異なる角度から見つめる×Pearl Harbor | あろのアメリカ交換留学ぶろぐ

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横浜の女子大生が
アメリカへ1年間交換留学!
留学先での生活、勉強、情報などなどを綴ります。

Since..2011/8/3(Wed)

本日、今学期全ての授業が無事終了しました。

あとは、12/9、今週の金曜からの試験に備えて

ひたすら勉強に励むのみ!!!


今回の授業は自分で選んだわけではなく

アカデミックアドバイザーが選んだ授業だったのですが

どれも、教授も内容も好きなものばかりで

勉強していても苦ではなく楽しいので、本当それだけが強みです。


勉強や生活に際しては、語学力はもうほとんど問題ありません。

後期は全部自分の好きな授業を選べたし、

もっと楽しく積極的に発言して、ディスカッションに交じるぞー!おー



さて、今日は

アメリカでは12/7、日本では12/8。

何の日でしょう。


日本では意外とあまり意識されない日かもしれません。

正直言って、私は今まで生きてきて

今年ほどこの日を意識して過ごした日はありません。


『ジョン・レノンの命日』

…それはアメリカ時間で12/8、つまり明日ですね。

(日本時間では私の誕生日なので日にちまで覚えていますが)



ま、お分かりだと思いますが、

『真珠湾攻撃』  "Pearl Harbor Attack"

が行われた日です。


1941年12月7日朝(ハワイ時間)

日本の海軍が真珠湾を奇襲しました


のちに世界戦争を繰り広げることとなる

第二次世界大戦のきっかけとされる攻撃です。


翌日ルーズベルト大統領による日本への宣戦布告がなされ、

これが世界戦争へと広がります


戦争の詳細についてはここには書きませんが、

興味があったら調べて下さい。

世界に出ていく日本人として、必ず知っておくべき出来事です。


私がこのことを通じて何を書きたかったかと言いますと、

ずばり『歴史の捉え方の違い』です。


勿論、"事実"はひとつなのですが、

立場によって、国によってその捉え方が異なる

…これは当たり前のことだと思います。


しかし、よくよく思い返してみてください。

私たちの習ってきた歴史の中では、

1941年12月8日よりも

1945年8月6,9,15日の方が

断然、時間も手間もかけられていませんでしたか?


私は歴史は苦手でしたが、(好きなのに苦手というやつ)

さすがに広島・長崎の原爆、終戦の歴史については

何度も何度も、学校でも、テレビでも、旅行先でも、

耳に蛸ができるほど学ばされてしっかり覚えています。


でも、ふと立ち返って考えてみると、

真珠湾攻撃に関してはそこまで詳しく学んでこなかったな、と。

そして、そのことに気付いたのは

アメリカに来てから、歴史資料館を観てから、

今日、12/7を迎えてから、だったのです。


ちなみに、参考として、一資料として、

Googleの日本語検索でそれぞれ検索してみると、

検索件数は以下の通り。


「広島 原爆」:約 9,260,000 件

「長崎 原爆」:約 6,550,000 件

「真珠湾攻撃」:約 1,070,000 件


圧倒的な差ですよね。

これをどう捉えるかさえも人それぞれなんでしょうけど、

私はやっぱり見逃してはならないと思います。


歴史の捉え方。出来事の捉え方。

ひとつしかない"事実"を、どの角度から見つめるのか。


アメリカに来てからは、

いわゆる『価値観の違い』に毎日、たくさん触れて

あらゆる角度から物事を捉えられる人間は強い

そう改めて感じました。


日本にいた時でも常に頭の片隅に置いていた考えではありますが、

新鮮な世界の中で生活することで

より強く、より確かに感じさせられました。


ここでいう角度というのは

違う国からとか、違う文化からとか、

そういう留学に限ったようなことではありません。


例えば身近な所で言うと、

異なる世代や性別だってそうです。


今日のEducationの授業で

教授(推定50代、男性)がPearl Harborの話を

オープニングトークで挙げたんですね。


「お、やはりきたか」と思いながら聞いていたんですが、


「うーん、日本はよくないことをしたと思うんだよね」

「おっと、このクラスには●●(私の名前)がいるから、皆あまり攻撃的なことは言っちゃだめだよ」

「いや、君のせいじゃないけどね、だいぶ前のことだしね」


なーんて話をされたんです。

「いや別にいいっすよ好きなように言ってください聞きたいです」

的なことを言ったんですが、(こんな適当な感じではないが)


私の後ろの席から

「いや、うちらだって結局原爆落としたじゃん」

「そっちの方が被害大きいじゃん」

という学生たちの会話が。

教授には聞こえていなかったみたいだけれど、

私は聞き逃さなかった。


「あ、やっぱり世代が違えば考え方も違うんだ」


と改めて感じた授業でした。

無論、世代が違うだけが

教授と学生の捉え方の違いを形成したわけではないですが、

少なくとも世代、すなわち教育が異なることは

この捉え方の違いに影響していると言っていいと思います。



だらだらと書いてしまいましたが、

つまるところ、


少しひねった角度から物事を見つめる習慣をつける


ということの重要性を伝えたかったんですね。


そんなの当たり前のようで、分かってるようで、

意外とできてない。


「もし異なる国の人だったら?」

「もし異なる人種の人だったら?」

「もし異なる家族形成の人だったら?」

「もし異なる性的志向の人だったら?」


そんなことを常に考えさせられる日々です。

楽しいっす。



C U soon!

Alo*