気の遠くなるような群青の空

朱がかった雲雲が遠い山並の稜線をなぞるようにたゆたふ

やがて、涼やかな風が空を茜色に染めていく

 

背よりも高い枯れ野原

僕は、一人たたずみ、空を見上げ

恋ふるように涙する

まれた喜びも

虚ろな幸せも

甘い憎しみも

すべてあの空に溶けていくよう……

悪魔が悪魔たるためにいかほどの涙を流したことか

誰も知るよしもない

 

いかほどの裏切りに会い

その身を震わせたことか

 

いかほどの絶望を味わい

死の淵をさまよったことか

 

いかほどの悲しみを味わい

虚ろな瞳を宙へ向けたことか

 

 

そして、そして……

 

いかほどに愛を求めたか


 私は数年ほど前から、やや睡眠障害気味である。原因は特に思い当たる節はない。

 布団に横になる。なかなか寝付けない。しかたなく、酔いつぶれて眠ろうと思い、ウィスキーをロックで何杯も呷る。そのうち、すっかり寝酒が習慣になり、就寝前になると寝付けようが寝付けまいが、決まってウィスキーを呷るようになっていた。こうなると、もう立派なアル中である。後になってから知ったのだが、寝酒が過ぎると睡眠が浅くなってしまうとか。睡眠が浅くなると、当然のことながら夢見がちになる。特に目覚める直前になると決まって夢を見る。

 夢の世界というのは不思議なものである。例えば、すでに亡くなったはずの人が夢に現れ生前と変わらず、ごく当然のように関わり合う。また、現実の世界では見知らぬ人のはずが、夢の世界では顔馴染み、ということもたまにある。しかし、夢はあくまでも夢であって、その独特の茫漠とした感じは常にある。夢の中の風景も登場する人たちも、まるで虚空を舞い飛ぶ泡のように……。

 おそらく夢というものは、心の奥底の方に仕舞われた記憶の断片が、睡眠中に形を変えて、ヒョコっと顔を覗かせたものなのだろう。でも、その茫漠感の中に身をゆだねて、フワフワした気分を味わうのも悪くない。

 ところで、自分が将来実現したいと思っている事柄のことを「夢」あるいは「目標」と表現したりする。「目標」という表現は、「何としても実現させる」という強い意志を感じさせるが、同時にガチガチに凝り固まった窮屈な未来を連想させる。それに対して「夢」という表現は、どこかホワンとして、自由で明るい未来を連想させる。

 どうやら私は不眠症というものを経験したことによって、夢の世界の虜になってしまったようである。