3日前から連作みたいになっていますが、
今日も続きのようなものを書いてみます。
続けて読んでいくと、
多角的に見えてくると思います。
0931 「みんな違ってみんないい」なぜ、わざわざそんなことを言うんだろう。
0932 今のあなたが出来るか出来ないか、ではなく、あなたはどうなりたいのか。
0933 人と同じであることを求められるから、同じように出来ないことが悩みになってしまう
わたしたちがついつい、
「これでよかったのか…」
と考えてしまうのは、
良かったか、悪かったのか、
正しかったのか、間違っていたのか、
という基準で自分の選択をジャッジしようと
しているからです。
なにかを選択したときに、
良し悪しでものごとを考える
≪クセ≫がついているからです。
でも、あなたも知っているように、
人生に正解はありません。
今さら僕に言われなくても、
そんなことは頭ではみんな分かっています。
でも、そのことをもう少し深く考えたら、
「正解なんてない」ということは、
正しい、間違い、が無いということなので、
「あなたの選択はいつもすべて正しい」
という言いかたも、また違う、
ということになります。
今までの選択を悔んだり、
選択を間違えたのではないか、
とばかり考えてしまう人にとっては、
「あなたの選択はいつも正しい」
という言葉は、たしかにとても
耳障りよく、優しく響きます。
でも、
しょせんは≪正しいか間違っているか≫
という軸線上でものごとを
考えていることには
変わりはありません。
そうなるとこんどは、
「あなたの選択はいつも正しい」
という考えかたそのものが、
正しいのか間違っているのかを考える、
ということも有りうるわけです。
それではいつまでたっても堂々巡りです。
わたしたちはついつい、自分の判断を
正当化しようとしています。
自分の判断が正しかったのだ、
と思いたいのです。
※これを認知的不協和といいます。
正解なんて無い、と分かっていながら、
選んだほうが正解であることを
望んでしまいます。
でも、
そもそも正解が無いのなら、
いくら考えても≪正しいほう≫を
選ぶことなんて不可能です。
考え方のスタートラインが
矛盾しているのだから、
そのままではずっと、
「これでよかったのだろうか…」
という悩みから脱出することはありません。
正しいほうを選ぼうとするのではなく、
今よりも素敵なあなたになれそうなほう
を選ぶ。
どちらが素敵な自分になれそうなのか、
どちらの自分に憧れるのか、
もっと素敵な自分ならどう判断するのか、
をまずは考えてみる。
それなら少なくとも、
「どちらにすればいいのか…」
よりも答えは出やすいはずです。
大切なことは、
今まで何を基準に選んできたのか、
よりも
これからなにを基準に選ぶのか、
ということです。