五十而知天命 | ちろりに過ぐる

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推しゴト、日々の彼是な記録

不惑の40って言うよね

実際、色んなコトが吹っ切れて楽い時代だったなぁと思う

(個人的には30代がしんどかった)

 

 

50代は

「五十にして天命を知る」

→天から与えられた自分の使命を悟ることができたという意味らしい

 

 

最近

気が付いたことがある

自分自身の悩みという悩みはなくて

悩むコトと言ったら、第三者のコト

なので

あーだこーだ誰かにお悩み相談することもなくなったなぁと

自分の中で完結できる??完結してしまう齢なのかも、、

 

昔はさ、「こんなことがあって、もうしんどくて、どー思う!!」とか

永遠に話して意見を求めたり話すことでストレス発散だったし

自分の思いを激熱に語ったりしてたのに・・・・

今は

重い気持ちがあっても

解決した後に話すことが多くなったきがする

よそ様のコトもあれこれ詮索しなくなったし・・・

言いたければ聞くし

言いたくないコトはそっとしておこう。って

 

 

それでも

誰かに聞いてもらう、意見をもらうって

やっぱり大事な行程だと思っているのだけどね

 

ある意味

胸アツな気持ちがなくなったのか

なるようにしかならないと悟っているのか

 

一緒に泣いてた頃

なんて近い存在だと思ってたけど

いつの間にか、それは遠い昔話(笑)

(そもそも、感情で泣くこともない)

一緒に泣かなくても

やっぱり近いなって感じる

 

 

 

 

友達や周りにいてくれる人達は宝だなと思う