タイの無国籍者問題について学ぶ | チキンなワイフ、イタリアの日々

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南国生活5年を経て、今度はイタリアで暮らすことになりました。
駐妻初級編から中級編へ。
色々比較しながら日々の事を綴ります。

日本でも未だ存在する、国籍を持たない「法律的に存在しない人々」の問題。

タイではどういう事になっているのか興味があり、分かりやすい資料を発見しました。

タイ国籍法の変遷と無国籍者問題

 

シンプルに見れば、血統から考えて「タイ人の子供」、そして出生地から考えて「タイで生まれた子供」にはタイ国籍を有する権利があります。

 

が、これを読んで、国際問題でそうもいかなかったことが分かりました。

11ページ全て読むのは大変なので、その一部を簡単にまとめておきます。

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タイの国籍法の歴史は浅く、19世紀後半に欧州諸国のアジア進出により「タイ人」を定義する必要性が生まれた為、20世紀になって初めて国籍法が制定されました。

 

その後も、他国との絡みの中で国籍法の改正が繰り返されました。

 

①華僑がタイ経済に対して既に大きな影響を持っていた中、彼らに中国国籍を取得する帰属意識が生まれた時期がありました。タイ政府は彼らを自国民として取り込むべく、国籍法を改正しました。

また、中国共産主義国家の誕生や、第二次世界大戦後にアメリカとの同盟関係に入った際には、華僑への圧力を強めるような国籍法に改正しました。

 

②冷戦時代にベトナムが二分化された際、国家安全上の問題で、タイ人となっていたベトナム難民のタイ国籍を剥奪する必要が出てきて、国籍法を改正しました。

 

こんな風に、国際情勢の中で揺れ動いてきたタイの国籍法。

人権保護が国籍法の重要な柱として注目されてきたのは、我々が生まれた時代になってから。

とにかく歴史が浅いのです。

 

この資料には、2004年に話題になった出来事も書いてありました。

ある学生がタイの国立大学医学部受験をしたら、「タイ国籍が無い」という理由で不合格にされた、という事件。タイでは、国立大学医学部を卒業したら国家公務員となることが義務付けられるため、学生はタイ国民でなければならない、というわけ。

 

この学生は、父親は不明。母親はベトナム難民2世で国籍剥奪されていたけれど、国籍回復済み。学生自身は、外国人として国籍変更申請中だったそうです。

 

大きな波紋を呼んだこの事件は、結果的に学生の国籍取得を促し、医学部進出が叶いました。

 

そして2008年改正では「(前略)住民登録に基づきタイ王国内に居住し、素行が善良な者又は社会及び国家に貢献する者に限り、本法の施行の日より後、タイ国籍を取得することができるものとする」という文言が明記されました。

 

その是非を判断する委員会も設置されて、また一歩前進。

 

でも、山岳民族の抱える問題にはまだ別の問題がありました。

 

「住民登録に基づき」がネックなようです。まずその情報がしっかり回ってこない。知っていても、遠くて登録しに行けない。そんな感じでなかなか普及が難しいという状態が続きました。

その一方で、山岳エリアにタイ共産党が潜伏して政府と対立する問題が勃発。政府は「共産党員はあの地で活動する為に、山岳民族と組んでいるに違いない」と判断。「とにかく山岳民族のことを把握しなくちゃいかん」と、「山地民登録」なる制度を開始。

それはタイ国籍を認めるものではなく、あくまでも「山地民」としての登録。

結果、住民登録をしていない山岳民族は、タイ政府の管理下にあるタイ人ではない人々、という特殊な立場に置かれることとなったようです。

 


この資料はなかなか勉強になりました。

虹の学校にいる子供達が無国籍問題を抱えているとか、バンコク遠征の時には役所に届け出が必要、という背景には、こういう歴史が絡んでいるんだなと。

 

そして今現在、無国籍状態にある人達が「タイで生まれ育ったからタイ人です」と単純に認められるものではないということも伺えます。まだ「この人はタイ人として登録されるに相応しい!」と認められる何かがないと。

 

思い出す、洞窟での日々を生き抜いた少年達。無国籍だった4人に国籍が与えられた背景には、奇跡の生還という出来事と世界の注目があったかと。

 

時代と共に、改正されてきたタイの国籍法。

今も、世界的な人権保護団体(アムネスティなど)はタイの国籍法改正について注目しています。

 

すっかり複雑になった現実と、シンプルなあるべき姿とのギャップがどんどん埋まりますように。