『静修指導書』現代語訳の道 -12ページ目

『静修指導書』現代語訳の道

昭和10(1935)年9月 福音史家聖ヨハネ修士会 発行
『静修指導書-聖イグナシウスの方法による-』の文字データ化と
ことばの現代語訳を行うための記録。

===(1)から続き===

///P126///

     三 最も緊要なる事業

 一、最も必要。何物もなしに居られても、神なしには居られぬ。永遠に神から離別されることは、思ふだに耐えられぬ。他の凶事は何事によらず同意出來ても、唯、永遠に滅亡することには同意できぬ。しかし、若し我は救はれぬとすれば、滅びることになる。この二者は相互に交代出來ね。長くともここ數年間に、何れかが我が行く道であるか決められるであらう。

 二、最も緊要。それは猶餘を許されぬ。我が全生涯も逡巡すれば長きに足ら

///P127///

ぬ。今は、この最も緊急な第一歩に於て、大切な時を空費してはならぬ。爲すべきことが如何に多くあるであらう。改善すべき多大の惡、矯正すべき夥しい過失、修むべき幾多の徳、取り戻さねばならぬ多くの年月等。噫、若し神が今この静修に於て、我が救靈事業に熱心に着手するため、または之を更に安全にするために、何か我がなすべき事を示し給はば、必ず之に従ひ奉らう。今、未だ時のある間に。いま、神が惠み給ふ時に。

 三、成すべき業は唯一度。我が生涯も唯一度、救ふべき我が靈魂も唯一つである。若し、いま此の時を徒費するならば、最早や再び歸らぬ。人生の逸走するは極めて早い。我が一生も亦速かに終る。果して此の聖業が成就されるであらうか。我が召命と聖選が確實にされるであらうか。若し然らずとすれば、ああ、その悲歎、その失望。それは、一度救はるべくあつたのに、その業を始めずに居たか、或は繼續しなかつたからである。今や、働く時は過ぎ、救ひの日は去つて、死の暗黒に直面して居る。我が生涯は空費され、我が靈魂は滅亡に赴くのである。

///P128///

 斯くて、我が救靈事業を默想せねばならぬ。

(一)我自身のためにせねばならぬ個人的事業、眞實に細心の注意と努力を要求される事業である。(二)百般の事業中最も大切であり、最も焦眉の急を要するもの。(三)成敗ただ一度限りの事業である。

 自問せねばならぬ。我は實際この事業に手をつけて居るであらうか。諸種の事業中最も重大なものと認めて居るであらうか。神と離れまいと欲するならば、棄て去らねばならぬ何物かを我が良心は告げて居るであらうか。

 我が神よ。我を熱誠ならしめ給へ。我を助けて、凡ての瑣事と自己欺瞞、凡ての臆病と不熱心等を除き給へ。必要なる一事――即ち、自身を主に献げ、主を愛し、今生にては主に仕へ、來世にては永久に主を樂しむこと――を許し給へ。そは、此のみ我が創造されし目的にして、これのみ奥妙、永遠にして我が本然の性が要求するものを充たすと知ればなり。

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噫…口から出る息の意味。

 

 

===現代語訳案===2020.11.17

   三 最も大切で必要な事業

 一、最も必要なこととはなにか。何もない状態にあることはできても、神なしにいることはできない。永遠に神から引き離されることは、想像しただけでも耐えがたい。ほかの凶事は、どんなことでも同意できるとしても、永遠の滅亡だけには同意はできない。しかし、もしわたしが救われないとしたら、わたしは滅びることになる。救いと滅びの二つは、両立されることはない。長く見てもここ数年の間に、私が進む道がどちらであるか決定できるだろう。

 

 二、最も大切で必要なこと。それは、なお他のことではありえない。わたしの全生涯も、思いまえぐらせてみれば長いと言えるようなものではない。今は、この最も緊急性が高い第一歩の中にあって、大切な時間を空費してはならない。なすべきことがいかに多くあることだろうか。改善すべき多くの悪、矯正すべきおびただしい過失、修めなくてはならない幾多の徳、取り戻さなくてはならない多くの年月。ああ、今この静修において、わたしの霊的な救いのための事業に熱心に着手するために、またはこれを更に安全なものとするために、私が為すべきことは何かを神がお示しくだされば、わたしは必ずそれに従おう。今、まだ時がある間に。今、神がお恵みくださっているときに。

 

 三、なすべき事業は唯一度きりである。私の生涯も唯一度きり、救うべきわたしの霊魂もただ一つである。もし、今この時を無為に費やすのなら、もはや再びこの機会を得ることはないだろう。人が道を逸れて進む速度は極めて早い。わたしの一生もまた早々に終わってしまう。はたしてこの聖なる技は成就されるだろうか。わたしの召命と聖なる選別は確実にわが身にされるだろうか。もし、そうでなかったとすれば、ああ、その悲しみ、失望はいかばかりか。それは、一度救われるべくあったのに、その業をはじめることなくいたか、または継続しなかったからである。もうすでに働くべきときは過ぎ、救いの日は去って、死という暗黒に直面している。わたしの生涯は無駄に費やされ、わたしの魂は滅亡に向かって進むのである。

 このようにして、わたしの魂の救いのための事業を黙想しなくてはならない。

 (一)わたし自身のためにしなくてはならない個人的な事業、それは真実に細心の注意と努力を要求される事業である。(二)それは様々な事業の中で最も大切であり、眉を焦がすように危機が迫るものである。(三)成功と失敗、それは唯一度限りのことで判断される。

  自らに問いかける。私は本当にこの事業に着手しているだろうか。様々な事業の中で最も重大なものと認識しているだろうか。神と離れたくないと欲するのであれば、捨て去らなくてはならない何かを、わたしの良心は告げているだろうか。

 わたしの神よ、わたしを熱誠させてください。わたしを助けて、すべての些末な事柄と自己欺瞞、すべての臆病と不熱心などを除いてください。そして、必要な唯一つのこと、我が身を主に捧げ、主を愛し、今の人生にあっては主に仕え、来世にては永久に主とともに楽しむことをおゆるしください。ただそれだけがわたしが創造された目的であり、これだけが奥深くすぐれていることであり、永遠であり、わたしの本来の性質が求めるものであると、わたしは知っているからです。

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