今我が家では、マインドフルネスという英語が流行しています。
これは、モンテソーリの幼稚園で働くうちの奥さんがまなんだモンテソーリ教育理念の一つのようです。
日本語に直訳すると、注意深くとか気をつけるとかいうことでしょうか。
でも私は個人的には、丁寧に生きるとか丁寧に暮らすとかいうように理解しています。
今の私達のほとんどは、時間におわれ、出来るだけ早くそして効率的に物事を処理する事に集中して生きているようです。告白すると、私は丁寧さからはほど遠い生き方をしてきたようです。
出来るだけ早く、うまく、過程なんかどうでもいいから人より早く、そしてうまくやれればいいのだから、と。大雑把、やりっぱなし、それが私のやり方だったようです。
でもこの年になってすこしづつわかってきたのは、過程の大事さです。料理や掃除などあまりきょうみのない日常の雑用にしても、釣りや山登りなどの趣味に費やすのと同じ丁寧な工夫をすることでその面白さがますことです。
別にどこかに究極のゴールがある訳でもない限られた時間しかない人の生涯です。さらっとやってしまったのでは、面白みも何もない事になってしまいます。
多分どんなにくだらないと思える事でも、おそらく一生懸命丁寧にやればかなり奥が深いのではないかと、最近になってやっと思えるようになりました。
さらには、ここアラスカで私が学んだのは、ちょっとした山登りや、釣りでも、『まーいいか。ナントカなるだろう。』 の大雑把でやるととんでもない事になってしまうという事です。ヘタをすると命の問題になります。アラスカの自然とはそういう物のようです。
丁寧に何事もキチンと考えてやらないと生きて行けない、それが本来の人生なのでは。
自然とうまく共生しながらはぐくまれた日本の伝統的な文化の中には、そういう丁寧さへのこだわりがあふれているように思われます。お茶の入れ方一つにしても、習字の時の息づかいのしかたにしても、料理のしかたにしても。
多分それは、自然や物を大事にする事にもつながっているでしょう。
でもそれ以上に、その限られた環境のなかで、生の一瞬一瞬を深く味わいつくすこと。。。。
多分人が体験する時間の質という物は、相対的な物でしょう。
そんな限られた時間を出来るだけ深く味わうには、結局どんなことであれ、一瞬一瞬を丁寧に味わう、これしかないのではないかと。
何気ない時間も、多分同じ物は二度と巡ってこない貴重な一瞬です。
やっとすこしづつそういう事が分かりかけてきた最近です。