前記事から続く
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三 罪の結果
一、神を失ふ。神の内住的御臨在は靈魂の生命である。罪によつて、アダムとエバは神の御前を追はれ、「罪に死する」者となつた。我らも同様である。我らが恩惠の中にあるとき、神は我らの靈魂に宿り給ふ。罪、少くとも大罪により、靈魂の生命である恩惠を没収され、神の御臨在を失うたのである。
二、盲目。我らの眼は惡の新知識に向つて開くのであるが、奇妙なる哉、その眞性質に對しては、盲目である。我らの道徳的判斷は曲り、我らの良心は鈍り疲弊して仕舞つた。そして罪に罪を追ひ、それが如何に怖るべき惡であるかを感づかぬのである。
三、束縛。『すべて罪を犯す者は罪の奴隷なり。』≪ヨハネ傳八。三四ロマ書六。一六ー一九≫ 或る種の罪、例へば、飲酒、好色等に就いて、それが恐しくも眞實であることを我らは知る。その他、一層陰
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険な、そして一層氣づき難い多くの罪に就いてもさうである。反覆は習癖を成し、それは鐵鎖となつて我らを繋ぐ。此はあらゆる罪癖の經歴である。
四、恥辱と恐怖。『彼等その裸體【はだか】なるを知り』、そして『園の中に……歩み給ふ主神の聲を聞』いたとき、『身を匿』したのである。≪創世記三。七、八≫ 我は罪を犯すとき神を恐れる。我らは『裸體【はだか】』、純潔と聖化の恩惠を剥奪されたことを知り、神から遁れようとする。然し、何處に我らの隠所【かくれが】を見出し得るであらうか。「なんぢはわが歩むをもわが臥するをも探り出し、・・・・・・われ天にのぼるとも爾【なんぢ】かしこに在し、われわれが榻【とこ】を陰府【よみ】にまうくとも視よなんぢ彼處にいます、我あけぼのゝ翼をかりて海のはてに住むとも……暗はかならず我おほひ、我を圍める光は夜とならんと我いふとも、爾【なんぢ】の御前には暗【くらき】はものを隠すことなく、夜も晝の如くに輝けり、なんぢには暗【くらき】も光もことなることなし。』≪詩編一三九。三-一二≫
四 個人的適用
我自身のこと、自身の罪癖を思ふ。それが如何にして始り、如何に我が生活中
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に根ざして來たかを考へる。その結果、神に在つての幸福を失ひ、習癖の奴隷となり、死の恐怖を招くに至つたのである。
今、この靜修に於て、神は曾てアダムに爲し給ひし如く我に臨み給ひ、そして宣ふ。『汝は何處にをるや』≪創世記三。九≫ と。神は我を隠所【かくれが】から呼び出して、我が實状に直面せしめ、我が痛悔告白に依つて神に立ちかへり、赦されて自由を快復されんことを望み給ふのである。
我は、若し眞に痛悔して居るならば、赦罪の歓喜を想望すべきである。そして、詩篇三十二篇を唱へよう。
聖範 第一巻 第十三章。第二十一章。
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===現代語訳案===2020.12.24
三 罪の結果
一、神を失う。神の内住的なご臨在は、霊魂の命である。罪によってアダムとエバは、神のみ前を追われ、「罪において死んだ」者となった。わたしたちも同様である。わたしたちが恩恵の中にあるとき、神はわたしたちの魂にお宿りくださる。罪――それは少なくみても大罪――によって、霊魂の命である恩恵を没収され、わたしたちは神のご臨在を失うことになった。
二、盲目的である。わたしたちの眼は悪に属する新たな知識に向かって開くのだが、不思議なことにそれが真実的であるかということに対しては盲目的である。わたしたちの道徳的な判断は婉曲し、わたしたちの良心は鈍り、疲弊してしまっている。そして、罪の上に罪を負い求め、それがどれほど恐るべき悪であるかに気付くことができない。
三、束縛。『罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。』≪ヨハ8:34、ロマ6:16-19≫ ある種の罪、例えば飲酒や好色などについて、それが恐ろしくも真実であることを私たちは知っている。そのほか、より一層陰険で、気づきにくい多くの罪に関しても同様である。反覆により習慣となった罪は鉄の鎖となり、わたしたちをはつながれる。これはあらゆる習慣的な罪がたどってきたことである。
四、恥辱と恐怖。『自分たちが裸であることを知り』、そして『主なる神が園の中を歩く音が聞こえ』たとき、『隠れ』たのである。≪創3:7-8≫わたしは罪を犯すときに神を恐れる。わたしたちは純潔と聖化の恩恵である『裸』であることを剥奪されたことを知り、神から逃れようとする。しかし、どこにわたしたちの隠れ場所を見つけることが出来るだろう。「≪詩編一三九。三-一二≫」
『なんぢはわが歩むをもわが臥するをも探り出し、・・・・・・われ天にのぼるとも爾【なんぢ】かしこに在し、われわれが榻【とこ】を陰府【よみ】にまうくとも視よなんぢ彼處にいます、我あけぼのゝ翼をかりて海のはてに住むとも……暗はかならず我おほひ、我を圍める光は夜とならんと我いふとも、爾【なんぢ】の御前には暗【くらき】はものを隠すことなく、夜も晝の如くに輝けり、なんぢには暗【くらき】も光もことなることなし。』≪詩編一三九。三-一二≫
四 個人的な適用
わたし自身のこと、わたしの罪の習慣を思う。それはどのようにして始まり、どうやってわたしの生活の中に根差してきたのかを考える。その結果、わたしは神に在ったときの幸福を失い、習慣の奴隷となり、死への恐怖を招くことになった。
今、この静修において、神はかつてアダムになされたようにわたしにお臨みくださり、そして仰る。『どこにいるのか。』 と。≪創3:9≫ 神はわたしを隠れ場所から呼び出し、わたしを現実の状態に直面させることで、わたしが痛悔と告白によって神に立ち返り、神の赦しを得て自由が回復されることをお望みである。
わたしは、もし心から痛悔しているのであれば、罪の赦しを想望すべきである。そして、詩編32編を唱えよう。
聖範 第一巻 第13章。第21章。
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久しぶりの作業、からの更に久しぶりの作業である。
気が付けば秋の終わりの頃からクリスマスまで空いてしまった。
最近は仕事が忙しい。これが充実しているかと言われると、忙しいだけな気もするけど。
とりあえず目の前の仕事が一段落したこともあるのでまたコツコツ作業を継続していこうと思います。
■ヨハネによる福音書8:34
31イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。 32あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 33すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」 34イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。 35奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。 36だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
■ローマの信徒への手紙6:16-19
15では、どうなのか。わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。決してそうではない。 16知らないのですか。あなたがたは、だれかに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷となる。つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。 17しかし、神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、今は伝えられた教えの規範を受け入れ、それに心から従うようになり、 18罪から解放され、義に仕えるようになりました。 19あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。
■創世記3:8-9
6女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 7二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
8その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 9主なる神はアダムを呼ばれた。9「どこにいるのか。」 10彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
■詩編 32編 日本聖公会祈祷書(1990)
1 幸せな人、罪が赦され|| そのとがが覆われた人
2 幸せな人、主にとがめられることがなく|| 心に偽りのない人
3 わたしは終日うめき続け|| 罪を言い表さなかったとき、体は疲れ果てた
4 神よ、昼も夜もあなたの手が重くのしかかり|| 夏のひでりの枯れ草のようになりました
5 わたしは罪をあなたに表し|| わたしのとがを隠さずに言う
6 「いと高き主に、わたしは罪を告白しよう」|| あなたはわたしの罪を赦し、わたしのとがを清めてくださる
7 あなたを敬う人は悩みのときにあなたに祈る|| 洪水が襲ってきても、その身に及ぶことはない
8 あなたはわたしの隠れ場|| 苦しみからわたしを助け出し、救いの喜びで覆ってくださる
9 神は仰せになる、「わたしはお前に教え、行くべき道を示そう|| わたしはお前に目を注ぎ、勧めを与えよう
10 くつわや手綱で押さえられて従う馬やらばのように|| 愚かな者になってはならない」
11 悪人は嘆きに包まれ|| 主を信頼する人は恵みに覆われる
12 正しい人は主のうちにあって喜べ|| 心の正しい人はみな喜び歌え