1290 相手に同じ気持ちを味あわせても、必ずしもあなたの心がスッキリするとは限りません。 | alain-pのブログ

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本当にその自分に憧れるのか。

 

 

そのあなたになれば、

心置きなく、

スッキリとした晴れやかな気持ちで、

幸せを感じられるのか。

 

 

その行動は、

本当にあなたを幸せにするのか。

その自分になれば

あなたは幸せになれるのか。

もしも、今その自分になったとしたら、

本当に心地よく快適でいられるのか。

 

 

そこに気持ち悪さはないか。

 

 

あなたが幸せになるための手段、と

相手に同じ不快さを味あわせる手段、は

まったく別のものです。

 

 

何の迷いもなく、

あなたが幸せになるための

手段ならいいけれど、

相手に同じ痛みや苦しみを

味あわせるためや、

単に報復するための行為は、

≪あなたが幸せになるため≫の

手段ではありません。

 

 

自分が嫌な目にあったのだから、

相手にも同じ気持ちを味あわせたい、

という気持ちは分かります。

 

 

もちろん倫理的にとかモラルの問題として、

「そんなことはやめたほうがいい」とか

「相手と同じレベルになってしまう」

なんて、くだらないことを

言いたいのではありません。

 

 

自分が本当に苦しい思いをして、

相手を同じ目にあわせなければ

気が済まない。

「あいつも同じ目にあえばいいのに」

誰だって、一度や二度、

そんな暗い気持ちに

なることくらいあります。

 

 

相手に報復することは、

一見とてもスッキリしそうだけれど、

じつは相手を不幸にすることで、

あなたが直接幸せになれる

わけではありません。

 

 

自分だけが不幸な目にあっている、

という≪不公平さ≫を

解消したいだけなのです。

相手にも同じような≪不幸≫を

味あわせたいだけなのです

 

 

そして、そんな時、あなたの心は、

自分がどうなりたいのか、

ということよりも、

相手をどうしたいのか、というところに

焦点が当たっています。

 

 

相手に同じ嫌な思いをさせることは

あなたが幸せになるための

手段ではありません。

まさに文字通り、

≪相手に同じ不幸を味あわせる≫

というだけです。

 

 

それであなたがスッキリするかというと、

じつは必ずしもそうなるとは限りません。

やる前に「スッキリ」

しそうな気がするだけで、

実際にやったからといって、

あなたの中の不公平感や、

あの時味わった不快さが、

直接消えるわけではないからです。

 

 

なぜそうなるのか、

なぜモヤモヤが消えないのか、という

しくみもちゃんとありますが、

そんなことをここで詳しく解説しても、

あまり意味がないので割愛します。

簡単に言えば、あなたがやったことは、

≪相手をどうするのか≫

ということであって、

≪自分がどうなるのか≫

ではなかった、

ということが、

モヤモヤが消えない原因です。

 

 

そんなことをしても、

あなたの不幸さが

消えるわけではないから、

やめたほうがいいですよ、

ということを言いたいのではなく、

そんなことで不快さは解消しない、

それはまさに≪相手を不幸にする≫

というだけで、

≪あなたが幸せになるための手段≫

ではないですよ、

ということです。

 

 

相手を不幸にするための手段、と

あなたが幸せになるための手段、は

ぜんぜん違います。

この二つはまったく別のことです。

 

 

あなたが幸せになることによって、

直接相手を不幸にすることが

出来ないように、

相手を不幸にすることによって、

直接あなたが幸せになることもできません。

片方がもう片方のための手段になんて、

ならないのです。

 

 

そして、少なくとも、

あなたが幸せになるのは、

なにかのための手段ではないはずです。