2月24日。

 

パレルモ空港からローマ・FCO(フィミチーノ)空港まで、ITAエアウェイズを使って移動する日。

 

11時45分の空港行きの専用車が来るまで、わずかな時間だが、ホテル近くのサン・ドメニコ教会を訪ねることにした。

 

ホテルのフロントの女性(怖い顔しているが、実はとても親切だった)に地図をもらい、場所と行き方を地図上に書いてもらい出発した。

 

ここで、夫の致命的な方向音痴が炸裂。

この道だと言い張る夫に、違うと思いつつ仕方なくついて行ったが、ひとけのない小さな違う教会に到着。

後から調べると、サンフランチェスコ・ダッシジ教会だとわかった。

 

この教会は、パレルモ出身の彫刻家、ジャコモ・セルポッタによる繊細な彫刻が有名だそうだが、この時は知る由もなかった。

 
間違って着いた場所に、思いがけないものが待っていることもあるのだ、と知った日でもあった。

 

 

さて、急いで私が主張した道に戻り、目的のサンドメニコ教会に到着。観光客相手の馬車に乗りたかったが、時間切れであきらめた。勧誘もすごかったけど。

 

サンドメニコ教会。大きくて立派だ。

 

ちょうど朝のミサの最中だった。

 

教会の前には物乞いの女性がいてコインをいくつかあげたのだが、少なかったのか文句を言っていたような。気のせいか。

 

バス停にはホームレスが。ホームレスはあちこちにいた。

 

最後に、宿泊先の Grand Hotel PIAZZA BORSA を背景に。

 

さあ、パレルモ空港に向かおう。

迎えに来てくれた専用車のドライバーさんは、小学生くらいの男の子を助手席に乗せていてびっくりした。「My boy」とのこと。イタリアでは、仕事に子供を連れてくることもよくあるそうだ。まあ、なんとおおらかなこと。

 

「ボンジョルノ!」と声をかけると、小さい声で「ボンジョルノ」と。

 

 

パレルモ空港には、予定より早く到着。車を降りる時、ドライバーさんの息子さんは、今度は大きな声で「グラッチェ」と言ってくれた。

 

航空会社は、経営破綻したアリタリア航空の後継・ITAエアウェイズ。

会社は変われど、相変わらず評判は今ひとつのようだが、ライアンよりマシ、腐ってもFSC(Full Service Carrier)ということでITAを選んだ。どうせ、1時間だけの国内線だし。

 

チェックイン時もスタッフは横柄だったけど、ビジネスクラスにしたので、全く待たずにチェックインできた。

 

ITAはコネ入社が多くて、スタッフはやる気なし、感じも悪いのだと聞いたが(イタリア全般にそうなのか?)、そんな感じはしたな。

 

 

さて、私がNHKの『空港ピアノ』を初めて見たのが、このパレルモ・ファルコーネボルセリーノ空港の回だった。ほろ酔い加減のピアノ教師が弾いてくれたりして、とてもいい雰囲気だった。

 

それがとても印象的で、ぜひここでピアノを弾いてみたいものだと、ピアノを習い始めたのだった。が、ピアノのレッスンがストレス以外の何物でもなくなった今、少し悲しい気持ちで、空港ピアノを見つけ出した。

 

 

誰もうまいピアノを弾いている人はいず、高校生くらいの子たちが、戯れにポロンポロンと引く程度。

 

彼らが撮っていた私に気づき、ポーズをとってくれた。

ありがと、少年たちよ。

君たちが(下手でも)弾いてくれなければ、『パレルモ空港での空港ピアノ』の絵は、全く撮れなかったのだから。

 

2時間以上いて、もう一人が弾いてくれただけ。

 

このただっ広い場所で弾くのは、かなりの勇気と腕前がいると思った。

弾こうと思って習っていた『さくら、さくら』だが、すでにもう忘れていたし、弾ける状況ではなかった。無理、絶対に無理だ。

パンとビールの昼ご飯。夫の前のバギーが、さらにもの悲しい。

 

ちなみに、ピアノはYAMAHA製だった。

 

私たちが乗るのは、14:45発のAZ1766便。

 

ゲートがあいてから搭乗終了までには、すごい時間がかった。日本だったら、効率よく、もっとスムーズに短時間で乗り込めるのに、なぜ?

 

 

いよいよ、シチリアにお別れ。

 

この岩が象徴的だ。私の大好きな『ニュー・シネマ・パラダイス』でも、アルフレードの訃報を聞いて、トトが戻って来たのはこの空港だった。

 

バイバイ、シチリア。