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『静修指導書』現代語訳の道

昭和10(1935)年9月 福音史家聖ヨハネ修士会 発行
『静修指導書-聖イグナシウスの方法による-』の文字データ化と
ことばの現代語訳を行うための記録。

この記事は、昭和10年(1935年)9月に日本聖公会の福音史家聖ヨハネ修士会が発行した、

英国教会W.H.ロングリッジ修士による、イグナシオ・デ・ロヨラによる静修の指導書(黙想題)を

現代語に書き改めようというものの一部です。

全3回の静修(リトリート)のため、第1回・第2回は各13、第3回には19の黙想題が収録されています。

 

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第一静修 第七黙想 キリストの御国と召命(1)

 

===P62===

 

   第一静修 第七黙想 キリストの御国と召命

 

 静修此処に到るや、我らも浄煉道の黙想から、光明道に進むものとして、聖イグナシウスは、キリストの御国と御招きとに就いて黙想させようとする。そして常に、罪と世と悪魔とに対する神の聖戦に従い得る用意を勧める。

 主として、此の黙想から得べき結果は、キリストへの我らが忠節、即ち、熟誠を以てキリストに従ひ奉り、選び命じ給ふ事は、その如何を問はず、如何なる犠牲を払つても成就し奉らんとの決心である。故にそれは主に対する欽慕の念から発するべきもので、十字軍的精神を含まねばならぬ。聖イグナシウスがマンレサに於て此の黙想を行ひ、筆を執つて記録の冒頭に留めたのも、確かに此の精神であつて、それは地上の君主が勇壮な軍を起して、その臣民を召集する有様に通ずるのである。

 

 序想一 我らの主、我が救ひの主将は我を招き従はしめんとし給ふ。

///P63///

 序想二 主の召命に耳を掩はず、即刻、欣然、之に従ひ得るやう恩恵を祈る。

 

     一 符合する事実

 

 一君主が、壮大な軍を起して、凡て赤心に満ちた勇敢な人々を召集する様を想ふ。王者の人格の美は、将卒の心を惹き、信頼の念を高める。然しながら、命を蒙るときは多くの苦難が之に伴ふ。凡そ従軍を志望する者は、多くの困難と危険を覚悟して居らねばならぬ。恐怖と怠惰に克ち、凡ての軍事演習に自己を訓練し、堅忍を貫いて最後に到る決心がなければならぬ。

 しかし、将帥親ら陣頭に立ち、有らゆる苦難と危険の衝撃に直面されて居る。他方、従軍者への行賞は確かであつて、各々が戦役に於て忍んだ危難に比例して、戦勝の報酬に与かるのである。

 凡そ勇気と赤心に満ちた有為の士は、斯る召命に対して何と応答し奉るべきであらうか。怯懼と怠惰から遁走した者を何と云ふべきであらうか。

 

     二 事   実

///P64///

 茲に、引いて思ふべき一王者がある。それは我らの主イエス・キリストで、偉大な我らが救の主将である。≪へブル書二。一〇≫

 主は、サタンを滅して人類をその暴虐から救ひ出さんため、世に来り給うた。主は、我らの人性を取り、御自身、我らが凡ての弱さ、誘惑、苦難等に当面し給うた。而かも、主は、神に在し、限りなき神の御子に在す。我らの弱い有限の性を伴ひ給ふと雖も、猶、主は強く『大いに救をほどこし』給ふ。≪イザヤ書六三。一≫ 主は受難し給ふと雖も、その御受難によつて勝ち給うた。主は世と死とサタンを征服し給うた。『我は活ける者なり。われ曾て死にたりしが、視よ世々限りなく生く。また死と陰府【よみ】との鍵を有てり。』≪黙示録一。一八≫

 主は、我が面前に立ち、「汝らの中我に従ふ者は誰か」と云ひ給ふと想像する。如何に安心して此の主将に信頼し得るであらう。想ふーー

 一、主イエスの智慧と知識。神の智慧と知識である。主は我を創造し給うた故に、我が才能を知り給ふ。主は亦、我が虚弱と危険とを知り給ふ。そして凡ての場合に来援し給ふ。主が一事をなさしめる為に、我を召し給ふことは決して主の

///P65///

認識錯誤ではない。

 二、主の全き権能。『我は天にても地にても一切の権を与へられたり。』≪マタイ伝二八。一八≫若し最後まで従ふならば、我は必ず勝利を得るであらう。

 三、主の不可見的御臨在。『視よ、我は世の終りまで常に汝らと偕に在るなり。』≪マタイ伝二八。二〇≫主は天の宝座から、万物を統帥し給ふが、しかもまた仮令軍中の一小卒たりとも偕に在すのである。我は、虚弱な一兵卒であるが、主から配与された生命と能力によつて善戦するのである。

 

==(2)へ続く==

 

掩う=覆う

欣=歓ぶ

 

==現代語訳案===(2020.10.9)

   第一静修 第七黙想 キリストの御国と召命

 

 この静修もここまで到達するに至って、私たちもこれまでの善悪の道の黙想から、光明への道に進む者として進路を切替えなくてはならない。聖イグナシウスも、キリストのみ国とお招きについて黙想させようとしており、その上で、神による世間と悪魔の働きに対する聖なる戦いにいつでも従うことが出来るように準備することを勧めている。

 この黙想から主に得るべき成果は私たちのキリストに対する忠節、それは誠実さをもってキリストにお従いし、主が選び、お命じになることは、どのようなことでも、またどのような犠牲を払ってでも成就させようとする決心である。それは、主を喜んでお慕いする心から生じるもので、十字軍のような精神を持っていなくてはならない。聖イグナシウスが、マレンサ(スペインのバルセロナ)でこの黙想を行ったとき、その記録の冒頭に書きとどめたのもまさしくこの精神であって、それは地上にある君主が勇壮な軍を作り上げ、その臣民たちを招集することに似ている。

 

 序想一 私たちの主、私の救いの将軍は、私を招き、その軍に従わせようとされている。

 序想二 主の召命に対しては、耳をふさぐことなく、即刻、喜んで従うことが出来るように神の恵みを祈る。

 

     一 符合する事実

 一人の君主が、壮大な軍を組織し、飾りのない真心に満ちた勇敢な人々を招集する様子を想像する。王者が優れた人格を持っているとき、その軍の将校や兵士は、王の魅力に惹かれ、強く信頼する。しかしながら、命を賭ける戦いには多くの困難が伴うものである。軍に加わろうとするものは、多くの困難と危険を覚悟しなくてはならない。恐怖と怠惰に打ち克ち、どのような訓練であっても自らを鍛える場とし、忍耐を貫いて最後までやり遂げる決心が必要だ。

 最高司令官は、自ら陣頭に立って、あらゆる苦難と危険の衝撃に直面している。一方で、従軍した者への褒美は隔日であり、それぞれが戦いに参加したことで耐えた危難に比例して、戦勝の暁には報酬を受け取ることになる。

 勇気と真心に満ちた有能な戦士は、このような招集に対して、どのように回答を差し上げるべきだろうか。怯えと怠惰により、戦場から逃げ出した者たちをどのように呼ぶべきだろうか。

 

     二 事   実

 ここで、忘れてはならない一人の王者がいる。それは、ほかならぬ私たちの主イエス・キリストであり、彼は私たちにとって偉大な最高司令官である。≪ヘブ2:10≫

 主は、サタンを滅ぼして人類をその暴虐から救い出すために、この世にいらっしゃった。主は私たちと同じ人間の姿になられ、御自ら私たちが持つ弱さ、誘惑、苦難に対峙された。しかも、主は神であり、尽きることのない神の御子であられる。私たちのような弱く、限りある人間の姿をとられたとしても、なお主は強くあられ、『大いなる救いをもたら』される。≪イザ63:1≫ 主は御受難に直面された時であっても、その御受難に勝利された。主は、この世と死とサタンを征服されたのである。『(わたしは)生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。』≪黙1:18≫

 主が私の前に立って、「あなた方の中で、私に従うのは誰か」と仰っていると想像してみよう。どれだけ安心してこの最高司令官を信頼できることだろう。

 一、主イエスの智慧と知識 理由の一つ目は、神の智慧と知識によるものである。主は私をおつくりくださったのだから、私がどのような才能を持っているかを知っていらっしゃる。また、主はわたしの弱点や到らない点もよく知っておられる。そして、どのようなときでも援護に駆けつけてくださる。主が一つの事業を成し遂げようと私をお召しくださったことは、決して主が認識を誤っていたからではない。

 二、主の完全な実行力 『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。』≪マタ28:18≫ もし、最後まで主に従うのであれば、私たちは必ず勝利を手にするだろう。

 三、目に見えないが主は臨在する 『(見よ。)わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいる。』≪マタ28:20≫ 主は天の玉座から全てのものを統率されているが、それでいて、大群の中の一兵士に対しても共にいてくださる。私は虚弱な一兵卒であるが、主から与えられた命と能力を用いて、力を尽くして戦うのである。

 

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〇将帥・主将はともに最高司令官とした。”軍”=自衛隊でいえば”方面隊”レベルの規模を仕切るのが司令。指揮官は”隊”を率いる役目らしい。”将軍”や”元帥”、”大将”などでも良い気もするが、言葉遊びになってしまいそうなので、意味合いを優先した。ちょっと違和感はある。

 

〇最後の箇所の、「見よ、私は世の終わりまで…」というのはとても有名な個所だけど、新共同訳には「見よ」が入っていなかった。祈祷書も新共同訳を使ってると思うけど、聖餐準備の式とかでも「見よ」と言っているような。ないとなんか歯抜けな感じがするので()で入れた。英語ではL-O!というらしい。あまり使わなそうだけど。

 

 

■ヘブライ人への手紙(2:10)新共同訳

(神は、すべてのものが人の子に従うようにした、と言われているが現状、そうなってはいない)9ただ、「天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。10というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全なものとされたのは、万物の目標であり、源である方に、ふさわしいことであったからです。11事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。

 

■イザヤ書(63:1)新共同訳

1「エドムから来るのは誰か。 ボツラから赤い衣をまとって来るのは。

その装いは威光に輝き 勢い余って身を倒しているのは。」

「わたしは勝利を告げ 大いなる救いをもたらすもの。」

 

■ヨハネの黙示録(1:18)

(ヨハネは、幻覚の中で出会った太陽のように輝くイエスから、自分の言うことを書き記して7つの教会に送るように命じられる。)

17わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、 18また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。 19さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。 

 

■マタイによる福音書(28:18-20)

□新共同訳

18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

□新改訳

18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

□NKJV

18And Jesus came and spoke to them, saying, “All authority has been given to Me in heaven and on earth. 19Go therefore and make disciples of all the nations, baptizing them in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit, 20teaching them to observe all things that I have commanded you; and lo, I am with you always, even to the end of the age.” Amen.