この記事は、昭和10年(1935年)9月に日本聖公会の福音史家聖ヨハネ修士会が発行した、
英国教会W.H.ロングリッジ修士による、イグナシオ・デ・ロヨラによる静修の指導書(黙想題)を
現代語に書き改めようというものの一部です。
全3回の静修(リトリート)のため、第1回・第2回は各13、第3回には19の黙想題が収録されています。
+++++
======
///P107///
第十三黙想 キリストの御復活
此の黙想の目的は、自身を一切残らず神に献げ、我らの信仰祈祷のため、必要な凡ての方法を取らんと決心を愈々堅固にすることにある。
序想一 我らの主が屍衣を残して、栄光ある復活体となり出て去り給うた空虚な洞窟を想ふ。
序想二 キリストと偕に主の栄光を歓び、キリストと偕に新生命に復活せんため恩恵を祈る。
一 復活せる栄光のキリスト
それは、主の地上生活に於ての屈辱と苦難、特に御受難に比例すべきものである。
一、御受難に於て、主は御体を犠牲にし給うた。 主は御体を鞭打、荊冠、磔殺
///P108///
のために任せ給うた。主は『われらの欲のために傷つけられ、我らの不義のために碎かれ、――その民のためにくるしめられ、――打たれ、活ける者の地より絶たれ』給うた≪イザヤ書五三。五ー八≫である。
今や、主は新しい不死の生命を保ち、凡て空間と物質の制限を脱した超自然の霊体を纏ひ、死より甦り給うたのである。
我にも亦同様の栄光が約束されてある。若し、先導者、主将に従つて聖職に従つて苦難を忍ぶならば、主の栄光に与り得るであらう。『勝を得る者には我とともに我が座位【くらい】に坐することを許さん。我の勝を得しとき、我が父とともに御座【みくら】に坐したるが如し。』≪黙示録三。二一、参照ピリピ書三。二一、コロサイ書三。四≫
ニ、御受難に於て、主は名誉を犠牲にし給うた。 主は『侮られて人にすてられ』≪イザヤ書五三。三≫『世にそしられ民にいやしめられ』給うた。≪詩二二。六≫ 一個の囚人として取扱はれ、二人の盗賊の間に磔殺せられ給うた。
今や、その主は死により甦り、万事は変転した。エルサレムは主の勝利の風評に鳴り響いた。祭司長、民衆審判官らは狼狽し、兵卒らは事実を証明した。主を見
///P109///
棄てて逐電した使徒達は、今や、堂々と主の御名によりて説教してゐる。天使たちと、幽囚界から解放された義者の霊魂は、主の勝利を宣布して居る。
その日来らば、主の御名のために忍ぶ屈辱と軽蔑の大いさに比例して、我も亦その光栄に浴するであらう。『もし汝らキリストの名のために謗られなば幸福【さいはひ】なり。栄光の御霊すなはち神の御霊なんぢらの上に留まり給へばなり。……されば、神の御意【みこころ】に従ひて苦難【くるしみ】を受くる者は善を行ひて己が霊魂【たましひ】を真実【まこと】なる造物主【つくりぬし】にゆだね奉るべし。』≪ペテロ前書四。一四、一九≫
三、御受難に於て、主は霊魂の御慰めを犠牲にし給うた。 悲痛と苦味の御盃を、をどみなまで飲み乾し給うた。『我が心いたく憂ひて死ぬるばかりなり。』≪マタイ伝二六。三八≫ 主が凡ての人から棄てられた孤立を感じ給ふ切なる情は、斯く十字架上から叫ばしめた。『わが神、我が神、なんぞ我を見棄て給ひし。』≪同二七。四六≫
然し、悲しみの時は過去となつた。御苦難の深刻さのそれだけ慰めは主の霊魂に満ちた。永遠の栄光に到る天来の歓喜の流れから飲み給うたのである。
若し我にしてキリストに忠信なるならば、亦その如くあるであらう。『今の時の苦【くる】
///P110///
難【しみ】は、われらの上に顕れんとする栄光にくらぶるに足らず。』≪ロマ書八。一八≫ 『それ我らが受くる暫くの軽き患難【なやみ】は極めて大なる永遠【とこしへ】の重き光栄を得しむるなり。我らの顧みる所は見ゆる者にあらで見えぬ者なればなり。見ゆる者は暫時【しばらく】にして、見えね者は永遠【とこしへ】に至るなり。』≪コリント後書四。一七、一八≫
=====
===現代語訳案===2020.10.28
この黙想の目的は、自らの一切を残さず神に献げ、わたしたちの信仰の祈りのため、必要なすべての方法をとろうという決心を、いよいよ堅固なものとすることにある。
序想一 わたしたちの主が、その遺体を包んでいた布を残して、栄光あるご復活の姿になり、出ていかれた空っぽの洞窟を想像する。
序想二 キリスト共に主の栄光を歓び、キリストと共に新たな命として復活するため恵みを祈る。
一 復活した栄光のキリスト
それは、主が地上での生活で受けた屈辱と苦難、なによりもご受難に比例すべきものである。
一、ご受難の時、主はその御体を犠牲にされた。主は御体を鞭打たれ、荊の冠をかぶらされ、磔によって殺された。主は、『私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれ、――民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれ』ることになられた。≪イザ53:5-8≫
しかし、今主は新しい不死の命を保ち、空間と物質によるすべての制限を脱却した超自然的な霊の姿を取られ、死から蘇られた。わたしにもまた、同様の栄光が約束されている。もし、私たちが先導者、私たちの司令官に従い、聖職に従ってキリスト者としての苦難を忍ぶのであれば、主の栄光に与ることができるだろう。『勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。』≪黙3:21、参考フィリ3:21、コロ3:4≫
ニ、ご受難に於て、主は名誉を犠牲にされた。主は『軽蔑され、人々に見捨てられ』≪イザ53:3≫『人にそしられ、民に侮られ』る≪詩編22:6≫ことになられた。一人の囚人として扱われ、二人の盗賊と一緒に十字架への磔によって殺さなさった。
しかし、今その主は死から蘇り、すべてのことは変転した。エルサレムは主が勝利されたという知らせに鳴り響いた。主の墓を見張っていた兵士たちは主が復活された事実を証明し、祭司長や長老たちは狼狽した。主を見捨てて逃げ去った使徒たちは、今は堂々と主のみ名によって説教をしている。天使たちと、囚われ人の世界から解放された義人の魂は、主の勝利を宣言している。
その日が来たら、主のみ名のために忍んだ屈辱と軽蔑の大きさに比例して、わたしもまたその光栄に浴することができるだろう。『あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。……だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。』
≪1ペテ4:14,19≫
三、ご受難のとき、主は魂のお慰めを犠牲にされた。 悲痛と苦みの御盃を、すべて飲み干された。『私は死ぬばかりに悲しい。』≪マタ26:38≫ 主がすべてのひとに見捨てられ、感じられた孤独と不安から出る心からの感情は、主をして、このように十字架の上で叫ばせた。『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』≪マタ27:46≫
しかし、悲しみのときは過去のものとなった。ご苦難が深刻であったからこそ、それだけ主の魂には慰めが満ちることになった。永遠の栄光に至る天からの喜びを、その流れの中からお飲みになったのである。
もし、わたしがキリストに対して忠実に信仰するのであれば、わたしもまたそのようにできるだろう。『現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りない』≪ロマ8:18≫ 『わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。』≪2コリ4:17-18≫
=====
引用が多く、なかなか作業が進まないのでいったん切ります。
●狼狽した祭司長と、民衆審判官、兵卒については、その出典元と思われるマタイ福音書の記述に倣った。
>28:1婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。 12そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて・・・・
●十字架上のイエスの最期の言葉「エリエリレマサバクタニ」は、上記の詩編22:1から始まる神への賛美の意であると"解釈されている”。個人的には、本当にそこまで考えていたのかな、とは思わないでもない。各種黙示にあるような、神が万軍を率いて救いに来てくれる、と思っていたのではないのだろうか。そう言ってしまうと、キリストは進んで死に向かい、それゆえに復活させられ、人は罪を贖われ、というそのあとの展開がすべてわやになってしまうのだけど。
殉教していった人たちも、特攻隊の兵士みたいなもんで、のちの人は持ち上げるけど、当人が死に直面するその瞬間は恐怖と絶望とに満ちているのではないかと思ってしまう。この記述も、福音記者たちが、各方面からの伝聞を集めてまとめたものなのだし。
おそらくこの”イエスの最期の言葉”のネタ元は、近くにいた兵士たちあるいはそれに類する役目の人だろうし、福音記者が基にしたのが本人の談・証言などだったとしたら、兵士がイエスが亡くなってすぐに改心して初代教会に持ち込んだとは思えない。キリスト教がある程度の規模になってきたころに「実は私は、今は神のみ子イエスと呼ばれている人の死刑に立ち会ったんだけどさ」って誰かに話したんだろう。
あるいは、この兵士たちが処刑の直後に「そういえば死ぬ間際にこんなことをいっていたなあ」と話したのが広まって伝承化したとすれば、それが後になって「内容はこの詩編の一節に似ている、彼はの詩編を唱えようとしたのだ、神の子はすごい!」みたいになっていったのではないかと思う。
それがイエス様の願い通りだったならよかったと思うけど、気の利いたことを言おうとするより、本心の方が聞いてる人の頭に残り、人に伝わったりするもんだよね。
次で第一静修終わり。
+++++
■イザヤ書(58:5-8)
5彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。6わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。 そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。7苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。 屠り場に引かれる小羊のように 毛を刈る者の前に物を言わない羊のように 彼は口を開かなかった。
8捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを。9彼は不法を働かず その口に偽りもなかったのに その墓は神に逆らう者と共にされ 富める者と共に葬られた。
◆イザヤ書(58:5-8)新改訳
4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれていく羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
■ヨハネの黙示録(3:21)
20見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。 21勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。 22耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。
■フィリピの信徒への手紙(3:21)
18何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。 19彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。 20しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。 21キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
■イザヤ書(53:3)
2乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
この人は主の前に育った。
見るべき面影はなく
輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
3彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
■コロサイの信徒への手紙(3:4)
3あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。 4あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。
■詩編 22章 ※原文の引用箇所は22:6だが、新共同訳では7節。祈祷書では同じく6節になっている。
→新共同訳1節【指揮者によって…】の部分は、大正訳聖書では節として数えておらず、第2節私の神よ…の部分が第1節、続く節も1つづつずれている。
1【指揮者によって。「暁の雌鹿」に合わせて。賛歌。ダビデの詩。】
2わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。 なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず 呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
3わたしの神よ 昼は、呼び求めても答えてくださらない。 夜も、黙ることをお許しにならない。
4だがあなたは、聖所にいまし イスラエルの賛美を受ける方。
5わたしたちの先祖はあなたに依り頼み 依り頼んで、救われて来た。
6助けを求めてあなたに叫び、救い出され あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。
7わたしは虫けら、とても人とはいえない。 人間の屑、民の恥。
8わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い 唇を突き出し、頭を振る。
9「主に頼んで救ってもらうがよい。 主が愛しておられるなら 助けてくださるだろう。」
以下略
□日本聖公会祈祷書 詩編22編
1 わたしの神、わたしの神、どうしてわたしを見捨てられるのですか|| どうして遠く離れて助けようとはせず、わたしの叫びを聞こうとされないのですか
2 神よ、昼、わたしが叫んでもあなたはこたえられず|| 夜、叫んでも心は安らぐことはない
3 あなたは聖なる方|| イスラエルの讃美を住まいとされる
4 わたしたちの先祖はあなたを信じ|| あなたは彼らを救われた
5 彼らは助けを求めて聞き入れられ|| 信じて恥を受けることはなかった
6 わたしは虫けらであって人ではない|| 人にそしられ、民に侮られる
7 わたしを見る者はみな笑い|| わたしをあざけって言う
8 「彼は主を頼みとした。神が救いに来ればよい|| 神が彼に心を掛けているのなら、救い出せばよい」
以下略
■ペテロの手紙一(4:14)
愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。 13むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。 14あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。 15あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい。 16しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。 17今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。
18「正しい人がやっと救われるのなら、
不信心な人や罪深い人はどうなるのか」
と言われているとおりです。 19だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。
■マタイによる福音書(26:38)
6それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。 37ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。 38そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」 39少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
■マタイによる福音書(27:46)
46三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 47そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。
■ローマの信徒への手紙(8:18)
18現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。 19被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。 20被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。 21つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
■コリントの信徒への手紙2(4:17-18)
16だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 17わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。 18わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
+++++
下記は、間違えて打ち込んでしまったけど、勿体ないのでそのまま消さずに置きます。
□日本聖公会祈祷書 詩編27編
1 主はわたしの光、わたしの救い、わたしはだれをも恐れない|| 主はわたしの命の砦、わたしはだれをはばかろう
2 わたしの肉を食い尽くそうと悪を行う者が襲いかかっても|| わたしの敵はつまずき倒れる
3 たとえ軍勢がわたしに向かって陣を敷いても|| わたしの心は恐れない
4 たとえ戦いを挑んできても、戦いが間近に迫ってきても|| わたしは信頼してひるむことが
5 わたしは主に一つのことを願い求める|| 生涯、主の家を住まいとし
6 主の麗しさを仰ぎ見て|| 主の宮で思うことを
7 悩みの日に神はわたしを幕屋のうちに潜ませ|| 天幕の隠れ場にかくまい、岩の上に立たせてくださる
8 わたしを囲む敵の上に|| 神はわたしの頭を高く挙げてくださる
9 喜びに溢れて幕屋でいけにえを献げ|| 主をたたえて歌おう
10 主よ、私が呼ぶとき、わたしの声に聞き|| わたしを憐れみ、こたえてください
11 わたしのこころは言う、「神の顔を求めよ」|| 神よ、あなたの顔をわたしは慕い求めます
12 わたしにみ顔を隠さず|| 怒りで僕を退けないでください
13 あなたはわたしの助け|| わたしを救ってくださる神
14 父母がわたしを見放しても|| 主はわたしを受け入れてくださる
15 主よ、あなたの道を教え、平らな道筋に導いてください|| わたしを陥れようとする者がいるのです
16 わたしを手放して敵の意のままにさせないでください|| 偽りの証人がわたしに立ち向かい、暴言を吐いている
17 わたしは堅く信じます|| 神に生きる人びとの中で、神の美しさを仰ぎ見ることを
18 主を待ち望め|| 心を強くして主を待ち望め