小島健太郎さんの言葉「AP40はどんな図形も読み込めないといけなかった!」 | 藤村佳久のブログ

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私が、PCLプロジェクトを外れて、アマダのソフト工房10階のアムテック本体に戻った時に、AP40の開発の創始者だった小島健太郎さんにAP40の図形について尋ねた時に返ってきた言葉が「AP40はどんな図形も読み込めないといけなかった!だから、ああなった」でした。

当時、私はAP100(PLSモデル)のモデル設計を終えていたけど、AP40の展開図形について多くの疑問を持っていたわけで、AP100(PLSモデル)の展開図形はAP40とは異なった点が多く、擬似B-Rep表現で設計をしたことに悩んでいました。

そんな時に、伝説の営業マン前川覚さんからも生産管理ソフト部隊のウエダさんからもAP40を開発したのは小島さんだと伺っていたので、藁をも縋る思いで小島さんに質問を投げかけたのですが、その回答は私を更に落胆させるものでした。

元々、NewAP構想からIOTAモデルが提起された時に、IOTAモデルは図形データを単なるCADの図形として保持するには良いのかもしれないが、板金用のCAMに適用する図形とした場合には、とりわけ自動加工を前提とするような外形や内形や図形穴などを識別させるには、IOTAモデルの図形を毎度スイープして検索しなければならず、これってCAM用の展開図に不便と感じていた。

井一義人さんや小木曽さんや田辺和生さんが米国の間(はざま)さんと交渉して米国出張から帰ってきたら、彼らは基本的なマニュアル割付のCAMは米国のAmPunch for Windowsにして、NewAP構想のIOTAモデルは自動加工のみとするという仕様にまとめてきたという。なんとも、変な構成(マニュアル割付と自動加工割付を別アプリにするという)に落胆すると同時に、それだったらIOTAモデルも自動加工に向いた図形にチューニングしてしまった方がいいのではと思うようになった。

後に知ることになるのだが、モデルを主担当していた旧姓北村瑞穂さんが図形について分かっていなかったことにも、大きな問題があった。彼女はDUO青木保社長が書いたモデル図にAP60からの工具軌跡や段取り部分(機械や工具の情報部分)などを埋め込んでいたわけで、図形についての見識が極めて薄かった。つまり、青木さん任せだった。