本当にその自分に憧れるのか。
そのあなたになれば、
心置きなく、
スッキリとした晴れやかな気持ちで、
幸せを感じられるのか。
その行動は、
本当にあなたを幸せにするのか。
その自分になれば
あなたは幸せになれるのか。
もしも、今その自分になったとしたら、
本当に心地よく快適でいられるのか。
そこに気持ち悪さはないか。
あなたが幸せになるための手段、と
相手に同じ不快さを味あわせる手段、は
まったく別のものです。
何の迷いもなく、
あなたが幸せになるための
手段ならいいけれど、
相手に同じ痛みや苦しみを
味あわせるためや、
単に報復するための行為は、
≪あなたが幸せになるため≫の
手段ではありません。
自分が嫌な目にあったのだから、
相手にも同じ気持ちを味あわせたい、
という気持ちは分かります。
もちろん倫理的にとかモラルの問題として、
「そんなことはやめたほうがいい」とか
「相手と同じレベルになってしまう」
なんて、くだらないことを
言いたいのではありません。
自分が本当に苦しい思いをして、
相手を同じ目にあわせなければ
気が済まない。
「あいつも同じ目にあえばいいのに」
誰だって、一度や二度、
そんな暗い気持ちに
なることくらいあります。
相手に報復することは、
一見とてもスッキリしそうだけれど、
じつは相手を不幸にすることで、
あなたが直接幸せになれる
わけではありません。
自分だけが不幸な目にあっている、
という≪不公平さ≫を
解消したいだけなのです。
相手にも同じような≪不幸≫を
味あわせたいだけなのです
そして、そんな時、あなたの心は、
自分がどうなりたいのか、
ということよりも、
相手をどうしたいのか、というところに
焦点が当たっています。
相手に同じ嫌な思いをさせることは
あなたが幸せになるための
手段ではありません。
まさに文字通り、
≪相手に同じ不幸を味あわせる≫
というだけです。
それであなたがスッキリするかというと、
じつは必ずしもそうなるとは限りません。
やる前に「スッキリ」
しそうな気がするだけで、
実際にやったからといって、
あなたの中の不公平感や、
あの時味わった不快さが、
直接消えるわけではないからです。
なぜそうなるのか、
なぜモヤモヤが消えないのか、という
しくみもちゃんとありますが、
そんなことをここで詳しく解説しても、
あまり意味がないので割愛します。
簡単に言えば、あなたがやったことは、
≪相手をどうするのか≫
ということであって、
≪自分がどうなるのか≫
ではなかった、
ということが、
モヤモヤが消えない原因です。
そんなことをしても、
あなたの不幸さが
消えるわけではないから、
やめたほうがいいですよ、
ということを言いたいのではなく、
そんなことで不快さは解消しない、
それはまさに≪相手を不幸にする≫
というだけで、
≪あなたが幸せになるための手段≫
ではないですよ、
ということです。
相手を不幸にするための手段、と
あなたが幸せになるための手段、は
ぜんぜん違います。
この二つはまったく別のことです。
あなたが幸せになることによって、
直接相手を不幸にすることが
出来ないように、
相手を不幸にすることによって、
直接あなたが幸せになることもできません。
片方がもう片方のための手段になんて、
ならないのです。
そして、少なくとも、
あなたが幸せになるのは、
なにかのための手段ではないはずです。