昨日は好天の中、ユチョンは屋外撮影で、元気そうな姿だったようですね。
大勢、中国ペンさんも訪れた様子を、スタッフさんのひとりがSNSでもUPされていましたが、
ユチョンは、中国のファンに向かって「大家好」と挨拶したのだそうで。
大勢いても、ユチョンは、中国人と、韓国人と、日本人の見分けがつくんだろうなと。

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さてスタッフと共演者との食事会、焼肉だったそうですね。
つづきの写真が。ユチョンがご馳走したようです。
ユチョンからの皆さんへの慰労なんですね。

Cr to soyoung2_ IG

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▼ユチョンfan support
昨夜の中国ペンさんの屋台

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百想の新人賞は、なんとなくユチョンの優勢ムードと思っていましたが、最近の記事を読むと、これまでの新人賞の中と比較して、最も強敵揃い、という感じがしています。
この記事は、タイトルが、ドラマの「ミセン」に出演した二人の俳優の括りと、ユチョンとイ・ミンホさんの「韓流スター」という括り、それらに並行して、ポツンと個人名のチョ・ボクレさんww チョ・ボクレさんはそれだけ強い相手なんでしょうね。
▼ユチョン記事5/11
[51回百想]映画新人男優賞「ミセン」vs「韓流スター」vsチョ・ボクレ

引き下がることのできない映画界の「新星」の激戦が繰り広げられる。
過去1年間に好評を博した劇場街の新しい顔が、第51回百想芸術大賞・映画部門男性新人演技賞を置いて競争を繰り広げる。
カン・ハヌル(20歳)、パク·ユチョン(ヘム)、ヨハン(ソーシャル・フォビア)、イ·ミンホ(江南1970)、チョ・ボクレ(セシボン)がその主人公だ。
話題のドラマ「ミセン」で登場して有名になってカン・ハヌルと、ピョン・ヨハンが、今回はそれぞれ違った作品から出て、並んで候補に名前を上げて目を引く。
ここでステージとブラウン管では、スターとして名を馳せているが、映画の主演は初めての、パク·ユチョンとイ·ミンホまでが挑戦状を差し出した。
インディペンデント映画や、脇役として俳優のキャリアを積んできたチョ・ボクレも個性のあるキャラクターで好評を受けた人物。
新人賞はトップスターへの登竜門であり、一生に一度しか受けることができない点で、その意味がより一層深い。果たして誰が受賞の栄光を抱けるか。
カン・ハヌルはドラマ「ミセン」、映画「セシボン」「二十才」など、ブラウン管とスクリーンで縦横無尽な活躍を広げた。
「二十才」では平凡な初心者大学生だが、酒を飲むと急変するキャラクターで非凡なコミカル演技を完璧に消化した。
映画「セシボン」ではユン·ヒョンジュ役を完璧に消化し、実際のユン·ヒョンジュからも絶賛された。
俳優パク·ユチョンは、アイドル出身の演技者として広く知られた人物。多数のドラマを通じて、内面演技を積み、映画「ヘム」で成功的スクリーンデビューを果たした。
パク·ユチョンは、ワイルドなキャラクターのドンシクを、繊細で無難に演技をやり遂げ、キャラクターに「自分の色」を塗った、という評価を受けた。
制作のポン·ジュノ監督も、パク·ユチョンに「忠武路(チュンムロ)が優れた俳優を一人得ることになった」と賞賛した。
すでに韓流スターである彼が、映画界でも韓流の希望になるという期待が大きい。
「ミセン」が発掘したもう一つの宝石、ヨハンは、映画「ソーシャルフォビア」でノミネートされた。主役を演じた第二の長編映画「ソーシャルフォビア」では、事件に巻き込まれるキャラクターを引き受けて混乱·怒り·同情などの複雑な感情演技を消化した。
ホン・ソクジェ監督は「映画全体の流れを信じて任せる俳優はヨハンでなければならなかった」と満足感を表した。
「ミセン」を介して大衆に名前を確実に刻印させたヨハンは「ソーシャルフォビア」を介して演技力まで正確に認められた。
イ·ミンホは初主演映画「江南1970」から「花より男子」のイメージを果敢に捨て去った。
悪行を犯しながらも一抹の良心と温情を抱いて生きるチョンテ役を引き受けて、悲劇的だが温かい人物を、リアリティをもって消化した。
映画の中のほとんどの量を占める暴力シーンでも、身を惜しまないアクション演技に現実感を生かして目を引いた。
劇中の妹であるソルヒョンに向けたいらいらした心を演じる時は、「メロ専門俳優」としての面目を誇示して、見る人の胸までジーンとさせた。
映画「セシボン」でカン・ハヌルと一緒に目を引く見知らぬ顔がある。
ソン·チャンシク役を引き受けて、印象的な演技をした俳優チョ・ボクレだ。ジョボクレは映画の中で当代の代表曲を「100%シンクロ率」で消化して、観客の耳をひきつけた。
独特のルックスと個性のある雰囲気は、奇妙な天才ソン·チャンシクを演じるのに不足はなかった。劇場の有望株として浮上したチョ・ボクレにはラブコールが殺到し、以来、二本の映画に同時キャスティングされ、その人気を実感させた。
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▼ユチョン掲載誌[音楽世界]


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ユチョンの「海にかかる霧」、昨夏の韓国上映時にも、いろんな解釈がメディアに載りました。
英訳をもらった記事をご参考程度にご紹介。
文化評論家のムンガン・ヒョンジュン氏のコラム記事です。
※映画の内容に触れる記述があります。
▼ユチョン「海にかかる霧」映画レビュー記事
映画「ヘム」韓国社会という船


「魚の代わりに人間をとる漁師」を描くシム・ソンホ監督の<ヘム>は、韓国社会の比喩と見る時、光る映画だ。最も顕在化されている象徴は、おそらく「船」である。
広い海を漂う一隻の船と、その中に乗った人々というイメージは常に「社会」あるいは「国家」を象徴する。
社会のように、この船の中の集団は、徹底的に階級化されており、機能的に分化している。
自分の立場を忘れて「同胞」という言葉を持ち出す朝鮮族の密航者の一人を殴りながら、船長は叫ぶ。「この船では俺が大統領であり、判事であり、父親だ!」。
その名の通り「鋼鉄のような主人」の姿をしたカン・チョルジュ(キム・ユンソク)は船の所有者であり、船長であるため、この言葉には、一抹の真実が含まれている。
船は船長の権威が、神に匹敵する権力を行使させる権威主義的空間である。
この映画は、権威を持つ船長チョルジュの選択が、他のすべての選択を圧倒する状況を描く。
船員たちは彼の決定に無条件従う受動的な人物に描かれ、ふたりの船員だけが船長の決定に抵抗する。
残酷な決定を下す船長よりも、その決定に機械的に従う船員たちの姿の方に、むしろ私たちは背筋が寒くなるのを感じるだろう。省察して共感する能力が消える時、人間とモンスターの違いも消えていく。
船長の様々な選択にはすべて「船を捨てるわけにはいかない」という言明に基づいている。
船を「国家」の象徴として見るなら、船長は「国家を捨てるわけにはいかない」という話をしているわけだ。
「船を生かすためなら、人間の尊厳は捨てることができる」という船長の論理は「国家という絶対的な実体」に対して「害を及ぼす事は全て除去しようと努める」という論理と通じる。
最終的には、人を生かすために船を捨てた船員以外、首長を支える<ヘム>の結末は、このような国家主義の論理に対する批判の性格を帯びている。
この船の名前が「チョン•ジン(前進)」という点は意味深長だ。船長は船を、大統領は国家をいつでも「前進」させようとするためだ。
映画の背景となった1998年10月、IMF直後の厳しい経済状況は犠牲を甘受して「前進」しなければならないという当時の様子を裏付けるかのようにも見える。
資本主義社会では、いつも「前進」することを要求される。お金を稼ぐために密航の仕事を選択した船長と船員、お金を稼ぐために密航を選択した密航者たち - この映画に登場するすべての人々は、もしかしたら、資本主義のせいで悲劇を迎えたのかもしれない。
海にはいつでも視界をさえぎる「ヘム」が垂れこむことがあるように、前進と発展は、いつでも危機を迎える可能性がある。
その危機の中で前進しているかのような錯覚を見極められない時に、破滅はやってくる。
この映画は、権威と金、あるいはその両方の組み合わせた船長に抵抗しないまま、進んでいくことで破滅を迎える話だ。それはまた、今日の韓国社会の最も痛烈なアレゴリーでもある。


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ユチョンのネムボソもあとわずか4話ですね。見逃せない展開になりそう。
それではまた^^

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