・・・

 

早く書かないと

 

その時の気持ちが

 

どんどん薄れてきますね。。。

 

 

と、

 

いうのは

 

このブログのことでして

 

・・・・・・

 

『コレ、めっちゃ気になったぞ!』

 

と思ったことも

 

 

 

 

時間の経過とともに

 

どんどん薄れていくものです。。。

 

o(- -;*)ゞ

 

 

 

 

だから、

 

その時思ったことを

 

何のフィルターも通さずに

 

言葉を発したり

 

行動に出したり

 

するのは

 

やはりやめておいた方が

 

いいのです。

 

ヾ(゚Д゚ )

 

 

 

 

でも

 

一方で、

 

リアルなその時の心の動きも

 

また大切です。

 

 

「まあ、また今後にし~よう」

 

なんてことばかりやっていると、、、

 

大事なことを逃してしまいます。。。

 

[o´Д`o]

 

 

 

 

で、

 

今回(の連載)は、

 

長女のスマホでしたね。。。

 

(・ω<) 

 

 

 

 

今回は

 

まとめます。

 

 

 

スマホで

 

K-POPを

 

ずっと鳴らしている長女。

 

 

遊んでくれないとすねている次女。

 

 

「おい、いい加減にしろ」

 

という、私。

 

 

「まあ、いいじゃないの」

 

と言う妻。

 

 

世界のどこにでも

 

よくある家族の一コマでしょうか。。。

 

 

 

 

このブログにお越しくださいました

 

皆さまの中にも、

 

次からの私の言葉には

 

否定的な意見を持たれる方もいらっしゃること

 

かとも思いますが、

 

敢えて書きたいと思います。

 

(たとえ「あんた、昭和の頑固おやじかい?」と言われても…💧)

 

 

 

 

まず

 

 

「スマホは

 

 誰が買ったの?」

 

「スマホは

 

 何の目的でここにあるの?」

 

 

ということ。

 

 

 

そして、

 

「今日遊んだ子の中に

 

 K-POPが好きな子がいたら

 

 あなたも即、K-POPファンになるの?」

 

 

そしてそして、

 

 

「その気になったもの(*今回はK-POPですが)と

 

 姉妹(家族)とどちらが大切ですか?」

 

 

ということ。

 

 

 

 

人間は

 

心で生きています。

 

 

 

だから、

 

心の動きが行動となり、

 

心の動きに身を委ねているとそれが習慣となり、

 

気がつけば・・・

 

それがその人の人生になる

 

のです。

 

 

 

面白い

 

しんどい

 

面倒くさい

 

・・・

 

これらも

 

全て心の動きです。

 

 

 

私が若かりし頃、

 

ある先輩に言われました。

 

 

 

「“い”のつくことばかり口にするな!」

 

と。

 

 

 

この歳になって

 

その意味が少し解るようになってきたのですが

 

語尾に

 

“い”が付く言葉・・・

 

いろいろありますが、

 

大抵この“い”によって

 

行動を狂わされることが多いように感じます。

 

 

 

逆に考えれば、

 

“い”がある

 

“い”を感じる

 

から

 

人間だとも言えるのです。

 

 

 

この

 

“い”

 

こそが、心の動き

 

・・・

 

心が発した言葉なのです。

 

 

 

 

でも、

 

“い”が自身を占領している時

 

・・・

 

想像してみてください。

 

 

 

何かに踊らされていたり

 

大切な感覚が麻痺している場合が

 

結構多くないでしょうか。

 

 

 

 

繰り返しますが、

 

“い”

 

は、人間だから(特に)感じるもの。

 

 

 

 

素直な感情。

 

 

 

 

でも一方、

 

“い”

 

は、私たちの身近な動物だって

 

感じるものです。

 

 

 

 

この次が肝心なところ。

 

 

 

『人間と動物の違いは、

 

 (その先を)想像できるか、できないかである』

 

と、私は思っています。

 

 

 

 

 

“い”は、

 

すぐに頭を過るもの。

 

 

 

 

でも、

 

それに身を任せ、

 

それをやり続けていると

 

一体どうなるのでしょうか?

 

 

 

 

「それを想像できる人になって欲しいな」

 

と、今回わが子を見てそう思ったのです。