6月18日。
朝は雨が降っていたが、晴れ間もあるようで、オスロ市内の名所をあちこち歩くことにした。


ホテルのレストランから見た、朝の風景。
傘はほぼ全員、黒。
女性はすべてスニーカー。
オスロの2日間で、パンプスを履いている女性を見たのは、たったひとりだけであった。

質実剛健そのものだ。



まずは、ホテルのフロントの中国人の若い女性(私が彼女の英語を聞き取れなかった時、Do you speak English ?と聞いてきた、ちょっと生意気な可愛い子・私は耳が遠いだけじゃ・笑)に行きたい所を伝えた。


昨日のような間違いを犯さないように、トラムの路線番号も聞き、地図も入手していざ出発。


まずは、カールヨハン通りを真っ直ぐ歩き、王宮まで行くことにした。


雨もやんだオスロ大聖堂。



ところが、夫がトイレに行きたいと言い出して、急遽行き先、変更。


トイレが確実に見つかりそうな所は、やはり美術館か博物館である。


小野陽子の特別展示をしていたノーベル平和センターがすぐ近くにあったので、そこに目的地変更。


幸いトイレはレセプションを通る前にあり、出入り自由。

オスロでは、公衆トイレは稀にしかなく、クレジットカードで5NOK(75円)払って入る。
駅のは20NOKもした。

しかも壊れてる所もあり、うちの場合、大惨事になる場合もありそう。

とにかく、セーフ。

せっかくだから、中に入る。

YOKO ONO 、有名なんだね。


どこから来たか、スタンプを押す世界地図。


オバマのスピーチが流れていた部屋。


ノーベルメダル。


メダルは、ノルウェーの有名な彫刻家のヴィーゲランデザインだと知った。


メダルの裏。


あなたは誰にノーベル平和賞を送りますか?というコーナー。


(仕方なしに)お互いにノーベル平和賞を送り合う。


ダライラマ。



ノーベル平和賞だけ、ノルウェー人の選考委員が選ぶことになったのは、ノーベルの遺言だそうだ。


ノルウェーは人口557万人の小国ではあるが、以前からその外交手腕はなかなかのもので、1993年、イスラエルとパレスチナにおけるオスロ合意の仲介役として名を馳せたこともある。


ノーベル記念センターの前で。