1006 不足感から願望が生まれているような気がするのはなぜなのか。 | alain-pのブログ

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昨日こんな記事を書きました。

1005 「このままではいけない」という思いが、あなたの欲望を駆り立てている、はほんとうか。

 

 

現在の自分に対する、

「まだ足りない」という不足感や

自分に対する「不十分だ」という思いが、

 

「このままではいけない」

「もっと上を目指さなきゃ!」

という願望を生み出し、

 

そこから、限りない欲望が発生したり、

現在の自分を否定したり、卑下したり、

あるいは他人に対するねやみや

憧れを発生させている、

 

という説はほんとうなのか、

ということについて書きました。

 

 

というよりも、

自分自身に対する不足感や不十分な感じと、

誰かに対する憧れや願望は、

まったく別物で、

ぜんぜん関係ないのです、

ということについて書きました。

 

 

今日はそのことについて

少し補足をしておきます。

 

 

そうは言われても、

やはり≪今の自分に不足感があれば≫

「持っていないからこそ欲しい!」

「持っている人がうらやましい!」

「足りないからこそ手に入れたい!」

という思いはとうぜん生まれてきます。

 

生まれてくるのが人として自然です。

あくまでも≪不足感があれば≫ですが。

 

 

そのことについては昨日も書きました。

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今の自分にないからこそ、

それを持っている人に憧れる。

もちろんそういうこともあるでしょう。

 

だからといって、あなたの欲望が

≪すべて≫あなたの不足感から

発生しているわけじゃないはずです。

1005 「このままではいけない」という思いが、あなたの欲望を駆り立てている、はほんとうか。

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つまり、必ずしも

すべての欲求ではないけれど、

欲求の中には、

そういう場所から発生するものも

存在していますよ、

ということです。

 

 

昨日も書いたように、

「野球選手になりたい」

「サッカー選手になりたい」

「ラーメンが食べたい」

というのは純粋な願望です。

不足感や不十分な感じとは無縁です。

 

 

そこにあるのは、

今いる現在地に対する不満ではなく、

純粋に「あそこに行きたい」

「幸せになりたい」

「快を得たい」

という想いだけです。

 

 

そのことと、

≪自分自身に対する不足感≫は別物です。

これはセルフイメージの問題です。

 

「わたしは未熟だ」

「わたしは不完全だ」

「わたしは努力が足りない」

「わたしは才能がない」

「わたしはまだ不十分だ」

という

自分自身に対する思い込み(不足感)が、

自分に対する強烈な否定や

ダメ出しの原因になってしまいます。

 

 

自分に対する不足感は、

本人にとって非常に不快感を

与えてしまいます。

 

そして

「もうこれ以上、不快を感じたくない」

というのが動機となって、

その不快を感じさせている自分

ダメ出しをすることになります。

 

 

そして、

「もうこれ以上、不快を感じたくない!」

と思うからこそ、

それができている(ように見える)人が

目についたり気になったりして、

ねたんだりうらやんだり、

あるいはそうなっていない自分を

あらためて卑下してしまいます。

 

 

そういう不足感や渇望感から

発生している欲求や

願望ももちろんあります。

 

というよりも、

不足感や渇望感がある限り、

そこからの願望が発生してしまいます。

 

そこに不足感がある限り、

願望が発生すること自体は、

ごく自然な現象です。

 

 

まだ足りない、不十分だ

という、その人の

セルフイメージが変わらない限り、

願望は発生し続けてしまうのです。

 

 

純粋な願望は

その人が幸せになりたいからです。

快を感じたいからです。

 

 

不足感から来る願望は、

その人が不幸になりたくないからです。

もうこれ以上、

不快を感じたくないからです。

 

 

そのふたつの願望のパワーバランス、

つまり、

その人の心の中に占める割合によって、

「どうも不足感から願望が

生まれているとしか思えない」

感じるかどうかの大きさが

人によって違ってくるのです。