英語劣等生アメリカで弁護士になる。

英語劣等生アメリカで弁護士になる。

学生時代に実現出来ずにいた夢を追う為にも
アメリカンドリームを叶える為にも
「私アメリカで弁護士になる!」と大宣言。
1年後、単身渡米。
苦労の末、晴れてアメリカで弁護士となる。

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秋篠宮家の真子様の婚約者の小室さんがニューヨークの法律大学院から授業料免除のスカラーシップをもらいこの秋からロースクールの学生になられたという記事をよんで 6年前のこの古いブログを更新することに決めた。小室さんの法曹職への適性などは存じあげないが アメリカでは 大学へなら奨学金として(返還義務のない)留学する方法ななくもないけど、アメリカ市民でもない小室さんにそれだけのお金をロースクール側が援助するっていうのは前代未聞だ。真子さまと将来結婚される方ということで ロースクールからすれば PR効果大という忖度が働いたとしたら ちょっと残念。 アメリカ市民のかた、もしくは他国からの留学生でも 卒業後、アメリカに腰を据えてアメリカ市民のために活躍する法律家となるビジョンを持った方にその奨学金を授与してほしかったなというのが実感です。

 

私は アメリカ司法局などをへて 現在は アメリカの民間企業で働く弁護士。フロリダでたぶん最初の日本国籍をもつフロリダ州の弁護士だとおもう。(正確なデータはないけど)自慢じゃないけど もとクライアントには 某メジャーリーガーの大金持ちもいたし殺人犯もいた。大金持ち専門の離婚弁護士事務所を最後に法廷弁護士を一時休業して いまは企業の法務のほうをやっている。おもにAsia 特に中国、日本 シンガポールをターゲットにした薬事法務。

ロースクールをでて民間の刑事事件専門のイソべん6ヶ月、その後フロリダ州の法務部に採用されて裁判所のスタッフ弁護士として12年勤務。刑事部から家裁 少年部 民事から全部いきましたよ。配置換えが2-3年ごとあるので。でもどの部署でも判事たちにまかせられた事実認定やってベンチメモと呼ばれる法律解釈論文かいて 予審から最終審理まで ずーとその案件にかかわり判決文書いてなどがおもな仕事。州政府ではたらく法曹家って地方検事だったり判事だったりすごく 政治にかかわってくる。ブッシュ前大統領の弟がフロリダ州の知事だったころにフロリダ州の公務員弁護士していたわけで ご本人ともおあいしたことは数回ある。お友達になるまでには いたらなかったけどご挨拶や握手ぐらいはしたよ。

 

で これからわたしがアメリカで弁護士になるまでの自己紹介をしよう。私が日本に住んでいた1980代は世間はバブルの真っ最中。みんなが財テクにはしり首都圏から端を発した地上げは地方の小都市にまでその影響を及ぼしていた。地方都市にすむ農家は土地デベロッパーに土地を売ることで一挙に億万長者となり, 財テクにはしっていた。

銀行証券金融界に就職した同級生は20代後半で一回のボーナスがかるく二本(200万)まだアメリカから学ぶものが多くあったあのころ 企業内留学制度を利用してMBAを取得して帰国する人も多かった。でも私は そんな中で とんでもなく地味な毎日を送っていた。そう私は26歳で 地方に飛ばされた会社員の妻であったのだ!東京で 就職した友人たちは ジュリアナのお立ち台でおどっていたころ 私は夫の転勤先である北陸地方の小都市にすんでいたのだ。京都からJRで2時間30分。急行が3分だけ駅に停車した。ちいさな駅前にはすし屋とそば屋が一軒ずつあった。

 

子供がよーやく3歳になって3年保育の幼稚園に通いだし毎日4時間ほどの自由時間ができた。

その時 長年温めていた計画―アメリカで弁護士資格をとるーことを実行する決意をした。日本の法曹資格を先にとっておくことも考えたがそのころの私の学力では残念だけど司法試験はとても手に届くゴールではなかった。英語が抜群にできるわけでもなかったけれど、大学時代アメリカに短期留学をしたので普通の大学の学部ぐらいにはもぐりこめる英語力はあった。

 

ロースクール入学のために必要なLSATを独学で3ヶ月ほど勉強し1990年春、国際基督教大学で初めてのLSATを受験した。結果はしかし全受験者のうち下から35%ぐらいとういう散々な成績であった。これでは名門校はもちろん、地方の州立大学でも最低 倍率が50倍近いというロースクールには及びもつかない。問題がむずかしいわけではないのだが、とにかく読むスピードが アメリカ人にまけている。仕方なく1年間アメリカの大学に留学しながら同時にロースクール受験の準備をすることになった。

 

 

 

 

つずく

 

 

 

 

アメリカは州によって法律もちがうし独立した一つの国のように、州憲法ももっているので、ニューヨーク州のロースクールを卒業したといっても、他の州で弁護士として登録できるわけではない。私はフロリダ州のロースクールに在籍していたので、ロースクール卒業後は まずフロリダで弁護士資格を取ることにした。あとは仕事を見つけ経験を積んで 機会があれば 他の州の司法試験を受けてみるのもいいかもと考えていたのだ。 

時は いまからおよそ20年前、司法試験をあと3週間に控えた7月4日。この日はアメリカの独立記念日。公共機関をはじめ企業も学校もみんな閉まるというのに私は ロースクールの図書館で 夏学期最後の模擬裁判の準備をしていた。クラスメートの ちょっとおとなしっぽいマクブライト女史がパートナーとなることになった。私は 架空の女性、 リンダ ロバーツの原告側訴訟弁護士。彼女の足にけがを負わせたこれまた架空の男性 アリ ウインター被告を相手どって民事訴訟を起こして裁判員裁判をするというもの。原告側証人が 証人2人 被告側4人が 証言することになっていた。 学校には 実際の法廷とそっくりに作られた部屋があり、7月5日地、そこで6時間以上もの模擬裁判が行われた。

 

模擬裁判の判事である裁判官を務めたのは 現職の裁判官、フロリダ控訴審裁判所のパーカー判事で 彼の怖さというか、厳しさはほんとすごかった。 ふだんは緊張で上がるほうではない私も 用意していた証拠を判事に証拠能力ありとして認めてもらうための証拠法の規定番号がすらすら出てこなくて 冷や汗の連続。 相手はロースクールでも頭の切れる タバサとスワリナというコンビ。それに法廷にはビデオカメラがあって 自分の一挙一動が模擬裁判中 録画されている。ビデオカメラが点滅しながら 自分の動きにつれて左右上下に動くのは ほんと恐怖でビビってしまう。 自分のしゃべり方、証拠の出し方、裁判員に向けての冒頭陳述の内容や、声の抑揚、目線のもっていき方などなど、まるで ハリウッド映画の俳優なみの演技力も評価されるとあって ほんとに大変。

 

ちなみにこれは過去の裁判員経験者からもよく聞くことだけど、法廷での弁護士の態度や表情や、話し方から その人が信頼おける人物かどうか 好感が持てるかどうかっていうのも裁判員判決に影響するとのことで、こんなことで無罪の人が有罪にされたら当事者は溜まらないだろうけど、人間なんて、理屈ではなく 好き嫌いで決めてしまうようなところがあるので 文句いっても仕方ない。 裁判員受けするように、できるだけ万人受けする濃紺のスーツきてぴかぴかに磨いたまたは新しい靴をはいて 派手にならない程度のメークして、髪も首筋がキチンと見えるようにアップにして (なぜか知らないが そのままだらーと伸ばしたヘアスタイルで法廷に来る女性弁護士はあんまり見かけない。みんなきっちりアップにして前髪もぱっつんしている) これもまあ仕事のうちなんだろう。 2年前に小保方女史が記者会見されたとき頭に浮かんだのが 私のロースクール時代の模擬裁判。 あの方はアメリカでの経験をあるし、コーチにみっちり演技指導してもらってるなっていうのが私の実感。 

そして、模擬裁判の結果は後日アップします。