ロストラゲージと言うハプニングがあったものの、京都駅に14時51分には到着。

 

友人Yが留学していた関西外大を訪問する時間は、充分ありそうだ。

 

私は、京阪電車沿線の樟葉(くずは)駅近くに19年間住んでいたし、Yが暮らしていた寮は、その隣の牧野駅が最寄りの駅だった。

 

なので、樟葉駅で下車して、私とYのそれぞれの思い出の場所を、タクシーで巡ることにした。

 

新婚時代から住んでいた懐かしい街・楠葉(くずは)。同じ読みなのに、なぜか駅名は『樟葉』で、住所は『楠葉』なんだよね。

 

くずはモールが、素晴らしく大きくなっていて驚いた。

 

 

タクシーに乗り込み、まずは、私たちが住んでいた、くずはセンチュリータウンに寄ってもらう。

 

 

くずはセンチュリータウン。駅から歩いて数分で、当時は人気のマンションだった。 今でもきれいだね。

私たちは、右の棟、二番館の7階の角部屋に住んでいた。

 

 

ここに住んでいたのは、私たちも若く、希望に満ちていた頃だ。毎日が楽しかった。

仔犬だったアレックスも、ここで大きくなった。


そして、当時留学生だったYやTと仲良くなり、家に招待したり、一緒に旅行したのも、このセンチュリー時代の出来事だ。

懐かしさで、胸がいっぱいになった。

 

 

さて、次は友人が暮らした関西外大の留学生たちのための寮、セミナーハウスだ。

 

事前に私は、

『友人が来日すること、また彼女が以前住んでいた寮を見たがっていること』

を、関西外大の国際交流部にメールしていた。

 

すると、とても親切なスタッフのNさんが返事をくださった。


当時の留学生たちが暮らしていたセミナーハウス1は取り壊されて、今は民家になっていることを教えてくれた。

さらには、セミナーハウスのあった片鉾周辺の地図も添付してくれ、30年前のセミナーハウス1はこの辺のはずだと⭕️までつけてくださっていた。

 

そのうえ「29日は祝日だが、授業は行われるので、事務室も開いています。私も出勤していますので、ぜひいらしてください」とありがたい言葉もいただいていた。


 

タクシーの運転手さんが、また、いい方で、その地図を一生懸命に解読してくれて、無事に元のセミナーハウス1跡の場所に立つことができた。


友人も「この道は牧野駅へ行く道?」などと、思い出してきたようだった。

 

 

その後、今は中宮に転居した新しい関西外大へと移動。

 

16時15分には、国際交流部の親切なNさんと会うことができた。

 

3人で記念撮影。

 

昔は、メールなどなかったので、このメールボックスに各自の名前をはり、手紙受けとしていたとのこと。それがまだ保管されていた。

 

 応接室で関西外大の記念グッズをいただく。

 

 ピンバッジ。

 

 2人の笑顔がいいですね。

 

 

Nさんは、 校内にある枚方市駅行きの直通バス乗り場まで見送ってくださった。

 


タクシーの運転手さんやスタッフのNさんの親切は、Yにとって、とてもいい思い出になっただろう。


その後、夕食難民となった私たちを救ってくれたのは、京都在住の姪たちだった。


どこに電話をかけても夕食の予約が取れなかった私が、姪のひとりに助けを求めると、もう1人の姪と連絡取り合い、あれよあれよと言う間に、お寿司屋さんを予約してくれた。


さらには、姪の1人が私たちを車でピックアップしてくれて、そこまで連れて行ってくれた。


おかげで私たちは、姪親子と4人で、美味しいお寿司の夕食をいただくことができた。


姪たちふたりは素晴らしいチームワークで、私たちを救ってくれた。



私も、日本人って本当に優しい、とじんとしてしまった一日だった。


大変な思いで再会の準備をして私だが、私もこんないい経験をさせてもらって、よかったよかった、と思ったことだった。