あの頃の教育にひと言 | チキンなワイフ、イタリアの日々

チキンなワイフ、イタリアの日々

南国生活5年を経て、今度はイタリアで暮らすことになりました。
駐妻初級編から中級編へ。
色々比較しながら日々の事を綴ります。

何年経っても腑に落ちない事がある。

 

高校生の国語の授業の事である。

多感な年頃なのに、悩み深くなるような事ばかり教えるのだ。

私がそういうことばかり記憶したのか?もしかしたらそうかもしれない。

とにかく私は、現代文から「絶望」しか学べなかった。

 

例えば夏目漱石の「こころ」。ストーリーは主人公の友人Kの自殺を扱っている。先生は、「自殺する作家が多かった中、夏目漱石はこの小説でKという人物に自殺させることで自分を救ったかもしれない」という独自の見解を語ってくださった。

 

悩み深い私には、それは救いではなくその場しのぎの行為に思えた。

 

それから梶井基次郎。の「檸檬」。

「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた。焦躁しょうそうと言おうか、嫌悪と言おうか(中略)以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。(中略)何かが私を居堪いたたまらずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。」

 

まさに、当時の私の気持ちそのものだった。だから、友達と「丸善に檸檬爆弾を置いて」みたが、真似事をしたところで効果はなかった。

 

芥川龍之介の「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」も、太宰治が抱え続けた死への欲求もそうだ。

 

彼らは生きることを労役か何かのように捉え、死に誘惑され続けた。

学校は、なんでそんな人達ばかりを紹介して私の心を抉り続けたのか。

国語の目的は、発達段階に応じて情緒と論理的思考を養う事らしい。

しかし情緒面で混乱を起こしやすい年頃に、それを追求して死を選んだ人達の文章ばかり学ばせるのはどういう了見だろうか。

 

極め付けは吉野弘の「I was born」だ。

I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は
生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね
-」

 

自分は「生まれさせられた」。

そうだ。作家達の抱えた虚しさや息苦しさの根源は、これに違いない。

私達はみんな、与えられてしまった人生の被害者なんだ。

 

これが、授業の結果導き出された私の答えだった。

 

あの頃の私に教えてあげたい。

望まざる人生は、苦しく虚しい。

でもそれは、人生が何かを与えてくれると期待しているからだ。

自分でも薄々感じているはずだ。

人生に期待しても得られないと分かってきたから、生き続けるのが苦しいのだ。

でもそれは、もうすぐ終わる。なぜなら、大人になるからだ。

 

大人になれば、人生を全うする責任は親から子に受け渡される。

そうすれば、自分であらゆる選択をするようになる。

その選択の一つ一つが、灰色だった人生をありとあらゆる感情に彩るだろう。

そのカラフルな日々に、生の実感が湧くだろう。

 

そしていつしか、自分自身に期待し、人生に期待されていることに気付く。

人生は相変わらず望んでもいないようなものを与えてくるだろう。

でも、大丈夫だ。

自分をどう歩ませるか決めるのは、いつも自分自身だから。

 

おまけにもう一つ。

苦しんだ分だけ、その後の日々は「当たり前」ではなく「輝かしい日々」に感じられるだろう。

その人生のご褒美を長く味わう為に、今はそこに進む為のエンジンをふかして唸っているだけなのだ。

だから、絶対に大丈夫だ。

 

あの頃の自分に、何度も何度も、心に染み渡るまで伝えてあげたい。

絶望ではなく、希望が灯るまで、何度でも。