今日、久々に満員電車に乗った。

通勤電車には、いろいろな風景がある。
それは、ある意味、決断の瞬間でもあるのだ。

夏の通勤電車は薄着。ああ、考えてみると、薄着の季節も、一ヶ月もすれば過ぎ去ってしまい、寒くなってくるんだなと思ってしまう。(それはまだ早いか・・)

薄着と言えば、痴漢である(って・・そんなこたあないだろうけど!)。

満員電車につきものの痴漢。

が、女性が薄着して色香ぷんぷんさせていると、痴漢の気持ちもわからなくはない。
(もちろん、彼らを正当化するつもりはありませんよ)

しかし、満員電車だからやむを得ず「痴漢みたい」になってしまう事はしばしばである。
(え?そんな事はない?)(^_^;

例えば、私がまだうら若き高校生の時代である。山手線という超満員電車に乗って通学していた私は、比較的空いている駅から乗っていたのだが、だいたい、次の駅から「チョー満員」になる事が常であった。
そのときの事である。
車両のドア近くに立っていた私は、ドドドーッと押し寄せてくる人波を受け止める事になる。
思わず、「アッ」と防ぐように手が出てしまった瞬間、その手は若いきれいなおねいさん、つまりOLの人の胸に埋もれてしまったのだ。
そのままぎゅうぎゅうにおしくらまんじゅう状態になってしまい、もろに「痴漢少年」のまま電車は発車してしまった。
あまりの混みように、手を動かそうとしても、動かないのだ。
これは経験した方ならお分かりだろうが、チョー満員電車という奴は、両足を上げても立っていられる状態のことを言う。ホント、動きようがないんだよね。
それに、あまりわざとらしく動かそうとすると、ますます「痴漢状態」に陥る事になる。モミモミ状態になるのだ。
向こうも、私の手が胸をつかんでしまっている状況を理解しているようで、顔が赤くなってきている。
まだ若く純粋な私も、顔を真っ赤に赤面するしか能がなかった。

「いいのよ、坊や・・」

と、彼女が言うはずもないが、

ま、とりあえずやむを得ないという状況を理解していただいていたので、「痴漢よーー!!」と騒がれる事もなく、次の駅でやっと体勢が変えられた次第である。

で、私はその日学校で、自分の手を眺め、ぼーっとする事となるんだが・・

さて、これが、もし今ならどうなるんだろう。

もはや、昔の面影もない私が、満員電車で、OLの胸をわしづかみにしたら、即刻「痴漢よーー!!」であろう。(いや、わしづかみにはしないだろうけど・・)

もし、それが、やむを得ない状況であっても、難しい。
ま、手で受け止める体勢を取らなければよいわけだが、そうすると、もろに顔と顔がくっつく場合もありそうだ。
困ったもんである。

でも、満員電車、どうせ乗るなら、きれいな女性が並んでいる列に並びたいと思うのが人情である。
間違っても、二日酔いでニンニク臭いおっさんのそばには乗りたくない。(私もおっさんだけど)

とはいえ、さすがに、女性専用車両に乗る勇気はない。というか、乗ったら、変態である。
しかし、東京にはないが、間違っても「男性専用車両」に乗る酔狂もないのは事実である。「男性専用車両」なんて、「走る新宿2丁目」じゃないのか?

とりあえず、満員電車で女性にくっつかれた場合は、両手をつり革や手すりに上げて、嫌な顔をするという事になる。
ほんとは、だいたい男どもは、嫌な顔しているんだけど、心の中じゃ嬉しいんだよね、きっと。
「わーい、今日はきれいな女性がくっついてきたぞー」てな感じ。
そう考えるのは、少なくとも、ワシだけじゃないはずだ!(と、むりやり正当化する!)

過ぎ行く薄着の季節に、隣に立つ女性の甘い香りにふと郷愁を覚えた今朝の私だったのである。
(ほとんど痴漢である・・)




※以上、あくまでもフィクションです

ペタしてね
さて、私の「スタンド・バイ・ミー」その2は、引き続いては、宮城県仙台は八木山橋事件の2年後の冬の東京で起きた。


お茶の水橋をご存知だろうか。

JRお茶の水駅と地下鉄丸ノ内線を結ぶ橋である。下に流れるは神田川。ちなみに向かいに見える橋、ニコライ堂と湯島聖堂を結ぶのが聖橋。

とある日曜日、お茶の水駅前の名曲喫茶にて、私はとある会合に出席していた。
長時間の無駄なおしゃべりが過ぎ去り、話し疲れた私とその友人らが店を出ると、
そのお茶の水橋の方に人だかりがあった。

パトカーや救急車がわんさか来ていて、明らかにひと騒ぎあるように野次馬が群がっているではないか。

もちのろん、私たちは「何じゃ、ありゃ」とばかりに、野次馬の一団となるべく、人だかりの中にまっしぐらに走っていった。橋の手すりに身を乗り出して、人々が注目する川面に目をやった。

下の川には、水上警察のボートがあり、ちょうど、警官が、水から女性の体を揚げていたところだった。


「ワワ!飛び込みだよ!」


ぼてっと、水から揚げられた女性の体は、ボートの甲板に転がった。

水上警察のボートのスピーカーが大きな声を流し始める。

「どなたか、この飛び込みを目撃なさった方はいませんかあーーー!」
「目撃なさった方は、最寄りの警官までお声をおかけくださあーーい!」

私たちは、当然の如く目撃していないので名乗りを上げなかったし、それらしい人はいないようだった。
野次馬は、みんな「あーあー」「ああなっちゃおしまいだよね」とか会話しているだけであった。
他人事なのである。

そのとき・・

ボートの上の死んだ肉体をボート見ていた私は、ふと衝撃的な波に襲われた。
私の記憶の片隅にあった、あの仙台の八木山橋の飛び降り死体の姿が、そのとき目の前に音を立ててパアーーッと広がった。

そう、あのときの、死体と、今ボートの甲板に転がっている死体のポーズが同じだったのだ!

あの、なんと言うか、つぶれたカエルに近いみたいに、だらしない俯せの形が。

また、あいつに遭ってしまった!

またもや死体を見下ろす。デジャヴではない。それもまたもや飛び降り死体。決して気持ちのよいものではなかった。

(面白そうに書いているけど、実際は気持ち悪いの)

うーむ・・飛び降り自殺の死体って、みんなああいう格好になってしまうのだろうか?

本気で、そう思ってしまうほど、二つのBODYの形は似通っていたのである。
男女の違いはあるにしても・・・

それとも、魂の抜けた亡骸は生きている目には似たようなものに見えてしまうのであろうか。
それとも、同じ死に方をした人間は、死神が同じポーズをとらせているのだろうか。(デス・ノート!)


そのお茶の水橋の事件のその後については、特に新聞記事にもならなかったし、どうなったのか、全く知らない。

個人的には結構衝撃的な出来事であったにもかかわらず、都会にとってはほんの些細な出来事でしかなかったのだろうか。



しばらくして、よく考えてみると、八木山橋事件のことが思い出された割には、あの東北美人のカワイ子ちゃんのことは全然思い出していなくて、川面に転がっていた人の抜け殻のことばかりが目の前で流れていたわけである。
情けない・・
それほど、再び衝撃的な場面に遭遇したと言えるのだろうが、もうちょっと気持ち悪い恐い話よりも、惚れた腫れたの浮き世話の方を大切にしておきたいものだったと、今になって反省している、私なのである。


どちらにせよ、命は大切にしてほしいものである。
生まれて大事に育てられた生命の末路が、つぶれたカエルでは悲しくないかい?


これで、この話はおしまい。

この後、飛び降り死体たちが私の部屋に夜な夜なやってくるとか、あるいは私自身がつぶれたカエルの死体愛好者になってしまうとか、橋を通りかかると思わず下を覗くようになったとか、そんな話の展開は全くない。
ある意味、「怖い話」というよりも、単なる「私の変わった体験談」でしかないのである。

死体探しの旅なんかには出ようとも思わない私が、二度も遭遇した「スタンド・バイ・ミー」。


二度あることは、三度・・ある・・のだろうか・・?

(おしまい)
それは、スタンド・バイ・ミー・・・



・・と言えば、我が敬愛するスティーヴン・キングの短編集「恐怖の四季」の一編。
原題は、「The Body」だったのですが、映画化に際して、このような題名が付けられ、邦訳も映画と同じ題名になりました。

ちなみに「恐怖の四季」は四季にわたって繰り広げられる中短編4つからなる本で、「スタンド・バイ・ミー」以外にも「刑務所のリタ・ヘイワーズ」「ゴールデン・ボーイ」など4つのうち3つが映画化されているんですね。
なお、後の一つは冬の話の短編で、妊婦の首無し死体が子供を出産する不思議な話。これはさすがに映画化されていませんね。(「刑務所のリタ・ヘイワーズ」は「ショーシャンクの空の下で」)

で・・

「スタンド・バイ・ミー」は少年たちが死体探しの旅に出る話なんですが、私の「スタンド・バイ・ミー」は、死体の方から現れたという話なんです。

その夏、私は、東北のガールフレンドと仙台散歩を楽しんでいました。とても可愛い人で、私が今まで遭った女性の中で100本の指に入る可愛さでした。
当時仙台に全く興味がなかった私ですから、案内されるままに、彼女に見とれながら観光していたのです。

さて、仙台方面をご存知の方なら、知っていると思いますが、青葉城に向かう途中に「八木山橋」という橋があるんですね。
これが、また高ーいところにあって、下を覗くとぞーっとするくらい高いんです。
で、当然、飛び降り自殺の名所、というわけ。

「自殺の名所に行ってみますか?」

東北生まれの彼女は、軽いなまりの混じったかわいい言い方で、私を誘ったんです。
かわいい顔して、実は誘ってる目的の場所がきついんですよ。
自殺の名所に行ってみませんか?って、ロマンも色気もあったもんじゃないでしょ。
ま、若いときから、わしもそんなものには縁がなかったわけですが、せっかく誘ってくれているから、じゃあ行ってみるベエか、とばかりに行ってみたんですよ。




じゃーん!













おお!
これは山中の東尋坊、あるいは海のない錦が浦といっても過言ではないでしょう!

橋の上の方まで金網が張られているにも関わらず、所々、ペンチなんかで切った跡があって、無理矢理飛び降りた形跡が見られるのだ。
何もそこまでして、と思っていたとたん・・・

「きゃあーーー!!!!!」

同行の東北美人が黄色い叫び声をあげた。

「???」

「いやだあーーーー!!!下に人が倒れてるウーー!!」

「ええーーっ!!?」


ここで、彼女が恐怖のあまり、私に抱きついてきていたら、私の今も変わっていたかもしれないのだが、ま、それは妄想というやつで・・・

普通に橋から覗くと見えなかったのだが、所々にある水落しの穴から真下が見えるようになっていたのだ。そのひとつを覗いてみたところ、ちょうど、見世物小屋の遠眼鏡のように,丸い穴の真ん中にばったりとうつぶせに人が倒れていたのだ。遠いからよくわからないけど、男性で白いワイシャツ、何となく地面に血が流れているようにも見えた。

「ありゃりゃ,こりや飛び降り自殺だねえ」
「もしかして、あたし達が第一発見者?」
「ということになりますかねえ・・」

死体の第一発見者って、どうなるんだろう?
まさか、容疑者扱いもされるのだろうか?

ある意味、不安と期待の入り交じった気持ちを弾ませたまま、橋を後にして、近くの青葉城公園の駐車場の管理事務所に立ち寄った私たちである。

「あのー・・・」
「何か?」


怪訝そうな管理のおじさん。


「今ですね・・そこの八木山橋から下を覗いたら、人が転がっていたんですが・・何か、飛び降りじゃないかと・・」
「あ!ああーああー,あれ?!はははははーーっ!!!」

と、急におじさんが元気に、笑顔で愛想がよくなる!

「????」

「いやねえ、すみません!月に一回はあるんですよ!多いときで4回くらい!もう、ホントにねえ!すんません!いつものことなんです!イアや、警察に連絡しておきますから、どうもご苦労さんです!どーもどーも!」

あっけらかんと呆然に、私と彼女はたたずんでしまう。

「あれ?住所とか名前・・」
「あ,いいですから、ホントご苦労様です!」

これが、死体第一発見者に対する態度か?というほど、物足りない結果であった。

もし、我々が犯人だったらどうするんだ?

男と橋の上で口論になって、突き落としてしまい(突き落とせないけど)、訳の分からないまま事務所に告白しようと思ってきたのだったら、無罪放免になってしまったわけなのである。

ウーム、まあ、いいか・・

ということで、青葉城公園の伊達政宗を複雑な気持ちで見上げる私たちだったのである。


その後、夏休みが終わって、東北の彼女から新聞の切り抜きのコピーが送られてきた。
ホトケは、ポケットに入っていた学食の半券から東北大学の学生だったことが判明し、身元もすぐ割れたそうである。
合掌。



その女の子とは、遠距離ということもあり、というか元々そういう付き合いでもないので、そんな事件をともに体験した割には、その後,ぱったりと会っていない。
最近、震災お見舞いの手紙を送ったくらいか。



しかし、彼女と再会することはなかった私だが、飛び降り自殺の死体とは再会することとなる。

それも,東京で・・・


(つづく)