「後藤田さんは、はっきりしない人は嫌いだったから、後藤田さん自身も曖昧な答弁はしなかった。会見で後藤田さんがごまかそうとしたり、前言を翻すことはなく、若い記者が嫌味な質問をしても誠実に答えていた。
番記者には『会見では君らの背後にいる国民に向けてオレは話しているんだ』と言っていた。たとえ気に入らない質問でも誠実に答えなければ駄目だと考えていたのだと思う。国家を代表して国民と対話しているという意識が後藤田さんにはあった。それが品格ある会見になっていた。
内閣総理大臣の守護神ではなく、国家の守護神。だから首相をただ守るのではなく、時には首相にも堂々と異論を唱えた。官僚出身の政治家だけに、官僚には厳しかった。最近の公文書偽造みたいなことがあると、後藤田さんは烈火のごとく怒って、記者会見でも怒りをぶつけていたと思う」
後藤田氏は、追及が厳しくても勉強している記者を評価し、ご用聞き的な記者を相手にしなかった。
アメリカではホワイトハウスで記者章を取り上げられて話題になった、CNNのジム・アコスタ記者とホワイトハウスの報道官との対立以降、報道官による会見は開かれなくなってきているようだが、トランプ大統領は1日あたり1、2回の記者のぶら下がりに応じている。もちろん、事前質問は一切ない。一方、安倍晋三首相は昨年も一昨年も、首相の官邸会見は年に4回程度。受け付ける質問は毎回5問程度しかない。説明責任を果たしているとは決していえない状況だ。
日本の場合は総理大臣をはじめとする政府高官の記者会見において、質問を事前に通告する習慣が定着している。このときの福井総裁の会見がどうだったのかは知るところではないが、アメリカではありえないことだ。たとえばトランプ大統領の記者会見では何をぶつけてもいい。オバマ前大統領も同様だった。
テレビの弱体化に拍車がかかったターニングポイントは、総裁特別補佐だった自民党の萩生田光一筆頭副幹事長が2014年12月の総選挙前に、在京テレビキー局の官邸番記者に手渡した編成局長と報道局長宛の文書だった。
自民党の福井照報道局長との連名で作成された要望書には、A4判の紙一枚のなかに公平中立や公正という言葉が何度も登場していた。解散総選挙へ向けて偏向的な報道とならないことを求めた文書は、要は政権与党が不利益を被るような報道を禁じるものであり、報道の自由を踏みにじる弾圧に等しいものだった。