明治期に活躍した日本人の中で、戦の女神に厚く守護されていたのが東郷平八郎であるならば、
マネーの神様に強烈に守護というか可愛がられていたのは高橋是清だろう。
是清翁の一生は、まさに波乱万丈。出生からすでに波乱の中にあり(嫡出子ではない)、幼少期には騎馬武者が全力疾走させる馬に轢かれて一回死んだこともあったり、またアメリカに留学で渡ったはずが、奴隷として売られてしまっていたり、でも英語はペラペラになってたり、
なんとか日本に戻ってきて英語の先生の仕事を紹介してもらったものの、芸者遊びにはまってしまってクビになってしまい、無一文になってヒモ生活を送ったり、でもこの時期に世の中の景気がいい状態というものは、赤提灯が賑わっていることだ、ということに気づき、大蔵大臣になったとき、この庶民の肌感覚での景気の良し悪しの感覚が役に立ったり、
しばらくしてまた仕事を紹介されて小金がたまったものの銀相場の詐欺に遭ったり、これに懲りずに南米ペルーでの銀山開発の詐欺に遭って再びほぼ無一文になったり、と若い時は散々な目にあってますけど、なぜか不思議と運がいうか、結局すべてがいい経験になっててあとあと大いに役に立っているところが面白いです。無一文になってドン底に落ちてしまっても必ず誰かが引きげてくれてます。ご自分でも「自分は運が良い」と良く仰っていたそうですね。
しかし、このペルーでの銀山開発詐欺以降は、日本の国家的金運を一身で背負って立つかのような活躍が始まります。
日露戦争が勃発した時は、戦時外債を売るべく、まずアメリカに渡ったときは全く相手にされなかったものの(日本がロシアに勝つなんて天地がひっくり返ってもあり得ないとだれもが考えていた)
次に渡ったイギリスではとある銀行家の晩餐会でたまたま隣り合わせた銀行家ジェイコブ・シフが奇跡的に日本の外債を引き受けてくれましたが、これも是清翁の強烈な金運が引き寄せたとしか思えません。
その後、大蔵大臣を5回も歴任し、世界恐慌の際もちょうど大蔵大臣で、日本を最速で恐慌から離脱させたのは是清翁の手腕の賜物でありました。
つまり、是清翁は2度も 日本の国家存亡の危機を、金融面において、その強烈なる金運で救った、と言えます。
1度目は日露戦争の外債を売るため英国に渡った時、
2度目は世界恐慌の時。
軍事予算を増やすことを頑として認めなかったため、226事件で凶弾に倒れてしまいましたが、個人を超越した国家的な金運の持ち主であり、清濁併せ呑む器の大きな日本人だったと思います。
人生に迷った時は是清翁に教えを請うことにしよう。