『選ぶ』

 

『選ばれる』

 

・・・

 

選挙には、

 

正にこの二つがあります。

 

 

 

話は逸れますが、

 

私は

 

サッカーをしている人全てを

 

「選手」

 

と呼ぶことに、

 

ある種の違和感を覚えます。

 

 

 

なぜなら、

 

選手とは

 

その漢字の通り

 

選ばれる手・・・

 

つまり、

 

“選ばれた人”

 

だからです。

 

 

 

「(サッカーをする人は)選ばれた人でなければいけないのか?」

 

とういうと

 

そうではないのです。

 

 

 

選ばれなくても

 

「そのスポーツをすること」

 

であったり

 

「楽しむこと」

 

は、

 

できる

 

と思うからです。

 

 

 

で、

 

話を戻しますと

 

選ばれる人、選ばれた人

 

のことを考えますと

 

サッカーの場合、

 

ピッチに立てる人数は11人。

 

 

 

だから、

 

その人は

 

“選手”である

 

ことも間違いはないのです。

 

 

 

そして選挙ですが、

 

「選出された候補者は

 

 正に“選手”」

 

なのです。

 

 

 

だから、

 

選ぶために投じた

 

有権者の一票はとても大切で、

 

当選された方も

 

あいにく当選されなかった方も

 

『その意味を充分に考えないといけない』

 

のです。

 

 

 

選挙は、

 

どこかゲームのようなイメージを受ける(☚特にアメリカ大統領選挙など)

 

のは、

 

なぜでしょうか??

 

 

 

それはきっと

 

「選ぶ、選ばれる

 

 という本来の意味が

 

 どこか置き去りにされて

 

 違う別のものにすり替えられてしまっているから」

 

ではないでしょうか。

 

 

 

選ばれる側(候補者)の虚栄心を満たすため

 

選んだ側(市民)の満足感を満たすため

 

ではダメなのです。

 

 

 

『選ぶ』

 

『選ばれる』

 

ということは、

 

お互い責任が伴うこと

 

なのです。