『静修指導書』現代語訳の道 -30ページ目

『静修指導書』現代語訳の道

昭和10(1935)年9月 福音史家聖ヨハネ修士会 発行
『静修指導書-聖イグナシウスの方法による-』の文字データ化と
ことばの現代語訳を行うための記録。

第一静修 第四黙想 天使とアダムの罪(1)

==P38==

     第四黙想 天使とアダムの罪

 

 人の最後の目的と、万物とに就いて考へた。今や我等の破滅となるもの――罪、我が真の目的及び神への愛と奉仕からの転換、万物の悪用――に就いて考察せねばならぬ。罪を諸悪中の悪として之を嫌悪し、恐怖することを学ぶため、是が惹き起された大破滅、(一)天使の堕落と(二)人間の堕落、について黙想するのである。

 

 序説一 変節天使らが天界より追放されて、爾来、劫火の苦罰に定められたこと。アダムとエバのパラダイス放逐。(該物語は文字通りでなく、比喩的に解釈されるべきであらうが、而かも、驚くほど経験する実際と合致する。アダムは人類の代表者で、彼の誘惑と堕落の物語は、人類一般に取って意味深く、人各々の経験は恰も鏡の如く。之を寫出して明然たるものがある。)≪マタイ伝二五。四一≫≪創世記三≫

///P39///

 序想二 罪に対しての神聖な恐怖を希求し、その結果の恐るべき様を想見する。天使たちとアダムが、陥つた一つの罪過に由り、神が我をも放逐し給ふとは幾層倍の応報であらう。

 

     一 天使らの罪

 一、罪過以前の天使達

 (一)光栄ある彼らの性質。純然たる霊的存在者であつて、偉大な智慧と意志とを有し、自由に、神への讃美と奉仕を選び得る天分を想う。

 (二)天使たちの所在。天に於てであつた。勿論罪を犯すこと能はずと云ふ神の至福界を楽しむことは出来なかつた。この至福界には、試練期間を経た後でなければ、何者も入ることを許されぬ。

 (三)天使らの運命。暫時、忠順に就いての試練を経て、彼らは神への愛と奉仕を永久的に決定されるのであつた。

 二、天使たちの罪

///P40///

 (一)それは傲慢の罪であつた。その偉大な性質と天分に眼が眩んで、神を讃美し、崇め、神に仕侍し奉るために無より造られた事を忘却したのであつた。彼らは自己を目的の中心とし、神から独立し、自己の天分を神のためにせず、自己の栄光のために用ゐんとした。

 (二)それは瞬時に犯された一度の罪であり、且、彼らの第一の罪であつた。

 (三)それは霊性上の罪であつた。傲慢、嫉妬、憤怒、我意、偽善などの心霊的罪は、屡々一層大罪【(注)】に陥り易い。≪(注) 死【モータル】に到る罪【シン】である。これらに対して死に到ら【ヴィニアル】ざる罪【シン】(小罪)がある。≫ 何となれば、是らは肉体上の罪より内面的で、心中に根ざしているからである。

 三、天使らの刑罰

 (一)それらは即時であつた。悔改めの時を猶予されなかつた。多分、天使の性質として悔改めは不可能であらう。

 (二)最も怖るべきものである。彼らは天界より放逐された。彼等の光栄は恥辱に、彼等の愛は憎悪に変じた。彼らの偉大な才能の尺度は、彼らが破滅と苦罰の尺度となつた。

///P41///

 (三)永遠である。挽回の希望がない。彼らは、神も天界も、希望も愛も、永遠に失つて仕舞つたのである。

 四、さて、我自身への警告を思ふ

 (一)我は霊魂を何処に於ても失ふであらう。天使らは天界に於て罪を犯した。されば、一体何処に於て、我は安然たり得るだであろうか。

 (二)天分多大なれば危険も多大である。それは、我を慢心せしめはせぬか。それらを神の御栄光のためでなく、自己の名誉のために用ゐてはおらぬか。

 (三)我は肉体上の罪から、或いは免れることが出来るであらうが、霊性上の罪、心情と意志の罪は、以て我を神から遠ざけ、我が霊魂の亡びを来たらすに充分である。

 (四)天使の罪に就て黙想した如く、唯一度の、瞬間的に、単に心情と意志のみの罪が、人の霊魂の永遠の滅亡となり得るのである。

 (五)天使は、唯一度大罪を犯したのみであつた。されば我が多くの罪――凡ての種類の、幾度も幾度もの罪を、如何にして怖れずに居られようか。ああ我が神よ。若しこの次の大罪が、我が不義の量を悉く満たすとせば如何にせん。もし

///P42///

それが爾の我に対して持ち給ふ神聖、正義、寛恕、慈悲等の最後とならば如何にせん。

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・序”説”一 になっているが、序”想”の誤植と思われる。

 

==現代語訳案==2020.10.3

 第四黙想 天使とアダムの罪

 

 人類の最後の目的と、万物とについて考えよう。今こそ、私たちの破滅の原因となるもの――罪、私たちの真の目的と神への愛と奉仕からの転換、万物の悪用――について考察する必要がある。罪を諸悪の中の悪として、嫌悪し、怖れることを学ぶため、それにより誘発された大破滅の事例である(一)天使の堕落、(二)人間の堕落、について黙想する。

 

 序想一 変節した天使たちが天界から追放されて以来、劫火に焼かれる罰に定められたこと。アダムとエバがパラダイスから追放されたこと。(これらの物語は、文字の通りではなく比喩として解釈されるべきだとは思うが、その内容は実際の経験と驚くほど合致する。アダムは人類の代表者であり、彼が受けた誘惑と、堕落の物語は、全ての人類にとって意味深く、人それぞれの経験はまるで鏡に映したようにアダムの事件を明らかに写し出している。)≪マタ25:41≫≪創世記3≫

 序想二 罪に対しての神聖な恐怖を希求し、その結果の恐るべき様子を想い浮かべる。天使たちとアダムが陥った一つの罪を原因として、神が私たち人類すべてをも放逐されたとは、罪に対する何倍も大きい応報である。

 

    一 天使たちの罪

 一、罪過以前の天使たち

 (一)光と栄光の中にある彼らの性質。純然たる霊的な存在であり、偉大な智慧と意志を持ち、自由に神への讃美と奉仕を選ぶことができる立場であった。

 (二)天使たちの居場所。それは天にあった。ただし、もちろん罪を犯すこと自体がないという神の至福の世界を楽しむことはできなかった。その至福の世界には、試練のときを経た後でなければ誰も入ることが許されない。

 (三)天使たちの運命。一時的な神への忠節と従順さについての試練を経て、彼らは神への愛と奉仕行うことを永遠に決定される。

 

 二、天使たちの罪

 (一)それは傲慢の罪であった。自分たちが持つその偉大な性質に眼が眩み、神を讃美し、崇め、神にお仕えするために無から生み出されたことを忘れてしまったのだ。彼らは自分そのものを目的の中心とし、神から独立し、自分の天分を神のためにではなく、自分の誉れのために使おうとした。

 (二)それは一瞬の間に犯された、一度だけの罪であり、彼らのはじめての罪であった。

 (三)それは霊的な意味での罪であった。傲慢、嫉妬、怒り、我がまま、偽善などの霊的な罪を犯すことは、更なる大罪につながりやすい。≪大罪とは、死に至る罪(mortal sin)である。これに対して、小罪(venial sin)がある。)≫ なぜかと言えば、大罪は肉体的な罪に比べて原因が内面にあり、本人の心に根差したものだからである。

 

 三、天使らが受けた刑罰

 (一)刑罰は即時実行され、悔い改めの時間を猶予されることはなかった。おそらく、天使の性質として悔い改めを行うことは不可能だろう。

 (二)最も恐ろしいことに、彼らは天界から放逐されることになった。彼らが持っていた光栄は恥辱に、愛は憎悪に変わった。彼らの偉大な才能は、その分苦痛と罰の基準となった。

 (三)挽回の希望がない永遠の罰であった。彼らは、神も天界も、希望も愛も、永遠に失うことになった。

 

 四、これらを受け、自分自身への警告を想う

 (一)私は、どこにあっても魂を失うことになるだろう。天使は、天界においてすら罪を犯したのだとすれば、一体どこであれば私は安全なのだろうか。

 (二)天から与えられたものが大きければ、その分危険も大きい。天から受けた恵みは、私を慢心させはしないだろうか。それらを神の御栄光のためでなく、自分の名誉のために使ってはいないだろうか。

 (三)私は肉体上の罪からはもしかすると免れることが出来るかもしれないが、霊的な罪や心や想いの罪は、それだけで私を神から遠ざけ、私の魂に滅びのときをもたらすのに十分である。

 (四)天使の罪について黙想したように、彼らの罪は唯一度だけであり、具体的な行動を伴わない瞬間的な心情と意志の罪だった。それは人の魂の永遠の滅亡の原因ともなり得る。

 (五)天使は、唯一度大罪を犯しただけだった。それならば、私が犯してきた多くの罪――全ての種類で、何度も繰り返した罪を恐れないことなどできるだろうか。

 

 ああ、私の神よ。もし、この次に私が犯してしまうかもしれない大罪が、私の犯す不義の量をすべて満たすとすればどうすればよいでしょうか。もし、その罪が、あなたが私にお持ちくださっている神聖さ、正義、寛恕、慈悲の心によって許されてきたことの、最後の機会となるならどうすればよいでしょうか。

 

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●マタイによる福音書(25:41)

(前段の話の流れ)人の子が再臨した時に、人々をより分け、羊(正しい人)を右に、ヤギ(正しくない人)を左に置く。

人の子は正しい人たちを祝福し、神の国を受け継ぐように伝える。その理由は、自分たちの兄弟である小さい者を助け、思いやったことは、神にしてくれたことに等しいという。

 41それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。 42お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、 43旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』 

 

●創世記(3章)

(概要)蛇にそそのかされた女は、神から取って食べてはいけないと言われていた木から果実を取り、アダムに与えて食べてしまう。神にそれが知られたことで、人は神から原罪を与えられた上でエデンの園から追放され、神はエデンの園の入り口をケルビムと剣の炎でふさいだ。

 

〇天使による堕天のエピソードは、聖書にズバリそのものが記載されていないが、新旧約聖書の黙示録の中に出てくる不思議な生き物の一部が天使であるという説、イエスの時代に既に存在していた聖書外の伝承や、後世に作られた物語に由来することが多いようである。

〇堕天使として有名なのはルシファー=サタンだが、カトリックなどの教義・解釈では、旧約聖書の中にある、ティルス(ユダ王国の近くに位置したフェニキア人の海洋都市)の王への神のことばが、ルシファー=サタンを指しているらしい。

都市が経済的に発展する中で不正が増えていき、罪を犯すようになり、美しさのゆえに傲慢になり、栄華を極めて堕落したとある。罰を受けてさらし者にされてなお不正をおこなったため、最終的に焼き尽くされて永遠に消え失せさせられたようなので、これまでの筆者の言葉からもこの辺の内容を前提にしていると思われる。

 

●エゼキエル書(28:12-17)

12「人の子よ、ティルスの王に対して嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。主なる神はこう言われる。お前はあるべき姿を印章としたものであり 知恵に満ち、美しさの極みである。13お前は神の園であるエデンにいた。あらゆる宝石がお前を包んでいた。ルビー、黄玉、紫水晶、かんらん石、縞めのう、碧玉、サファイア、ザクロ石、エメラルド。それらは金で作られた留め金でお前に着けられていた。それらはお前が創造された日に整えられた。14わたしはお前を 翼を広げて覆うケルブとして造った。お前は神の聖なる山にいて 火の石の間を歩いていた。15お前が創造された日から お前の歩みは無垢であったが ついに不正がお前の中に見いだされるようになった。16お前の取引が盛んになると お前の中に不法が満ち 罪を犯すようになった。そこで私はお前を神の山から追い出し 翼で覆うケルブであるお前を 火の石の間から滅ぼした。17お前の心は美しさのゆえに高慢となり 栄華のゆえに知恵を堕落させた。わたしはお前を地の上に投げ落とし 王たちの前で見せ物とした。18お前は悪行を重ね、不正な取引を行って 自分の聖所を汚した。それゆえ、わたしはお前の中から火を出させ お前を焼き尽くさせた。わたしは見ている者すべての前で お前を地上の灰にした。19諸国の民のなかで、お前を知っていた者は皆 お前のゆえに呆然とする。お前は人々に恐怖を引き起こしとこしえに消えうせる。

 

※ケルブは天使のこと。