第一静修 第四黙想 天使とアダムの罪(2)
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二 我らが始祖の罪
一、罪を犯す以前のアダムとエバ
(一) 彼らが造られた時の、完徳の状態を想ふ。彼らの身体は疫病、腐朽に支配されず、彼等の欲望は理性に支配されてゐた。彼らの霊魂は超自然の恵の光に由つて輝いて居り、神の子達として、神との悦ばしい交りの中に生きてゐたのである。
(二)彼らの住居。地上の楽園であつた。万有は彼らに属し、彼らが慰楽の用となり、彼らの最高目的――神への愛と奉仕――を満足ならしめる為の補佐となつて居たのである。
(三)彼らの運命。地上の楽園に於ての幸福な生活が終るや、天界に移され、そこに於て、永遠に喜ばしく御前に在り得るのであつた。然し乍ら、先づ彼らの
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忠順さは試験されねばならず、神は一の戒律――一本の果樹から遠ざかること――を命じ、そして、破戒の結果をも警告し給うた。彼らがこの一果樹から禁欲することは、信仰と服従、神の支配権への理解等の試練であつた。
二、彼らの罪
(一)エバは悪魔に耳傾け、彼に欺かれ、果実を採つて食うた。次に、エバはそれをアダムに与へ、アダムはそれを食うた。
(二)之は不信の罪である。悪魔は神の真と善とを謗り、『汝らかならず死ぬる事あらじ、神汝らが之を食ふ日には、汝等の目開け、汝等神の如くなりて善悪を知るに至るを知り給ふなり』と言つた。エバは之を真に受けて心傾き、神への信仰は動揺した。
(三)信仰動揺したとき、果樹そのものが一つの誘惑となつた。エバが之を見るに『食ふに善く目に美麗【うるは】しく』あつた。神がエバの裡におき給うた求望心は、悪欲――『肉の欲、眼【まなこ】の欲』≪ヨハネ第一書二。十六≫――と化した。悪魔はエバに、聡明が開発されて新知識を得るであらうと言つた。斯く、悪の好奇心は喚び起され、彼の禁止された
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知識に接しようとした。『欲孕みて罪を生み、罪成りて死を生む』。≪ヤコブ書一。一五≫ そして、自身罪を犯した上、アダムへの誘惑者となつたのである。
三、彼らが罪の結果
(一)彼ら自身に対して。羞恥と恐怖となつた。そして彼らは神から隠れようとした。
(二)死。霊魂の生命である神の恩恵を失つたので、彼らの霊魂は直ちに死に、体も亦死の宣告を受けた。彼らは楽園から放逐された。地は呪はれた。神は彼らに悔改めと赦罪の恩恵を与へ給うたが、猶、彼らは、長く労働と悲歎の贖罪的生涯にさ迷はねばならぬのであつた。
(三)一般の者に対して。全人類は、始祖の罪とその罪科中に含まれてゐる。凡ての者は罪の中に生れ、アダムの罪によつて、霊的生命の恩恵を喪失して仕舞つた。≪ロマ書五。一二≫
(四)然し乍らそれだけに止まらぬ。想へ。この始祖の罪に生死して、今や滅亡者中にある者、抑も幾許であらう。
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四、是らすべてを黙想して学ぶ――
(一)罪をその外観の大小に依て判断してはならぬ。アダムとエバは、外観些々たる不従順の行為が齎す、広氾な災禍と破滅を、何程知つていたであらうか。故に、決して斯く考へてはならぬ。「此の罪は余り小さい。我は只一度のみ為よう」と。それが罪であると知れさえすれば充分である。決してそれ以上に進んではならぬ。
(二)若しそれ、アダムの罪が斯く広氾な結果を齎したとすれば、我が犯す何れの罪と雖も、最後に及ぼすその影響の程度を、如何にして知ることが出来よう。或種の罪は、死後久しくしてから致命的果実を結んで、人々の霊魂を亡すのである。
(三)最後に、我が罪とアダム、エバとを比較して見よう。彼らの罪は単一であり、何等罪のため死の結果を見ないときに犯し、直ちにそれを悔悟し、久しきに亘る痛恨を以てその償ひとしたのであらう。他方我に於ては、実に夥しき罪――キリストに贖はれ、聖霊の名移住し給ふ身体を霊魂を以て犯した罪――十字架の
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光、神の愛、地獄についての我らの主の御警告を蒙りつゝ犯した罪――悔悟することの少ない、或は、未だ全然悔恨したことのない罪――等ではないか。
聖範 第三巻 第四章。第八章。第五十二章。
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==現代語訳案==(2020.10.5)
二 私たちの始祖の罪
一、罪を犯す前のアダムとエバ
(一)彼らが造られたときの、完全な状態を想う。彼らの体は、病気や腐敗に支配されておらず、彼らが持っていた欲求も理性の下にあった。彼らの魂は超自然的な神の恵みの光によって輝いており、神の子たちとして、神との喜ばしい交わりの中に生きていた。
(二)彼らの住居は地上の楽園にあった。凡ての者は彼等の下にあり、彼らの慰めと楽しみのために用いられ、彼らの最高の目的――神への愛と奉仕――を満足させるための助けとなっていた。
(三)彼らの運命は、地上の楽園においての生活が終れば、天界に移され、そこで喜びのうちに、永遠に神のみ前にいることができた。とはいえ、まず彼らの忠実さと従順さを試す必要があったため、神は一つの戒律――一つの果樹から遠ざかること――を命じ、それを破った場合の結果を含めて警告された。アダムとエバが、この一つの果樹についての欲を抑えることは、信仰と服従、神による支配への理解などを試すためのものであった。
二、彼らの罪
(一) エバは、悪魔の言葉に耳を傾けてしまい、彼に騙されて、禁止されていた果実を採って食べた。そして、次にエバはそれをアダムに与え、アダムはそれを食べた。
(二) これは、不信の罪である。悪魔は、神の真と善を非難し、『決して死ぬことはない。 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。』といった。エバはこれを真に受けて、心が傾き、神への信仰を揺るがしてしまった。
(三) 信仰が揺らいだとき、果樹そのものの特徴が一つの誘惑の原因となった。エバがそれを見たとき、『その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け』た。神がエバの中に作られた求望の心は、悪性の欲――『肉の欲、目の欲』≪1ヨハ2:16≫――と化してしまった。悪魔はエバに、果実を食べることで聡明さを手に入れることができ、新しい知識を得られるだろうといった。このようにして悪の好奇心が呼び起され、禁止されていたその知識に触れようとしてしまったのである。『欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。』≪ヤコ1:15≫ さらには、自分が罪を犯しただけなく、アダムに対する誘惑者となってしまった。
三、彼らの罪の結果
(一)罪を犯したことで、彼らは羞恥と恐怖を覚えた。その結果、彼らは神から隠れようとした。
(二)死。霊的な命の源である神の恩恵を失ったことにより、彼らの魂は直ちに死に、肉体も死の宣告を受けた。また、彼らは楽園から追放され、地は呪われた。それでも、神は彼らに罪の赦しと恵みを与えてくださったが、なお彼らは労働と悲歎に暮れる長く贖罪的な生涯をさ迷わなくてはならなくなった。
(三)人類は、始祖アダムが犯した罪と、その罰の中にある。全てのものは罪の中に生まれ、アダムの罪によって霊的な命の恵みを失うことになった。≪ロマ5:12≫
(四)しかしながら、それだけではない。この始祖の罪の影響を受けて生まれ、死にゆく中で、今や滅亡したものの中にある者がどれほどいるだろうか。
四、これらの全てを黙想して学ぶ――
(一)罪を、その見た目の大小によって判断してはならない。アダムとエバは、一見とてもわずかな不従順によってもたらされる、広範な災いと破滅をどれほど理解できていただろうか。そのため、決して「この罪はとても小さいものだから、一度だけならやってみても良いだろう」などとと考えてはならない。罪であると知ってそれを行うだけで罰を受けるには充分である。決して、それ以上先に進み、罪を犯してはならない。
(二)もし、そのアダムの罪がこのように広範にわたる大きな結果をもたらしたとすれば、私が犯すどのような罪が、最終的にどのような影響を及ぼすかをどうやって知ることができるだろうか。ある種類の罪は、死後時間が経ってから致命的な実を結び、人々の魂を滅ぼす。
(三)最後に、私の罪とアダム・エバの罪を比較してみる。彼らの罪はたった一つであり、それによって死がもたらされると知らずに罪を犯したが、直ちにそれを悔い、長い間深い後悔をすることでその償いとしたのだろう。一方、私はおびただしい罪――キリストに贖われ、聖霊が内に宿っておられるこの身体を、霊魂をもって犯す罪――や、十字架の光、神の愛、地獄についての主からの御警告をいただきながら犯した罪――反省の少ない、または全く悔改めていない罪――などを犯してはいないだろうか。
聖範 第三巻 第四章。第八章。第五十二章。
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〇ヨハネの手紙一(2:16) 新共同訳
15世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。 16なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。 17世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。
〇ヤコブの手紙(1:15)新共同訳
13誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。 14むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。 15そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
〇ローマの信徒への手紙(5:12) 新共同訳
12このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。 13律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。 14しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。
文字起こしすると感じるが、今のところ3人くらい元筆者がいるような感じを受ける。
少なくとも、この章を書いた人はこれまでの人とは言葉遣いが明らかに異なっている。
複数の修士が協働し、翻訳した自分のパートを持ち寄っては、相談しながら作業を進めていたのだろうか。
そのうえで、自らの名を出すことなく、訳者を「一修士」としたことの潔さは、
「道を伝えて己を伝えず」というウィリアムズ主教の生き様と重なるようにも思える。
三の(四)は原文の意味が不明瞭なため、もやっとした言葉になってしまった。
追って再検討する。