→part1はここ
2、見世物小屋の叫喚
これは、私の昭和の想い出で最も印象に残る出来事だった!
神社のお祭りに登場した「見世物小屋」に、私は引き寄せられ、ついにはお金がないのに、「お代は見てのお帰り」と言われたことをいいことに(何がいいんだかよくわからないが)、中に入ってしまったのだった。
そこは、文字通り、現実の別世界。
大衆のざわめきや汗のニオイ。まあ小さな街のお祭りの見世物小屋だから、そこまでは行かなくても、何か、得体の知れない、緊張感をこどもながらに感じたのであった。
見世物小屋の中にはいると、入り口側が舞台だった。そういえば、前口上のおじさんの後ろから「ヘビ女」が顔を出していたわけだから、そういう形になる。
お客は、地面から斜めに組まれた板床の上で立ち見である。思ったより、場内は混んでおり、40人くらいのお客がいたと思う。でも、同じ町内だというのに、私の知っている顔は誰もいなかった。
なんか、わくわくして不安な気持ちを全く持たない私であったが、ついつい子供心にどこで見ようかなとうろうろしてしまう。決断が鈍いのである。上の方に行こうかなと、板床の後ろの方に行くと、いかんせん、まだ7、8歳くらいの私は背が低く、大人たちに阻まれて前がよく見えなかった。しょうがないから、前の地面の方に降りてみる。
舞台と言っても、地面の客側との間にロープが張ってあるだけ。前口上を外でしているおじさんと舞台の間は控え室だろう、少しテントで部屋が組まれている。あの中にヘビ女のおミネちゃんとか、こびとのミーちゃん、二つのクビの赤ちゃんがいるのだ。
でも、どこで見ようか。とうろうろしていると、ロープ際から「ねえねえ、ここで見なよ」と、浴衣を着た上級生のお姉さんらしい二人連れに声をかけられた。知らない人である。子供の時って、4つか5つ上の上級生がずいぶん大人に見えたものだ。高校野球なんか「おっさん」がやっているのかと思っていたが、今ではいつの間にか自分の子供と言ってもおかしくない、いや下手すると孫くらいの歳の子がやっているわけだ。
お姉さんたちは、自分たちの間の前に私を置いてくれた。特等席である。舞台やや上手の一番前である。いつも遊んでいる神社の地面が、今日は別の場所に見えていた。
「あたしたち2度目だからいいよ」とか、私に説明してくれている。手には紙で作った綺麗なひらひら。縁日で買ったアンズ飴とか林檎飴をなめながら見ている。もう一回後ろを見回したが、やはり知っている人はいなかった。みんな飴とかお菓子とかイカ焼きとかトウモロコシとか食いながら見ている。いいな、と思っていたら、急に場内に民謡みたいな浪花節みたいな音楽が流れはじめた。「ほらほら!始まるよ、君」とお姉さんが言った。
音楽とともに、舞台側の壁のテントの布が開き「うおおーーー!!」と、先ほどのヘビ女が出てきた。箱の上に座っている。「食うぞおーーー!」と、持っていたビンからヘビをつかみだした。うわー!と大人たちが歓声を上げる。
ヘビ女はターザンみたいな衣装に身をくるんでいたが、よく見ると、美人だった。いや、子供の頃は、化粧をしている大人のおねいさんは、皆美人に見えるのである。でも、今思い出してみてもたぶん美人だったと思う。オスカー系のおねいさんだったと思う。
その美人モデルがアオダイショウをかじっているところを想像していただければ差し支えない。
ひゃあーー!
後ろに立っている大人たちから声が上がる。こういうのは大人になってから見ると気持ち悪いのだと思う。子供の時は平気でミミズやムカデ、ゴキブリがつかめたけど、大人になると気持ち悪くてつかめなくなるのと同じだ。
♪チャンチャカチャンチャンチャンチャカチャンチャン♪
「あ、出てきたよ、ほらほら、こびと」お姉さんの解説付きだ。書くのに憚る表現だが、お姉さんの表現の自由の権利を守るべく、記憶したままに書きとめておく。
鳴り続ける民謡だか浪花節をBGMに、もう一つの布の間から、出てきたのは、こびとの女の人だ。ミーちゃんである。私と同じくらいの大きさだった。綺麗な和服だかドレスだか、何とも着かない派手な色彩の服を着て、目立つ!!
サササッと小走りにやってきて現れた。やはり、顔はジャイアント馬場だ。でも化粧している。
「皆さんこんにちわ!」
シーン・・・
「あらいやだ、元気がない!大きな声で、ハイ!皆さんこんにちわあー!」
しょうがないから「こんにちわー!」と私も叫んだ。場内は大人が多いかと思っていたが、やはり子供も多く、そういう意味でも、こびとのミーちゃんはそういう演出を加えた挨拶をしたのだろうか。やっとみんなから元気な声で挨拶が返った。
「ハイ、こんにちわ。元気ですねー●●町のみんなは!私はこびとのミーちゃんです。よろしくお願いしマース」
「さっきと同じだね」とかお姉さんたちが話している。
ちらっと、こびとのミーちゃんは、私とお姉さんたちの方に目線を流した。(つまり一瞬ガンを飛ばしたのである)
いよいよ、「見世物小屋」の開幕である。
鳴る拍手。
うつ鼓動。
ボクを呼んで一緒に前に立っているお姉さんたちは、2度目というか、続けて中にいたままだったのだ。総入れ替え制ではないので、おもしろいからそのまま見続けているようなのである。
今考えると、どうみても、その女の子たちは、かわいかったなあと思う。しかし、小さかった私、まだ色気もへったくれも無いので、そういう見方はしていなかったわけだが。
こびとのミーちゃんが、司会である。「ハイハイーッ、まずは皆様の前にご挨拶!」
するとヘビ女のおねいさんが「いらっしゃいませぇーーーっ!!」
今まで、食うぞおおおーーー!!しか言わなかったきれいなヘビ女のおねいさんが、挨拶してしまった。なんか変だが、別に子供の私は気がつかずに、目を丸くしていたのだ。
「この女性、アフリカのジャングルで発見されました。お名前はおミネちゃん。なんと巨大なニシキヘビの親子に育てられ、こうして生まれ故郷の日本に戻ってきて、皆様にご挨拶していますー!」すげー!ヘビにも人間が育てられるんだ。オオカミに育てられた少女の話は当時も有名だったが、ヘビに育てられた少女もいたんだ!それも美人だ!
こびとのミーちゃんの司会はなかなかのモノだ。というのは、ほとんど、こうして私の記憶に残っているような簡単なことしか言わなかったのだ。やはり、客がほとんど子供だから、気配りした結果なのだろう。
中には危ないおじさんみたいな人もいたが・・(今の私みたいな・・(^_^;)
「おミネちゃんは、悲しいことに、アフリカで食べて育った、ヘビの味しか知らず、こうして毎日ヘビを食べているのです」
「食うぞおおおぉぉぉーーーー!!!」出たあ!
子供心に、食うぞお!と叫ばれると自分が食われるような気がして、実は怖かった。お姉さんたちは気づいていたのか、私に「怖くないよ」と言ってくれた。そんなに怖がった顔していたのだろうか?でも、じつは私が怖かったのは、ヘビ女のおねいさんの座っている箱の上にある、もう一つの大きなモノだった。大きなモノには、布がかぶさっている。あれが、もしかして、二つ首の赤ちゃんなのだろうか??
「食うぞおおおぉぉぉーーーーっ!!!!」
はっとした私は、目線をそのものからヘビ女のおねいさんに移した。しかし、おミネおねいさんはさっきから同じことしか言わない。そうか、アフリカで育っていたから、日本語がうまくしゃべれないのだ!
ブチッ!!
ぎょえっ!!!私は目をひんむいた!!ついに、ヘビ女おミネちゃんは、かじっていたヘビの首をかみ切ったのだ!!
そして、むしゃむしゃとホントにヘビを食い始めた!
ぎゃああーーーーーーーーっ!
私の子供心は叫んだ。
いつの間にか、浴衣姿の上級生のお姉さんが肩に手をかけていた。かけていてくれたのだ。私はふるえていたようである。
少しだけだが、お姉さんはそれに気づいて、大丈夫よ大丈夫よとばかりに、私の肩に手をかけてくれていたのだ。呆然としていた私は、それに気づいて少し安心した。
むしゃむしゃ噛んでいたヘビの頭。おミネヘビ女おねいさんは、急にがああぁぁーーー!と、大人が痰を吐くときのような音を立てて、ぺっ!と、ヘビの頭をこちらに吐き出した!!!
べちゃ!
私たちより、舞台の下手側にそれは飛んでいった。
きゃあーー!
そちらには、よそのお母さんと子供たちがいて、飛び退いた。
ヘビの頭は、舞台の外まで飛んでいなかった。かろうじてロープの中に留まっている。思わず、お姉さんの手をつかんで、そばに寄ろうとした。怖がっていたくせに、ヘビの頭を見たいと思ったのだ。このわけのわからないのが、子供心理という奴なのだろうか。
しかし、今度はお姉さんたちが気持ち悪がって、私を引き戻した。「いいよー、やめなよー」とか苦笑していたようである。
そうか。お姉さんが私の肩に手をかけていたのは、自分もコワかったのかもしれない。
地面に転がる残骸は、なんか、魚の頭みたいに、ちぎれていたが、ヘビの頭だった。ひょー!なんか、うれしくなってしまった。田舎にでも行かないと見れないヘビが見れるのは、なんだかラッキーのような気がしたのだ。
「はい、下がって、下がって、毒があるといけないからね」こびとのミーちゃんがヘビの頭を拾って、袋に入れた。「後で食べるのかね」お姉さんがつぶやいていた。
「今日のおミネちゃん、これでおなかはいっぱい。もうおとなしいから安心ですよ」あまり食べたという感じはしないのだが、見ている方は満腹である。
「ふふふー」
おミネヘビ女おねいさんは落ち着いた笑みをたたえた。
すると、さきほど流れていた民謡だか浪花節みたいな調子の音楽が、再び流れ始めた。
「今度はミーちゃんの番だよー!」
おお!ヘビ女のおミネちゃんが司会を始めたぞ!
こびとのミーちゃんはにっこりほほえんで、ササーっとまた小走りに控え室に入っていった。考えていると、こびとなんだから大走りはできなくて小走りするしかなかったようである。
「ミーちゃんの踊りと技が始まるぞおおーー!」やはり、ヘビ女の司会はおミネ節である。
民謡と浪花節の入り交じった音楽が高まると、パパーっとテント布の間から、鮮やかなムームー、つまりフラダンスの女性の格好でミーちゃんが現れた!!!ひぇえーー、早変わりだよ!!頭には、ブーゲンビリアの花がさしてあって、首からカラフルなレイをぶら下げている。一生懸命、すごくおしゃれしたという感じが見え見えの服装だあーー!!(どちらかというと、おしゃれし過ぎだと思うのだが)
ミーちゃんは、舞台の真ん中に立つと、両手の人差し指で自分のほっぺをさして、首をかしげて観衆にニコッと愛嬌を振りまいた。
「待ってました!」ノリのいい大人が声をかける!「きれいだね!」お姉さんも独り言か、それでもある程度は聞こえるように声を出した。
音楽は、別の曲に変わった。
すると、こびとのミーちゃんが音楽に合わせて踊り始めた。まるで盆踊りみたいな踊りである(というか、確かほとんど盆踊りだった)。にこにこ、あい変わらず愛嬌を振りまくミーちゃんは踊りながら、舞台の横に行き、箱から大きな白い紙とはさみを取り出した。
そして音楽にあわせて、はさみでその紙をちょきちょきと切り始めたのだ。
切り紙細工である。
当時テレビでは結構寄席番組がはやっており、日曜は寄席番組が3つ4つやっていた。(ドリフターズもその中に出ていた)
そういう番組を好んで見ていた私だから、当然「切り絵」というのは知っていた。林家正楽という人が客のリクエストに応えて、お題の通りの「絵」を一枚の白い紙を一筆書きのように一気に切るだけで作ってしまう。自分もよく、はさみと紙を使ってまねしたモノである。
ミーちゃんのやっていたのは、切り絵ではなく切り紙細工だった。
器用に細かく切り目をみるみるうちに入れ、紙が原形をとどめなくなるくらいに切り込みを入れて、折ってひっくり返しているうちに、ババーっと、それを広げた!
おおーー!!!!
それはきれいな藤の花!当時の私は、まだ藤の花を知るほど風流でなかったので、桜とか柳とかに見えた。
でも、とにかくそれは「藤の花」だったのである。ミーちゃんは、にこりと愛嬌を振りまき、その「藤の花」を肩に担いだ。そして、しゃなりとシナを作ったのである。
おわかりだろうか。
藤娘である。
後年、私はちょくちょく歌舞伎を見に行くのだが、藤娘の踊りを見たときに、目から鱗が落ちるような思いをした。ああ、あのミーちゃんが踊っていたのはこれだったんだなあ。こどもの日に見た不思議が、一つ解けたときに、ふと涙がにじむ思いがしたのだった。
しかし、そのときの私が藤娘など知ろうはずもない。大人は拍手していたが、藤娘がわかっていたのだろうか。
なおかつ、私がそのときになってやっと気づいたことは、お姉さんたちが、同じ切り紙細工のひらひらの「藤」を、もう一つ、さっきから持っていたことだったのだ!
そして、
私には見えた。
幼かった私にさえも・・。
ヘビ女おミネおねいさんの横にある布の下が。
そこに、一瞬、骨があるのを・・・
(つづく)
2、見世物小屋の叫喚
これは、私の昭和の想い出で最も印象に残る出来事だった!
神社のお祭りに登場した「見世物小屋」に、私は引き寄せられ、ついにはお金がないのに、「お代は見てのお帰り」と言われたことをいいことに(何がいいんだかよくわからないが)、中に入ってしまったのだった。
そこは、文字通り、現実の別世界。
大衆のざわめきや汗のニオイ。まあ小さな街のお祭りの見世物小屋だから、そこまでは行かなくても、何か、得体の知れない、緊張感をこどもながらに感じたのであった。
見世物小屋の中にはいると、入り口側が舞台だった。そういえば、前口上のおじさんの後ろから「ヘビ女」が顔を出していたわけだから、そういう形になる。
お客は、地面から斜めに組まれた板床の上で立ち見である。思ったより、場内は混んでおり、40人くらいのお客がいたと思う。でも、同じ町内だというのに、私の知っている顔は誰もいなかった。
なんか、わくわくして不安な気持ちを全く持たない私であったが、ついつい子供心にどこで見ようかなとうろうろしてしまう。決断が鈍いのである。上の方に行こうかなと、板床の後ろの方に行くと、いかんせん、まだ7、8歳くらいの私は背が低く、大人たちに阻まれて前がよく見えなかった。しょうがないから、前の地面の方に降りてみる。
舞台と言っても、地面の客側との間にロープが張ってあるだけ。前口上を外でしているおじさんと舞台の間は控え室だろう、少しテントで部屋が組まれている。あの中にヘビ女のおミネちゃんとか、こびとのミーちゃん、二つのクビの赤ちゃんがいるのだ。
でも、どこで見ようか。とうろうろしていると、ロープ際から「ねえねえ、ここで見なよ」と、浴衣を着た上級生のお姉さんらしい二人連れに声をかけられた。知らない人である。子供の時って、4つか5つ上の上級生がずいぶん大人に見えたものだ。高校野球なんか「おっさん」がやっているのかと思っていたが、今ではいつの間にか自分の子供と言ってもおかしくない、いや下手すると孫くらいの歳の子がやっているわけだ。
お姉さんたちは、自分たちの間の前に私を置いてくれた。特等席である。舞台やや上手の一番前である。いつも遊んでいる神社の地面が、今日は別の場所に見えていた。
「あたしたち2度目だからいいよ」とか、私に説明してくれている。手には紙で作った綺麗なひらひら。縁日で買ったアンズ飴とか林檎飴をなめながら見ている。もう一回後ろを見回したが、やはり知っている人はいなかった。みんな飴とかお菓子とかイカ焼きとかトウモロコシとか食いながら見ている。いいな、と思っていたら、急に場内に民謡みたいな浪花節みたいな音楽が流れはじめた。「ほらほら!始まるよ、君」とお姉さんが言った。
音楽とともに、舞台側の壁のテントの布が開き「うおおーーー!!」と、先ほどのヘビ女が出てきた。箱の上に座っている。「食うぞおーーー!」と、持っていたビンからヘビをつかみだした。うわー!と大人たちが歓声を上げる。
ヘビ女はターザンみたいな衣装に身をくるんでいたが、よく見ると、美人だった。いや、子供の頃は、化粧をしている大人のおねいさんは、皆美人に見えるのである。でも、今思い出してみてもたぶん美人だったと思う。オスカー系のおねいさんだったと思う。
その美人モデルがアオダイショウをかじっているところを想像していただければ差し支えない。
ひゃあーー!
後ろに立っている大人たちから声が上がる。こういうのは大人になってから見ると気持ち悪いのだと思う。子供の時は平気でミミズやムカデ、ゴキブリがつかめたけど、大人になると気持ち悪くてつかめなくなるのと同じだ。
♪チャンチャカチャンチャンチャンチャカチャンチャン♪
「あ、出てきたよ、ほらほら、こびと」お姉さんの解説付きだ。書くのに憚る表現だが、お姉さんの表現の自由の権利を守るべく、記憶したままに書きとめておく。
鳴り続ける民謡だか浪花節をBGMに、もう一つの布の間から、出てきたのは、こびとの女の人だ。ミーちゃんである。私と同じくらいの大きさだった。綺麗な和服だかドレスだか、何とも着かない派手な色彩の服を着て、目立つ!!
サササッと小走りにやってきて現れた。やはり、顔はジャイアント馬場だ。でも化粧している。
「皆さんこんにちわ!」
シーン・・・
「あらいやだ、元気がない!大きな声で、ハイ!皆さんこんにちわあー!」
しょうがないから「こんにちわー!」と私も叫んだ。場内は大人が多いかと思っていたが、やはり子供も多く、そういう意味でも、こびとのミーちゃんはそういう演出を加えた挨拶をしたのだろうか。やっとみんなから元気な声で挨拶が返った。
「ハイ、こんにちわ。元気ですねー●●町のみんなは!私はこびとのミーちゃんです。よろしくお願いしマース」
「さっきと同じだね」とかお姉さんたちが話している。
ちらっと、こびとのミーちゃんは、私とお姉さんたちの方に目線を流した。(つまり一瞬ガンを飛ばしたのである)
いよいよ、「見世物小屋」の開幕である。
鳴る拍手。
うつ鼓動。
ボクを呼んで一緒に前に立っているお姉さんたちは、2度目というか、続けて中にいたままだったのだ。総入れ替え制ではないので、おもしろいからそのまま見続けているようなのである。
今考えると、どうみても、その女の子たちは、かわいかったなあと思う。しかし、小さかった私、まだ色気もへったくれも無いので、そういう見方はしていなかったわけだが。
こびとのミーちゃんが、司会である。「ハイハイーッ、まずは皆様の前にご挨拶!」
するとヘビ女のおねいさんが「いらっしゃいませぇーーーっ!!」
今まで、食うぞおおおーーー!!しか言わなかったきれいなヘビ女のおねいさんが、挨拶してしまった。なんか変だが、別に子供の私は気がつかずに、目を丸くしていたのだ。
「この女性、アフリカのジャングルで発見されました。お名前はおミネちゃん。なんと巨大なニシキヘビの親子に育てられ、こうして生まれ故郷の日本に戻ってきて、皆様にご挨拶していますー!」すげー!ヘビにも人間が育てられるんだ。オオカミに育てられた少女の話は当時も有名だったが、ヘビに育てられた少女もいたんだ!それも美人だ!
こびとのミーちゃんの司会はなかなかのモノだ。というのは、ほとんど、こうして私の記憶に残っているような簡単なことしか言わなかったのだ。やはり、客がほとんど子供だから、気配りした結果なのだろう。
中には危ないおじさんみたいな人もいたが・・(今の私みたいな・・(^_^;)
「おミネちゃんは、悲しいことに、アフリカで食べて育った、ヘビの味しか知らず、こうして毎日ヘビを食べているのです」
「食うぞおおおぉぉぉーーーー!!!」出たあ!
子供心に、食うぞお!と叫ばれると自分が食われるような気がして、実は怖かった。お姉さんたちは気づいていたのか、私に「怖くないよ」と言ってくれた。そんなに怖がった顔していたのだろうか?でも、じつは私が怖かったのは、ヘビ女のおねいさんの座っている箱の上にある、もう一つの大きなモノだった。大きなモノには、布がかぶさっている。あれが、もしかして、二つ首の赤ちゃんなのだろうか??
「食うぞおおおぉぉぉーーーーっ!!!!」
はっとした私は、目線をそのものからヘビ女のおねいさんに移した。しかし、おミネおねいさんはさっきから同じことしか言わない。そうか、アフリカで育っていたから、日本語がうまくしゃべれないのだ!
ブチッ!!
ぎょえっ!!!私は目をひんむいた!!ついに、ヘビ女おミネちゃんは、かじっていたヘビの首をかみ切ったのだ!!
そして、むしゃむしゃとホントにヘビを食い始めた!
ぎゃああーーーーーーーーっ!
私の子供心は叫んだ。
いつの間にか、浴衣姿の上級生のお姉さんが肩に手をかけていた。かけていてくれたのだ。私はふるえていたようである。
少しだけだが、お姉さんはそれに気づいて、大丈夫よ大丈夫よとばかりに、私の肩に手をかけてくれていたのだ。呆然としていた私は、それに気づいて少し安心した。
むしゃむしゃ噛んでいたヘビの頭。おミネヘビ女おねいさんは、急にがああぁぁーーー!と、大人が痰を吐くときのような音を立てて、ぺっ!と、ヘビの頭をこちらに吐き出した!!!
べちゃ!
私たちより、舞台の下手側にそれは飛んでいった。
きゃあーー!
そちらには、よそのお母さんと子供たちがいて、飛び退いた。
ヘビの頭は、舞台の外まで飛んでいなかった。かろうじてロープの中に留まっている。思わず、お姉さんの手をつかんで、そばに寄ろうとした。怖がっていたくせに、ヘビの頭を見たいと思ったのだ。このわけのわからないのが、子供心理という奴なのだろうか。
しかし、今度はお姉さんたちが気持ち悪がって、私を引き戻した。「いいよー、やめなよー」とか苦笑していたようである。
そうか。お姉さんが私の肩に手をかけていたのは、自分もコワかったのかもしれない。
地面に転がる残骸は、なんか、魚の頭みたいに、ちぎれていたが、ヘビの頭だった。ひょー!なんか、うれしくなってしまった。田舎にでも行かないと見れないヘビが見れるのは、なんだかラッキーのような気がしたのだ。
「はい、下がって、下がって、毒があるといけないからね」こびとのミーちゃんがヘビの頭を拾って、袋に入れた。「後で食べるのかね」お姉さんがつぶやいていた。
「今日のおミネちゃん、これでおなかはいっぱい。もうおとなしいから安心ですよ」あまり食べたという感じはしないのだが、見ている方は満腹である。
「ふふふー」
おミネヘビ女おねいさんは落ち着いた笑みをたたえた。
すると、さきほど流れていた民謡だか浪花節みたいな調子の音楽が、再び流れ始めた。
「今度はミーちゃんの番だよー!」
おお!ヘビ女のおミネちゃんが司会を始めたぞ!
こびとのミーちゃんはにっこりほほえんで、ササーっとまた小走りに控え室に入っていった。考えていると、こびとなんだから大走りはできなくて小走りするしかなかったようである。
「ミーちゃんの踊りと技が始まるぞおおーー!」やはり、ヘビ女の司会はおミネ節である。
民謡と浪花節の入り交じった音楽が高まると、パパーっとテント布の間から、鮮やかなムームー、つまりフラダンスの女性の格好でミーちゃんが現れた!!!ひぇえーー、早変わりだよ!!頭には、ブーゲンビリアの花がさしてあって、首からカラフルなレイをぶら下げている。一生懸命、すごくおしゃれしたという感じが見え見えの服装だあーー!!(どちらかというと、おしゃれし過ぎだと思うのだが)
ミーちゃんは、舞台の真ん中に立つと、両手の人差し指で自分のほっぺをさして、首をかしげて観衆にニコッと愛嬌を振りまいた。
「待ってました!」ノリのいい大人が声をかける!「きれいだね!」お姉さんも独り言か、それでもある程度は聞こえるように声を出した。
音楽は、別の曲に変わった。
すると、こびとのミーちゃんが音楽に合わせて踊り始めた。まるで盆踊りみたいな踊りである(というか、確かほとんど盆踊りだった)。にこにこ、あい変わらず愛嬌を振りまくミーちゃんは踊りながら、舞台の横に行き、箱から大きな白い紙とはさみを取り出した。
そして音楽にあわせて、はさみでその紙をちょきちょきと切り始めたのだ。
切り紙細工である。
当時テレビでは結構寄席番組がはやっており、日曜は寄席番組が3つ4つやっていた。(ドリフターズもその中に出ていた)
そういう番組を好んで見ていた私だから、当然「切り絵」というのは知っていた。林家正楽という人が客のリクエストに応えて、お題の通りの「絵」を一枚の白い紙を一筆書きのように一気に切るだけで作ってしまう。自分もよく、はさみと紙を使ってまねしたモノである。
ミーちゃんのやっていたのは、切り絵ではなく切り紙細工だった。
器用に細かく切り目をみるみるうちに入れ、紙が原形をとどめなくなるくらいに切り込みを入れて、折ってひっくり返しているうちに、ババーっと、それを広げた!
おおーー!!!!
それはきれいな藤の花!当時の私は、まだ藤の花を知るほど風流でなかったので、桜とか柳とかに見えた。
でも、とにかくそれは「藤の花」だったのである。ミーちゃんは、にこりと愛嬌を振りまき、その「藤の花」を肩に担いだ。そして、しゃなりとシナを作ったのである。
おわかりだろうか。
藤娘である。
後年、私はちょくちょく歌舞伎を見に行くのだが、藤娘の踊りを見たときに、目から鱗が落ちるような思いをした。ああ、あのミーちゃんが踊っていたのはこれだったんだなあ。こどもの日に見た不思議が、一つ解けたときに、ふと涙がにじむ思いがしたのだった。
しかし、そのときの私が藤娘など知ろうはずもない。大人は拍手していたが、藤娘がわかっていたのだろうか。
なおかつ、私がそのときになってやっと気づいたことは、お姉さんたちが、同じ切り紙細工のひらひらの「藤」を、もう一つ、さっきから持っていたことだったのだ!
そして、
私には見えた。
幼かった私にさえも・・。
ヘビ女おミネおねいさんの横にある布の下が。
そこに、一瞬、骨があるのを・・・
(つづく)
