昨日、

 

学校消毒ボランティアの全日程が終了しました。

 

 

 (今回は少し長文になります。。。)

 

 

私は、

 

夏休みを除く、

 

7月から8月までの間

 

一日だけを除き、

 

“ほぼ全日参加”

 

しました。

 

 

 

最初は、

 

「熱意に燃えていたこと」

 

「物珍しかったこと」

 

などなど

 

動機がみなぎっていました。

 

(*ノェ゚)ノ゙

 

 

 

しかし、

 

毎日

 

同じ時間に

 

同じことを

 

繰り返しているうちに、

 

最初の動機が

 

なぜか薄れていきます。。。💧

 

 

 

 

「自分で決めたことだから

 

 やらなければいけない」

 

・・・

 

しだいに、

 

そのような感じで

 

自分自身を奮い立たせながら

 

やっていました。

 

(。-ω-)

 

 

 

最後の日、

 

最後の一つのトイレを掃除し終えた時、

 

「やってよかったな」

 

と、思いました。

 

(ノ*´∀`*)ノ

 

 

 

それは、

 

やりきった者にしか味わえないもの。

 

 

 

話しは逸れますが、

 

微かな記憶の中でのことになります。。。

 

 

随分昔、

 

ある雑誌の記事で

 

某有名大学のラグビー部のエースが、

 

夏合宿の後、

 

一人ゴールポストに佇み男泣きをしていた

 

という記事を目にした記憶があります。

 

 

 

なんで涙が出るほど感極まるのか

 

・・・

 

解ります。

 

 

 

それは、

 

やりきった者にしか解らないもの

 

です。

 

 

 

 

時は流れ、

 

今は正に自由選択の時代です。

 

 

 

このたびのボランティアも

 

自由選択でした。

 

 

 

参加するのもしないのも自由。

 

 

 

参加する日も

 

参加する者が決めることができました。

 

 

 

つまり、

 

行かなくても誰も咎めるわけではありません。

 

 


 

で、

 

またまた話は逸れます。。。

 

 

もう十数年前のことです。

 

 

ある子どものサッカーの試合での出来事です。

 

 

 

試合が終わり、帰り支度をしていた私の隣には、

 

某強豪(?)チームのコーチと保護者の皆さんが、

 

次の大会の予定のすり合わせをしていました。

 

 

コーチ:「次は○月●日、~で※時から試合です」

 

保護者:「はい(挙手)、それって“強制参加”ですか?」

 

・・・

 

(´・ω`・)エッ?

 

・・・・・・

 

( ૦هᐤ )!

 

唖然としたことを覚えています。

 

 

 

「強制でなければ、参加しないのか?」

 


 

繰り返しますが、

 

このチームは、

 

いろいろな大会で入賞しているチームです。

 

 

 

他チームのことなのですが、

 

「こんな風で子どもたちは大成するのか?」

 

と、考えてしまったことを昨日のことのように思い出しました。

 

 

 

 

「参加するのは誰のため❓」

 

「強制でないと参加しないのか❔」

 

 

 

 

話しは二転三転・・・

 

学校ボランティアのことに戻ります。

 

 

 

私は、

 

そのようになりたくない(人任せにしたくない)から、

 

全日程に○印を

 

“自分”で選びました。

 

 

 

きついか

 

きつくないか

 

もちろん、きついです。(弱虫ですから…)

 

 

 

でも、

 

その弱い自分に逃げ道を作りたくなかったから

 

今回は、敢えて全出席で臨みました。

 

 

 

それは誰のため?

 

 

 

学校のため、子どものため、社会のため

 

・・・

 

そして何より、

 

弱い自分を変えるため

 

つまり、

 

自分自身のため

 

だったのです。

 

 

 

だから、

 

それをやり切った時に、

 

自然に感動が込み上げてくる

 

のです。

 

 

 

「やってよかったな」

 

と心からそう思いました。

 

 

 

それこそが、

 

『自らが決めたことを

 

 やりぬいたことからくる達成感』

 

なのです。

 

 


 

もちろん、

 

「わが子が通う学校のためになれば」

 

が、動機になったことは言うまでもありません。