緒 方 洪 庵 の 息 子 の お 墓 参 り @ヴェネツィア
詳しい資料が少ないので
alexが知っている事を書きますと
惟直は1853年9月12日
嘉永6年:ペリーが浦賀に来航した年
洪庵と八重の10番目の子(5男)として
大阪で生まれ、あだ名は十郎。
横浜仏語伝習所で学び
1867年(慶応3年)
幕府のフランス留学生となる。
帰国後、陸軍兵学寮教師や
ウィーン万国博(1873年5月1日〜10月31日)の
政府事務官などを務め
1876年、ヴェネツィア商業高等学校
現ヴェネツィア大学2代目の
日本語教授となり
ヴェネツィア人女性と結婚したが
1878年4月4日(25歳)、壊血病で亡くなる。
明治11年:紀尾井坂の変が起きた年
後から、知った話ですが
彼の奥さんの名前はマリア・ジェロッティ(セロッティ)。
で、2人にはエウジェニア・ジョコンダ
和名は豊(とよ)という娘がいました。
さて、惟直のお墓には
1881年にヴェネツィアに
アカデミア美術大学に留学し
その後、ヴェネツィア大学4代目の先生となった
長沼守敬(ながぬまもりよし)が
彫刻したのですが...
CORENAO OGATAと
彫ってあるのは
アルファベットにKが無い
イタリア語表記だから良いのです。
ただ、日本語表記が
緒方は良いのですが...
惟直の「惟」の字を「維」と彫ってしまい...
生まれた年は1853年なのに...
1855年と彫ってしまったんですよね。。。
でも、お顔は素敵な彫刻で
良かったです!!
因みに長沼守敬は
東京美術学校、現東京藝術大学の
洋式彫刻学科の初代教授(1898年)です。
惟直先生の話に戻りますが
幕府のフランス留学生でしたから
相当フランス語が出来たのだと思います。
何故ならヴェネツィアでは
フランス語で日本語を教えていたそうですよ。
でもヴェネツィアに住み始めてからは
イタリア語やヴェネツィア弁も
習得したのかなぁ。。。
毎度毎度、お墓参りをするとそうなのですが
どんな生活を送っていたのかなと
お墓の前で暫く思考が飛んでしまうのでした。
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