「会いたい」1/20プレビュー記事「資本主義で朽ちた青春」 | とあるユチョンペンの反省ごはん。

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『会いたい』 放送終了①

資本主義によって朽ちた青春の肖像画
  若者たちによる「愛」、「殺人」、「復讐」を、地上波のゴールデンタイムのドラマの素材として扱うのは制作陣にとってかなりの冒険だった。一歩間違うと“泥沼ドラマ”に陥るリスクがあるからだ。

しかし「愛」、「殺人」、「復讐」の3つのキーワードは、これまでも様々なドラマで使われてきた伝統的プロットでもある。
そのような点から見て、MBC水木ドラマ『会いたい』(脚本:ムン・ヒジョン、演出:イ・ジェドン、パク・ジェボム)の素晴らしさは、波のように上がったり下がったりする人間の感情の力を決して軽く見ていなかったことにある。欲望と傷が渦巻く、いわゆる人間の深淵の描写が視聴者たちのパトスを刺激したのだ。

これは、かつて書籍や映画で反響を呼んだ日本の現代推理小説のようなトレンドの一種でもある。

例えば、その世界観の代表格である東野圭吾の小説『白夜行』、宮部みゆきの『模倣犯』などで扱われる「愛」、「殺人」、「復讐」の輪廻は何を意味するのか。これは文明の利器が発達し、資本主義が深く浸透した都会で、孤独に倒れる人間たちの姿だろう。

最終的には登場人物たちをどん底まで落とした『会いたい』は、ある種の血生臭さで、一部のマニアックな視聴者たちを虜にした。


◆レイプという素材は何を残したか

イ・スヨン(ユン・ウネ)のレイプ事件は、国内における犯罪捜査の現実と被害者の痛みなどをはっきりと指摘し、注目を集めた。今後、スヨンが傷を癒していく過程で、韓国社会に確かに存在しているはずの正義の一片が見られるという期待感もあった。

しかし、話が後半に進むにつれて、イ・スヨンがハン・ジョンウ(パク・ユチョン)との思い出の力に頼りながら自らの心の傷を治癒するという方法は、このドラマの序盤にあった社会牲をぼかしてしまう結果となった。イ・スヨンのキャラクターは、ドラマの残念な部分として指摘されるだろう。

◆資本主義に踏みにじられた青春の肖像画

社会性に高いテーマとして一石を投じたレイプ事件の背景とその後の被害者の描き方が曖昧になってしまったことで、このドラマの主軸は、対決する構図となったハン・テジュン(ハン・ジンヒ)とハン・ジョンウの父子関係に移ったと言っていいだろう。

まずはハン・ジョンウの14年前を振り返ってみよう。1990年代半ば頃はIMFショックのために国全体がお金を渇望した、欲望の時代であった。

ハン・テジュンは、お金のために人々を次々と倒した“黒い勢力”として、現実社会に今も現存する者の象徴だ。第18話の放送で、ハン・テジュンが3人の若者の運命を壊してしまった罪の根源であるという事実が明らかになった時、チュ・ジョンミョン(オ・ジョンセ)が「このすべてが、あんなお金のためだったのか?」と嘆く場面は大きな意味を持っている。

結局、イ・スヨン、ハン・ジョンウ、カン・ヒョンジュン(ユ・スンホ)は、親の世代の過ちに振り回されて青春を根こそぎ失われた“時代の犠牲者”だったのだ。例えばヒョンジュンがスヨンの愛を得られない理由を14年前のせいにし、「お前は昔のイ・スヨンはなく、今のジョイ(ユン・ウネ)なのだ」と怒鳴りつける場面は、完全に埋没してしまった“青春”という事実を強調するための仕掛けだ。





今日の若者たちは、食料を手に入れるために虎が潜む森の中に飛び込まなければならないような原始的な試練を経験する時代を生きていない。
しかし、それより恐ろしいのは、文明の利器がこんなに発達した中でも、財力で序列化されたり、淘汰されたりする弱肉強食の論理だ。

IMFショックと世界的な経済恐慌の中で不渡りを出した親の世代によって、その元で暮らす子どもたちの青春がどのように屈折していくのか。彼らは就職難にあえぎ、愛や正義という人生にとって最も大切にすべき価値をあきらめてしまう。


テレビで放送されるドラマは、何よりも今の時代の大衆が抱えている欲望の地図を投写した、一種の“鏡”と言えるだろう。その点でも『ポゴシッタ(会いたい)』は、2013年を生きていく20~30代の若者たちの欲望が屈折していく様子を描写した、青春の悲惨な肖像画だ。

[TV Daily イ・ギウン記者/写真=MBCと放送画面キャプチャー/翻訳=韓タメDaily イ・シオク]
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