子どもの試合の報告をアップする前に、
いろいろと書きたいことが出てきまして・・・
今回も本人のことは後回しになります。
で、
この前の次女の試合、
どこの試合会場に行っても
上手な子はいます。
もっと目を広げると
県内には
所謂
“無双”
の子がいます。
(その子がボールを持つだけで雰囲気が変わるような・・・)
そして、
周囲(親やコーチ)は、
その子の将来を期待します。
本人は、
さらに自信を高めて、
プレーのスピードや精度を増してきます。
チームもその子を中心に
フォーメーションが組まれていきます。
で、
気がつけば
・・・
その子は、
チームの王様のような存在に。。。
保護者からも
指導者からも
そして、
チームの仲間からも
特別扱いをされ始め、
・・・
気づけば
サッカーとは別な部分に、
大きな問題を感じるようになります。
でも、
周囲は目をつむります。
「あの子がいないと勝てないしな・・・」
と。
そして、
その子も年齢が増してきます。
“上手い”が故に(それが邪魔をして)、
「妙な人格が形成」
されてきます。
つまり、
世間一般的に用いられる言葉で表すとすれば
『天狗になる』
と、いったところでしょうか。
で、
仮に
小・中学校年代までは、
これ(天狗 or 井の中の蛙)でも
まあなんとか通用するものです。
問題は、
高校以上(※具体的には成人)になった時
なのです。
「世の中には、こんなに(自分よりも)優れた人間がいるんだ」
とか
「なんでこんな目に遭うんだ」
という思いをする事に、
絶対に出くわすはずなのです。
その時に、
人間力というものが大きく問われる
訳です。
つまり、
(この時に)
その人物が辿ってきたことが問われる
のです。
人間力が
試される時なのです。
私が
子どもたちの試合や練習風景を観て
いつも気になるのは、
ここの部分なのです。
今は
そこそこそのチーム(街クラブや部活)で、
エースだとしても
・・・
問題は、その後だということ。
「今のままでいいのかな、、、」
子どもたちの将来を楽しみではありますが、
憂うことが多いです。
現在のチームでの活躍は
それはそれとしてひとまず置いて、
「将来、
大海を自分の力で泳いで、
その環境の中で、
逞しく生き抜けるか否か」
そここそが、とても重要なこと
だと思うのです。