「とてももったいない」

 

将又

 

「もったいなくもない」

 

・・・

 

大したことでないなら

 

その選択は深く考える必要もありません。

 

 

 

例えば、

 

同価格帯のライバル社のカップアイスの選択。

 

 

 

 

買って食べてみて

 

予想外れだったな・・・

 

と思っても、

 

「まあ、次は

 

 別の方を買えばいい」

 

わけで、

 

何も問題はありません。

 

 

 

ですが、

 

これが人間の“本来の”大事な選択の場面で

 

その選択を

 

適当にしたり

 

気分に任せたり

 

を繰り返していると

 

・・・

 

大きな問題が生じます。

 

 

 

 

そこの部分ですが、

 

わが子を観ていても

 

痛いほど分かることがあります。

 

 

 

人間は元来

 

気分屋です。

 

 

嫌なものには

 

手もつけません。

 

 

 

ある日の食事です。

 

 

白米にクリームシチュー

 

肉料理にサラダを添えた内容です。

 

 

 

で、

 

様子を観ていますと

 

・・・

 

 

最後の最後まで

 

野菜を残しています。

(ニンジンは甘く煮たため食べています。。。)

 

 

 

そして、

 

それを指摘すると

 

ふてくされます。。。

 

 

(。-`ω-)

 

 

 

『“もったいない”

 

 とも思っていないのです』

 

 

 

 

この日も

 

これ(野菜を残すこと)を指摘しますと、

 

慌てて食べました。。。。。。

 

 

Σ( ̄ロ ̄lll)

 

 

 

そしてそして、

 

その大切さ(☚食べることの大切さ)

 

を諭すと、ふてくされます。

 

 

ただ一方、


私は

 

わが子を特別変だとも思いません。

 

 

(´・ω`・)エッ?

 

 

 

人間は、


誰でもクセ(特徴)を持って

 

生まれてきています。

 

 

 

その証拠に、

 

次女(小5)の隣の長女(中2)は

 

もっと幼い時から

 

何事もなく(何でも)食べます。

 

 

 

でも一方、

 

次女は異なります。

 

 

 

だからこそ、

 

このタイミングで適切な指導を施さなければ

 

・・・

 

「あれは嫌い、これが嫌い」

 

または、

 

「あれは好き、これが好き」

 

になるのです。

 

 

 

舌や脳がキャッチする

 

感覚というものでしょうか???

 

 

 

これに振り回されないことの大切さを

 

言って聞かし、やらさないと

 

ダメなのです。

 

 

 

 

このまま(放置され)大人になるから、

 

大の大人が感覚で動いてしまうのです。

 

 

(外野サイドから一方的に)

「自分の感覚では~」

 

といった言葉を

 

勤めていた時期からクラブを運営していた最近まで

 

子どもたちの保護者から

 

何回耳にしたことでしょうか!

 

 

 

各々の(親の)感覚はさておき、

 

それを最優先したら

 

 その先、

 

 わが子は(大人になったら)一体どうなるのか」

 

・・・。

 

 

 

このことを考えることができない大人が増え、

 

それが(原因となり)子育ての場面で

 

大きな問題を残しているのです。

 

 

 

子どもは結局

 

親の選択や意見に沿う(従う)しかありません。

 

 

特に幼ければなおのこと。

 

 

・・・

 

 

巷では、

 

本当はもったいないことであっても

 

全くもったいないとも思わず

 

半ば適当に

 

親が子に

 

あれこれ与えたり、替えたりしています。

 

 

・・・・・・

 

 

この状況が

 

現代の私たちの住む社会なのです。

 

 

 

本当に残念で心配です。

 

 

 

子ども時分が肝心なのに。

 

 

 

だから、

 

子どもが大人、親になる前に

 

その『気分や感情が主の行動』を

 

矯正しておくことが重要なのです。