからない状態の時」、そしてもう一つは「ある程度できるようになって成長が頭打ちになってきた時」です。

最初の壁は音楽への情熱と、先に発表の場を作ってしまうことによる危機感、その経験で乗り越えてしまう人が多いように感じます。

つまり僕は問題の本質はもうひとつの「成長が頭打ちになってきた時」=「自分がよくなっていっているという感覚がなくなってしまった時」にあると思っています。

僕が知る限り、多くの人がそれもより経験を積むことで乗り越えようとしているのですが、結果として乗り越えられず、自分の限界を定めてしまっていたり、「音楽ってこういうものだ」と思ってしまっている人もまた多いような気がします。


僕は音楽は無限の可能性があるものだと思っています。
なるべくいろんな音楽を聴いて「そもそも音楽っていったい何なのか?」「なぜ自分がある音楽に興味を持ってしまうのか?」といったきっと誰しもが抱くであろう疑問に対して今までの音楽史から自分なりの解を見つけるということはとても重要なので、ぜひ考えてみるべきだと思いますが、その過去の表現の仕方にはとらわれ過ぎる必要もないと思います。

そして楽器を扱う能力やアンサンブル能力が上がってくれば、言語化できない表現をそのまま伝えることができるので、「ジャンル」ということだけではなく、「気持ち」だって「カッコよさ」だって、「色」や「光」「未来」なんてあいまいなものを直接的に表現することだって可能なんだと思うし、そうやって自分の想像を超えていくことができてしまうということこそ、ミュージシャンにとって最も大きな喜びの一つなのだと思います。

そして、そういった表現力を増していく上で、重要な要素の一つとなるのが、このアレクサンダーテクニークだと思います。

音楽はリスナーとのやりとりで成立する部分もありますが、自分の内面を表現するという部分も大きいものですし、楽器もある程度自由に扱えるようになるまでその楽器に特化した練習が必要ですが、実は最終的には自分の身体のコントロールが最も大きな部分を占めるのだと、僕は思います。

例えば、まったく同じ条件下でも演奏する人間によって全く違った演奏になる、というのはある程度の音楽経験者であれば知っていることだと思いますが、「自分の想いをシンプルな形に集約する」というところに興味があった僕としては、よりこの「個人による違いの謎」=「身体のコントロール方法の謎」を解く必要があったわけです。

そこに対するこのテクニークの果たした役割というのは言葉にできないほど大きかったです。
確かにこのテクニークが有する、解剖学や生理学的な面からのアプローチは、その気になれば自分で資料を集めて勉強することは可能です。

しかし実際受けてみて気づいたのは自分の「正しいと思っていたこと」がいかに自分の「無意識のクセ」によっておかしな状況にあったかということです。

特に「動き続ける中での身体のよりよい使い方」を知れたのは、自分のプレイスタイルを作っていく上で大きな道標となりました。

確かに言われても気づかないくらいの「ちょっとした違い」でしかないと感じるものも多いです。
でも、僕が音楽に求めているものも、人々が音楽に求めているものも結局は「ちょっとした違い」、もしくはその「積み重ね」でしかないのだと思います。


今まで様々な先生のレッスンを受けましたが、青木先生のレッスンは僕に言わせれば「引き算のアレクサンダーテクニーク」なんです。

どうしても「力を抜く」、「何か余計なことをするのをやめる」、ということで本質に迫っていくので、結果として「何をしたらいいのか」、ともすれば僕自身が一時期なってしまったように、「何もしてはいけないのではないのか」、という考えに行き着いてしまうような、神秘的な部分の多いこのテクニークですが、青木先生のお話はわかりやすいですし、何よりアイデアが具体的で、「こういうことをすると、結果的にこういう状態になる」という「すること」を与えてくださるので、「やめることによって楽になりたい」のではなく「することによって向上していきたい」僕にとってはとてもやりやすいし、成長が実感しやすかったです。


さらにアレクサンダーを受けて得た予想外の嬉しい誤算は、日常動作と演奏技術の向上をより強く結び付けられるようになったことです。

基本的にアレクサンダーテクニークは、よりよい身体の使い方を学んでいくものなので、演奏の時のみに特化した話ではないわけです。
ですので日常動作と演奏技術の向上をリンクできるようになって以降、デスクワークや、ほかのミュージシャンの指導やディレクションに費やす時間が増えても、楽器を演奏できないことによるストレスを感じることは大きく減り、むしろより多くのことができるようになる可能性を感じられるようになりました。


僕は最近「リズムクリエイター」という職業を作りたいと考えるようになりました。
つまり、直接ドラムやパーカッションでリズムを創り出すことはもちろんのこと、いい音楽を創れそうな状態をつくること、そして音楽だけでなく社会に対しても、いい流れ=リズムをつくれれば、うまく物事は運んでいきやすい…そんな自分の感じるよりポジティブになれる環境を提案、創造して行けるような仕事ができるようになりたいと考えるようになったのですが、それもこのアオキアレクサンダーレッスンを受け始めた影響は大きいです。

これからも青木先生にはお世話になっていくと思いますが、ひとまずありがとうございました!!
引き続きよろしくお願いいたします!

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