今日は
練習試合。
豊橋まで 🚗三3
配達明けの運転は、
少し堪えます。。。💦
しかし、
これも
わが子の成長のため。
この経験が、
わが子の
この先の人生の
糧にきっとなるから。
で、
昨夜は
弁当を作りました。
🍱
・・・
ひと通り、
栄養は考えました
・・・・・・💧
と、いうより、
子の喜ぶ顔が見たい一心で。
所詮、
オヤジが作る弁当です。
( 。・・。)
大したものは作れません。
しかし、
想いは込めました。
いざ
試合が始まれば
親なんて(コーチも含みますが)
無力そのもの。
子(プレーヤー)に
托すしかありません。
で、
私は思うのです。
ピッチ内で
苦しい思いをするその瞬間、
力になるのが
自分の周りに関わってくれた
多くの人の存在。
自分のためのサッカーです。
自己実現するのは、本人(子)です。
が、
しかし
「自分のためだけでサッカーをする者」
と
「誰かの姿を背に感じながらサッカーをする者」
・・・
どちらが強いでしょうか?
親のために
コーチのために
サッカーをやる必要はありません。
しかし一方、
自分のためだけでいいのでしょうか?
今自分がそこにいるのは、
周りの多くの人々のおかげ。
その感謝の気持ちが、
自分の力+α
を生み出してくれるはずです。
私が拙い弁当を作ったのは、
それを子どもに理解して欲しかったから
でもあります。
そして、
それを子が親や先生の立場になった時、
この自身の気づきや想いを
次の世代に伝えて欲しいのです。