1648 頭で考えたら分かるはず、という発想がすでにズレています | alain-pのブログ

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ガルシアです。(注)

僕はカウンセリングやセミナーで、

よく「好きな食べ物はなんですか?」

という質問をします。

女性の方はほとんど即答するのですが、

時々男性でこの質問に

答えられない方がいます。

 

(注)私の師匠ガルシアさんのことです

 

 

「食べ物に関心が無い」

「たくさん食べられればいいです」

「なんでも美味しいです」

という男性が多いような気がします。

 

 

でもたまに

「考えたことがなかったので、

よく考えてみます」という方がいます。

考えれば分かる、と思っているようです。

 

 

好きな食べ物、とは、

今まで食べたもので「美味しい」

と感じたもの、ということです。

美味しかったから好きになった、

ということだと思います。

 

 

もちろん好きな食べ物が分からないことが、

良いとか悪いとかの話ではありません。

 

 

でも、好きな食べ物を聞かれて、

すぐに分からなかったからと言って、

「ちょっと考えてみます」

というのは少し変な話なのです。

 

 

好きな食べ物、ということは、

そこに「美味しい」という快楽がある、

ということです。

好きなこと、好きな人、好きな本、

好きな映画、全部同じことです。

関心があるものには、

ほとんど《好きなもの》があるはずです。

でも、関心が無ければ、

《好きなもの》も無いはずです。

 

 

「趣味はなんですか」と聞かれて、

「考えたことがなかったので、

ちょっと考えてみます」

という人はいません。

 

 

好きなものが分からない、ということは、

そこに関心が無い、

もしくは「美味しい」と思ったことを

覚えていない、ということです。

 

 

美味しいかどうかはあなたの主観です。

楽しいかどうか、嬉しいかどうか、も

あなたの主観です。

 

 

それらは全部、心で感じることです。

頭で考えることではありません。

好きな食べ物を頭で考えても、

分かるはずがありません。

頭で考えたら分かるはず、

という発想がすでにズレています。

 

 

他のことに夢中になっていたり、

悲しみのあまり、なにも感じなくなると、

人は味が分からなくなることがあります。

心が《今ここ》に無いと、

味は分からなくなってしまいます。

 

 

好きな食べ物が分からない、ということは、

心を無くして食べている、

ということです。

美味しいと感じたことを、

無かったことにしてきた、ということです。

 

 

そこに気づかず生きてきたんだな、

ということです。

だから、もしもあなたが、

「好きな食べ物はなんですか?」と聞かれて

その答えを知りたかったら、

「ちょっと考えてみます」ではなく、

正しくは、

「今まで見逃してきたので、

今度から味わって食べてみます」です。

 

 

元記事はこちら