0934 なぜ「これでよかったのか…」と考えてしまうのか。 | alain-pのブログ

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3日前から連作みたいになっていますが、

今日も続きのようなものを書いてみます。

 

続けて読んでいくと、

多角的に見えてくると思います。

0931 「みんな違ってみんないい」なぜ、わざわざそんなことを言うんだろう。

0932 今のあなたが出来るか出来ないか、ではなく、あなたはどうなりたいのか。

0933 人と同じであることを求められるから、同じように出来ないことが悩みになってしまう

 

 

わたしたちがついつい、

「これでよかったのか…」

と考えてしまうのは、

良かったか、悪かったのか、

正しかったのか、間違っていたのか、

という基準で自分の選択をジャッジしようと

しているからです。

 

なにかを選択したときに、

良し悪しでものごとを考える

≪クセ≫がついているからです。

 

 

でも、あなたも知っているように、

人生に正解はありません。

 

今さら僕に言われなくても、

そんなことは頭ではみんな分かっています。

 

でも、そのことをもう少し深く考えたら、

「正解なんてない」ということは、

正しい、間違い、が無いということなので、

「あなたの選択はいつもすべて正しい

という言いかたも、また違う、

ということになります。

 

 

今までの選択を悔んだり、

選択を間違えたのではないか、

とばかり考えてしまう人にとっては、

「あなたの選択はいつも正しい」

という言葉は、たしかにとても

耳障りよく、優しく響きます。

 

でも、

しょせんは≪正しいか間違っているか≫

という軸線上でものごとを

考えていることには

変わりはありません。

 

 

そうなるとこんどは、

「あなたの選択はいつも正しい

という考えかたそのものが、

正しいのか間違っているのかを考える、

ということも有りうるわけです。

それではいつまでたっても堂々巡りです。

 

 

わたしたちはついつい、自分の判断を

正当化しようとしています。

自分の判断が正しかったのだ、

と思いたいのです。

※これを認知的不協和といいます。

0446 認知的不協和が発生する原因

 

正解なんて無い、と分かっていながら、

選んだほうが正解であることを

望んでしまいます。

 

でも、

そもそも正解が無いのなら、

いくら考えても≪正しいほう≫を

選ぶことなんて不可能です。

 

考え方のスタートラインが

矛盾しているのだから、

そのままではずっと、

「これでよかったのだろうか…」

という悩みから脱出することはありません。

 

 

正しいほうを選ぼうとするのではなく、

今よりも素敵なあなたになれそうなほう

を選ぶ。

 

どちらが素敵な自分になれそうなのか、

どちらの自分に憧れるのか、

もっと素敵な自分ならどう判断するのか、

をまずは考えてみる。

 

それなら少なくとも、

「どちらにすればいいのか…」

よりも答えは出やすいはずです。

 

 

大切なことは、

今まで何を基準に選んできたのか、

よりも

これからなにを基準に選ぶのか、

ということです。