今は止まっています自身のクラブ(アレグラン)ですが、

 

コロナを機にクラブの活動が停止するその前に

 

自己都合でお辞めになられたメンバーの

 

ある保護者さまの話になります。

 

 

その方は、

 

「ラッキーだったな」

 

という言葉を

 

頻繁に口にされていらっしゃいました。

 

 

 

私は最初、

 

その言葉をサラッと聞き流していたのですが、

 

ある時これ(この言葉)が

 

とても耳につくようになりました。

 

 

メンバーに対しクラブが何か(例:参加賞など)を渡すと

 

「ラッキーだったな」

 

・・・

 

紅白戦で勝利すると

 

「ラッキーだったな」

 

・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・・・・

 

おそらく

 

何か得(?)のようなものがあれば、

 

“ラッキー”と思ってしまう方

 

なんでしょうね。。。

 

 

もちろん物事には、

 

偶然(の出来事)というものもあるでしょう。

 

 

しかし、

 

ほとんどは必然

 

だと思うのです。

 

 

つまり、

 

訳があるということ。

 

 

 

だから人間は、

 

その訳、原因を考える必要があるのです。

 

 

敢えて『人間』という言葉を用いたのは、

 

「おそらく人間以外の動物の多くは、

 

 訳を考えるというプロセスはしない(できない)から」

 

です。

 

 

逆を返して言えば、

 

単純に「ラッキーだ」

 

としか考えることができない人は

 

人間であることは間違いないのですが

 

きっと、その時の気分でしか物事を測れない人

 

なのです。

 

 

だから、

 

わが家の長女中2生たちが行った

 

このたびの沖縄体験学習も

 

ラッキーなことになるのです。

 

 

それは、

 

市の補助を受け

 

飛行機に乗り

 

ホテルに泊まり

 

名勝地の沖縄に行けた

 

からです。

 

 

・・・これでは、

 

ただの観光ですよね。。。

 

 

だから、

 

「なぜ行くのか」

 

という部分がとても大切で、

 

それが充分でないのであれば

 

市の全面補助を受けて行く必要はありません!

 

 

さらに

 

このコロナ禍です。

 

 

リスクがあっても実施されたプログラム

 

なのです。

 

 

 

だから

 

なおさらその理由が大切なのです。

 

 

 

子どもが旅立った朝、

 

机には

 

妻の祖母からもらった

 

沖縄の写真集がありました。

 

 

 

 

このたびの体験学習の前に

 

「行くだけじゃダメなんだよ」

 

と、親が言い続けてきたことが

 

少し何かの気づきになったのであれば

 

幸いです。

 

 

 

繰り返しますが、

 

物事をただの偶然とだけでしか

 

捉える人間になってはいけないのです。

 

 

「ラッキーだったな」ではなく、

 

一つ一つのことに感謝して

 

その意味を考えることが大切なのです。